本日 4月21日はネッシーの写真が公開された日だそうです。
1934年4月21日
イギリスの新聞であるデイリー・メール紙に
ネッシーの写真として掲載されたが
― 外科医の写真と呼ばせることで当時は相当な信頼性が維持できた。
撮影者が死の間際にトリックであることを告白した。
― 先行してニセモノと判定され傷ついた人が嫌がらせのために工作
― 存在否定され(恐怖)解離した。
人間には良心というものがあり墓場にはもってゆけないみたいですね。
キリスト教にも閻魔さま⁉ ←超自我
古くから
記録として残されている最古の記録は西暦565年
アイルランドの聖職者の伝記
― 異教徒へのキリスト教布教活動を精力的に行うなかで遭遇
スコットランドのネス湖にいるとされてきましたが
未確認動物の代表として世界的に有名
目撃証言や写真・映像の多くが
誤認や
うなぎやアルパカ
船や流木、波動 等
捏造であることが判明し
河童のはく製みたいな
― 陰陽五行説をあてはめてつくった想像上の生き物なのに(^^♪
動物学者の多くも
大型獣が生存している可能性を否定するようになっても
人気があるのは
存在しない証拠はないので
妄想し放題(^^♪
精神科の悉く否定され続ける仮説とよく似ていますね。
そういえば被検者がいないから捏造したこともあった。
― みつけられなかっただけでいないというわけではないという詭弁⁉
【追記】
さらなる解離心理の分析に有益な資料もあるみたいです。
なんと、誰もが知るこのネッシー写真は、マーマデューク・ウェザレルが『Daily Mail』への腹いせで仕掛けたものなのだった。後に真相を暴露して『Daily Mail』に恥をかかせてやろう…そんな意図だったらしい。だが、あまりに反響が大きすぎて断念。
↓ pic.twitter.com/boDAnbEeCF— 比嘉光太郎 (@mothman_films) April 21, 2024
ウェザレルは監督・脚本・主演もこなし、初期の映画版『ロビンソンクルーソー』も撮っている。これは著作権が切れてYoutubeにアップされており、この映画を通して決定的ネッシー像を世に広めた人物に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
Robinson Crusoe (1927)https://t.co/0sXjAkCMuU pic.twitter.com/e48cAdiHj1
— 比嘉光太郎 (@mothman_films) April 21, 2024
確かに否定されるのはムカつきますよね。
でも、その否認を偽造してまでも認めさせようとすると解離行動に移行しやすくなるのかもしれませんね。
今、ふと頭に浮かんで来たのは、「結婚出来たから治った」と考えるのは、治っていない事(否認)を結婚という出来事で「幸せな人生」に偽造しているのかもしれない….って思いました。「結婚する人は幸せ❤️」というディズニー心理学があまりにも横行し過ぎてて多くの人にそういう信念が埋め込まれてしまったのかもしれませんね。
反対に、ドラゴンは、未治療のまま治ってなくても結婚し家庭を築く事で多くの事を学び、最初の発症から何十年も経過したところで、少しだけ治った感をなんとな〜く感じているところです。
って考えると、人生のイベントって後からトラウマ症状の変化に当てはめるために起きてるのかなぁ…って感じちゃいます。やっぱり魂説でトラウマ治癒した方が効果抜群なのかも….
あのトーマス先生のお話はとっても刺激的で、来日してから彼がボトムアップ形式で学んだ日本の仏教からの学びが妙に身についている様子が羨ましいかも….
渡英してからドラゴン🐲は、何も学んでない事に気がつかされました。恥ずかしい🫣かぎり….
ふと……( = =) トオイメ目
「スコットランドへ行って消え失せろ」という暴言の出どころ@集合的無意識 はネッシー🦖伝説だったのかなと思いました(^^♪
人間、デタラメを言うにも法則があるらしいので。
こういう八つ当たりをされてしまうあたりが、「魂説でトラウマ治療」をされている証左じゃないでしょうか。
その学びが浅いはずはないと私は想像していますよ。
得て公🐵心理士までつくってしまった国家資格等の専門家問題から見れば、外科医の写真の悪意などまだまだ牧歌的でしたね。
何だかドラゴン🐲は間違っていなかったのだと確信を持たせてくださってありがとうございます♪
ドラゴン🐲はトーマス先生をただ羨ましいと思っただけでは無く、反対の立場に居る自分自身はトーマス先生みたいな学びを目指していたんだと気がついたのです。彼が、ポロリと発言した「経験」という日本語は、英語表現だという事に気が付かれたというのは正にボトムアップ方式の学びからしか気づくことが出来ない思考プロセスからのアウトプットでしかないと思いました。未だに、では英語文化が日本に入る以前は、日本人は「経験」というタームをどうやって表現していたのかが気になって仕方ありません。
長くなってしまうので、外科医の写真(がんもどき)の件については今晩、自分のブログに書きますね。
ですよね。
「経験」という言葉について再認識させてくださったのでした。
異文化を通すことは本当に貴重なことです。
お書きの内容は、「純粋経験」そのものです。
『善の研究』の冒頭、「経験するというのは…」で始まる第一段落に、「主客未分」の「色を見、音を聞く刹那」で、実験心理学者ヴントのいう経験のようなものとの違いについて書いてあります。
経験があって現実(実在)があるのだから、まわりまわって(悟りと自己実現の差は甚大にしても)ディズニー🐭法則にあてはめて子どもを発達障害と認識するのではなく、「ボトムアップ」の事例方式でなければ大きく間違うということにもつながります。