一人の女性が
はんなりとギロリという二面性をもつのは
人格の分裂ではなく
統合失調症の古名分裂病を薄めた分裂質
今は
この分裂質=統合失調症扱い?
陰陽を示します。
どうしてこうなったかというと
大事な人から
京都弁を否定されたからです。
文化的な頼(たのみ)の綱 =頼子
無表情になり
発達障害やアスペでありません。
京都弁を使えなくなったのも
ヒステリー症状です。
PTSDのこと
観光客は
京都の街で迷子になりますが
京都人の無意識には
見えない地図がありますし
歌を歌いながら覚えた。
そもそもが
陰陽五行説の四神に守られるようにつくられた街なのです。
鬼門は比叡山延暦寺
四神
奈良の古墳もこのように守られてきた。
発達障害に見えても
よく見れば
象徴世界に住んでいたりしますよ。
おはようございます?
今日の先生のブログ読んだら、
先日、ランカスターのフランス人のセラピストがユンゲンクラブでお話してた事を丸ごと思い出しましたー彼女はHome&Migrationについてご自分の日本での経験とロシア人のクライアントの症状を描写するのに ヘスティア&ヘルメースの神さまを使って説明してましたーヘスティアをSoulとしたら ヘルメースがSpirit かな?
更に 自分の事を考えてみるキッカケになってます
面白そうですね(^_-)-☆
傍から失礼します。
比較文化学を進めてこそ文化人類学が成立します。自然人類学に動物行動学を取って付けたら考察対象にされる個人も社会集団の構成員も、必然的に(idthatidさまの得意技である)人格無視をヤられて、「我とそれ」の「それ」扱いになります。
「我とそれ」の「それ」扱い
= “objective experience” とされ、
そういう扱いをされた人にPTSD発症リスクを負わせる人道上の罪ですね。
そういう訳で、相手が胎児であろうと乳幼児であろうと、 “objective experience” 扱いだけは絶対に受容させてはならないのです。胎児や乳幼児にも観察主体があるという自然人類学の知見を「なかったことにする」非科学的なトシちゃんだけが “objective experience” 扱いをして、「発達障害論」詐欺を展開してしまう訳です。
“objective experience” 扱いをされても、受容しない主体性のある学びを終生(← “vixi”)続ける
=あらゆる全人的な経験は
“non-objective experience” であり、
=「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」
…という関係になっております。
そういう訳で、
⒈ ヒトが出てくる現象学は全部がPTSD現象学ということになり、
⒉ ヒトが出てこない現象学=宇宙現象学なのです。
⒈も⒉も「主体性のある学び」を進めてこそ可能な学問であり、 “subjective experience” が入り込む余地はないのです。 “subjective experience” を入れてしまうと「発達障害論」詐欺や、ずっこけ『治癒の現象学』(©︎ 村上靖彦)を展開する結果を招きますね。
比較文化学を進めたうえでユング心理学を日本的に翻訳する必要性をトシちゃんパパは公言していたのですが、頓挫したままで、主体性が立ち上がらないとか象徴が使えないとかという発達障害が増えているとの愚説には参りました?
そっか、全体から個を観察して解決策に繋げるほうがobjectivity の度合いも上がって、個が合理的な手段で問題の解決策に繋げようとする行動を食い止める事ができると解釈して良いですか?ー漢字が多過ぎるとパニックになる….
別表 学年別漢字配当表:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/koku/001.htm
これですよね。
私事でアレですが、タクシーに乗って、もらい事故をヤられたことがあり、その事情聴取において、お巡りさんは、中卒レベルの漢字が書けないことが判りました。そんなら初めから「小学校卒業レベルの1006文字で話が済むように証言してください」と言って下されば、私は、ミュンヘンの日本語補習校で数学/算数と国語/日本語を数年、教えたから、バッチリできるのに〜と思ったことがあります。とはいえ、割と最近、法隆寺の「隆」ですよ…という一言で、ちゃんと判ったお巡りさんもいらして、偉いね〜お前も頑張れよ〜と(← 「母さんの歌」のノリで)思いました。
倍賞千恵子『かあさんの歌』
https://youtu.be/B7cNIKOulkY