歌手で俳優の
宮城まり子さんの死去を受け
親交の深かった上皇ご夫妻は
宮内庁上皇職を通じ
養護施設「ねむの木学園」に
弔意を伝えられました。
芸術を媒介にした
こころのケアの様子を
上皇ご夫妻も
ご公務として訪問されたものでした。
これが日本の国の
こころのケアのありかたです。
肢体不自由児のための学園ですが
訓練やリハビリ
療養を
PTSD予防教育が支えます。
本家の特別支援学校から
もともとは肢体不自由児等が多かったが
今は発達障害児(誤診)だらけ
療育もなく薬漬けの人体実験いじめの場
いつの間にか消えた姿です。
結果として、国家的人体実験なのだと感じています
被害に気がついた人たちはその怒り💢をぶつける場所が無い
いつ解放されるかわからない終わりの無い痛みと闘いながらも闘う準備を模索してますー医師の立場は巧妙に守られる様に法律が出来ているみたいで、被害者達は訴える相手を誰にすればよいのか頭を抱えている様子です
「医師は万能薬として処方してしまった誤ちをキチンと償わなくてはなりません」と言葉にしているL先生もいらっしゃいますが、多くの医師はそう考えてはいないと想像してます
いつになったらキチンとした心の治療が出来る体制になるのかなぁ〜?って思う月曜日の朝ですーこれから朝会議してきまーす
怒るだけ無駄と思ってあきらめさせられている人が多いような…。
あちらをどうかしようというのはやめて、治療に専念した方が、生産的かもしれません。
全くヒドイ話です。
私もそう思う様になりました
自分の薬害のみを考えて、薬害を受け入れた上で出来る限り自分が治る事だけに専念しようと思いますー新しい自助会も必要が無いと思ってますーこの理由はしっかりと後日説明させていただきますねーそこにも魂が揺れ動いてしまう事に今朝ほど気がつきましたー当事者として自分のリカバリを優先したいし、自分の魂売る事はしたくありませんー純粋に治りたいだけなんですー当事者研究のサンプルになるのは自分自身がホントに共感を感じられる研究者だけにコッソリとお話しする事に決めましたーでも、これまでに傷つきながらもそういう場所に身を置いて実体験した事は自分にとってとっても凄い経験をしたと思ってますーそれまではすっぽりとカプセルの中に入って人の体験を観ていただけでしたから….
気づかせてくださってありがとうございます😊
将来的に、貴重な体験をしっかり活かしてくれる場所とか人を見つけたときに、絶大な威力を発揮すると思います。
そこに、ドラゴン🐲さまのような方々が集まってきたら最強です。世界が変わるでしょう✨
こんばんは🌙
私の年代で宮城まり子さんといえば「ねむの木学園の園長さん」という認識ですが、ウィキによると紅白歌合戦に何度も出場した歌手であり俳優なのですね。そんな立場を投げ打って、障害児教育に専心している様子はとても不思議に思えていましたが、幼い頃に母親を亡くして小学校を卒業後に吉本興業に入って歌謡曲を歌って、その後一座を率いて巡業をしていたと言うから、芸能の世界は彼女にとって特別なものではなかったのだろうと思いました。
「やさしくね、やさしいことはつよいのよ」という言葉にハッとしました。しかし、PTSDを発症している私には、やさしくしたいのは山々ですが、「なんでもかんでもやさしくすればいいというものではないだろう」という気持ちがしています。
具体的に言うと遠距離に晩発性PTSDを発症している父がいるのですが、介護をしている母が「『〇〇が来ていたが、帰ったのか』と呆けたことを言っている」と電話で良く言います。私はうつで両親に対する怒りが噴出している時には、「死に目には会えなくてもいい」と思い、とてもじゃないけど会いに行く気にはなれません。また、先日も孫に会いに行ってみたのですが帰宅して丸二日うつで寝込む有り様で、家事には全く手を出していないのに「変だな〜」と思います。もしかしたら孫に相対している時に異様に気を使っているのかもしれないと自分で思いました。「二人目を産む時に里帰りしてもいいけれど、上の子はみれないから向こうでみてもらって」と娘に言ったら、「まだわからないけど、里帰りしないかもしれない」と返って来て、「自分が不義理をしているような気もするけど、普通の体力がないのだから仕方ないか」と思っています。
まとめると、「情にほだされて父親に会いに行ったりすると、『面倒みなくちゃ』と義務感に駆られたり、それで疲れてしまったり、今本当にしなくてはいけないことをする時間がなくなるのでは?」と感じています。
また、最近図書館の本を乱読しています。エッセイなどで、「私は両親のことが大好きなんだけど、私の人生は私のものだから」や、「話し合うとき、私たち親子は常に対等だった。『親の苦労も知らないで。子どもたちはいい気なものだ』などという親の権威を、父は死ぬまで言わない男だった。そういう親をもった子としての私は、何をするのも自由だったが、責任回避は許されなかったのである」などの文章に出会いました。そういう時に私は、「虐待に合わなかった人は、自分よりもっと若い頃から自分の人生を生きて責任のあるやりがいのある仕事をしているんだろうなぁ」と思いました。
なのでこれからは「あまり情に流されないようにして、自分のことを優先して考えよう」と思うのです。
こんばんは✰
山本太郎さんみたいな方だったのですね。
優しい人は、嫌な目に遭いやすいので、歪むことなく優しさを維持している人は強い人だと思います。
でも、相手が解決すべき問題を代わりにしてあげるようなのは優しさではなく親切ごかしになりますね。
新型コロナウイルス騒動でお孫さんの世話を始めた世間の元気なおじいちゃんおばあちゃんからも悲鳴が聞こえてきますよ。
自律の第一歩は、自己優先からというのは正しいと思いました。
翠雨先生
ご返信ありがとうございます。
私の、思いはあるけれどまとめきれない文章に簡潔明瞭にお答え頂き感謝しております。
昔、ねむの木学園のドキュメンタリーを見て、宮城さんにやさしく接してもらいながら創作活動をする障害児の方々を羨ましく思っていました。
今は作業所の職員さんのどこまでも明るく優しい姿に癒されながら作業をして、箱庭療法の先生に話を聞いてもらいながら少しずつ自分に変化が起きているようです。
「甘えるってこういうことかな? 甘えてもいいのかな?」と思いつつ人と接しています。実年齢とのギャップに戸惑いながらも。
巻き込まれてしまえば、「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」のハードボイルドです(;´д`)トホホ
私の日常の仕事は、宮城まり子さん風の「産婆」みたいな感じなので、そこに一番関心があったのでした。
確かに「依存」と言われたり「水くさい」と言われたり、「甘え」の塩梅感覚はなかなかですね。
回避的な傾向が強いので、素直に人と関わることが難しいです。
先日は仲間と思わず話が弾んで、自分の中にエネルギーが急に増えた感じがして、「あれ?」ってなりました。
また、いつもは確認しないと気が済まないのに、「間違ってても許してくれるだろうから、思った通りにやってみよう」と思えました。
今までと違うことが起こると、なんか新鮮な感じがしますね。
あれこれ考えず無意識のうちにうまく運ぶようになればホンモノでしょう。
全然関係ない対話を続けているように見えて、結果的にそうなるのが心理療法の極意です。
お邪魔します
「実年齢とのギャップに戸惑う」とありますが、トラウマ体験をした時点で心の年齢は止まってしまうというのをウイニペグのおじさんが言ってた事を思いだしました
体験した感覚(Sensation/perception )が感情(Emotion)表現もされる事無く、言語化(Verbalisation)される事も無くそのまま埋蔵されてしまうからなのだと認識してますー私もずっと16歳で止まったまま、大学卒業ー就職ー結婚ー出産というインターコースを上の空で辿ってきましたー長男が16歳になったお誕生日🎂に見事に埋蔵されてた感情の記憶が蘇り、初受診ー色々な治療を取っ替え引っ換えやって、やっと最近18歳に成長した感じです 笑笑(かなり図々しいかも)
それを回復させるにはやっぱりCBT理論では不可能なのですよねー埋蔵されたホントの感情の記憶の存在を無視して当時の感覚から繰り広げられる今の思考を強制的に変更しようとするCBTーステロイドクリームと同じですねーもういや!すっかり私の中では風化してたcbtが日本のブームのせいで頭の中グルグルしてるし……
何を言いたかったかって言うと、トラウマサバイバーさんが実年齢とのギャップに戸惑いを感じていらっしゃるのはトラウマのイタズラなので、私も全く同じ感覚を持っているという事をお伝えしたかったのです
人生を終えるまでに実年齢にキャッチアップできるかはわかりませんが、なるべく埋蔵金ではなくて埋蔵されてしまったトラウマ感情ちゃんたちを発掘していきたいと思うドラゴン🐲です
ドラゴンさん
ありがとうございます❤️
私はどこかの時点で成長が止まっているので、それをいろんなことをしながら成長を促す必要があるのだろうと感じています。
ドラゴンさんが仰ったようにトラウマがイタズラして、頭の考えが「認知症なんじゃないの? 会話が噛み合ってないし」とか言ってくるので、「PTSDには記憶障害という症状があるんだ! 頭に負けてたまるか!」と、他人には分かりづらい闘争本能を燃やしている私です。
「あれこれ考えずに無意識のうちに運ぶようになる」という事、今朝、体感したかもしれません
始まる前から企画倒れに終わりそうだったプロジェクトが、また復活してきましたー治療者目線と当事者目線を正直にぶつけ合いました(全く、喧嘩腰ではなく、ある資格を共有しているという目線に立って話し合いをしたのです)ーそしたら、何が誤差だったのかを両者で確認する事ができ、やはり同じ時期に同じ事を思いついた事を大切にして新しいグループを立ち上げる事にしましたー私に共感してくださった当事者さんたちからの励ましも大きな原動力となってますーまだ どうなるかはわからないけど…..
よかったですね!(^^)!
そうやって、あとから来る人たちが歩きやすいように道を整えて下さっているのかもしれないと思いました。
地団太踏んだ跡ですら長い目で見ればありがたいだけです。
治療者は普段の仕事から当事者の感覚を理解しているのだと思って企画を話しあっていたのが大きな間違いだったのですーきっと、普段のお仕事からでは多くの当事者感覚は伝わっていないという事が推測できますーあらゆる規制があるので仕方がないとは思いますーでも、仕事から離れて、純粋に彼の想いを聴き、それが当事者同士の話し合いにも役に立つ事であると判断できたので、彼の技法も取り入れながら話し合いの場を作ってみようという気になりましたーかなり難しいけど💦
取り入れる方向なんですね。
パイオニアは何かと大変そう(^_-)-☆
翠雨先生
生きる勇気を頂きました。
ありがとうございます。