阪神淡路大震災から
もう30年になるのですね。
日本の神話がうまれた場所で
神話とは
その民族や国が
どのように生まれたかということを
イメージで表現した記録
― 歴史でありこころであり… 歴史的身体
こころのケアという言葉が生まれました。
日本の場合は古事記
― 稗田阿礼もフロイトもPTSDという言葉は知らない。
淡路島から神の戸が開く
国生みも陰陽から
こころのケアという言葉が生まれました。
PTSD予防のこと
古事記由来で
天皇家の系譜
― 神代から現在まで
―― 非連続の連続☯
天皇家のご公務そのものです。
世界平和のための祭祀と鎮魂
私が書いたこころのケアの論文
神戸大学付属図書館(神戸市灘区)には
阪神大震災のあらゆる資料を収集・所蔵する「震災文庫」と呼ばれる部屋
書籍だけでなく
警察や自衛隊による被災者救出の報告書、復興関連会議の議事録、避難所で配られた弁当の写真、鉄道駅で流れた代行バスの運行状況アナウンスの音声テープなど約6万点という語り部
あるかな🤔
神戸震災のトラウマは日本独自のPTSD問題ですよね。
英国やドイツは地面が揺れがないので理解し難い問題です。
場所によって、文化によって、トラウマの定義が異なり、また、その解釈も全く異なるのだというのを実感する今日この頃です。
引き続き、翠雨先生には日本の古典と日本のトラウマを教えて頂きたく思います。
貴重な情報をありがとうございます_(_^_)_
即座に地面が揺れないことがあるのかと思ってしまうほど身体感覚的に自明となっていることに気づきます。
また、本当はこうだった…という事情もたくさん出てきて、そのことを知るだけでもトラウマになりそうな情報が噴出しています。
能登と違い、社会的には(個人としては終わることはないでしょう)もう終わったことのように見えていましたが、こうして再考に再考を繰り返しながら鎮魂されてゆくのでしょうね。
こちらこそ感謝感謝です。
よろしくお願いいたします_(_^_)_<(_ _)>
当たり前のことだけど、患者が、何を何処で認知して、今ここに認知の歪みを作っているかを考えるかって凄く大切な事ですよね。
どんなに治療者が共感を示してくれても、患者がそれを感じられない原因はそこにあるのだと思います。治療者が示す「ニセモノの共感」は患者は敏感に感じますから。オンライン上でもそれは明白ですよ。いや、むしろオンライン上の方が感じやすいかもしれません♪
何だかくだらないこと書いてごめんなさい。課題論文書きながら、ホンモノの共感ってどーいうの?って思いながらThirdnessについて色々考えてました。
今日は締め切りプレッシャーも無く、アポも全く無いので、子どもたちに届ける餃子🥟を100個作りまーす!今、英国では、餃子🥟は流行っていて、普通のスーパーマーケットでも冷凍餃子が売ってます。でも、我が子たちはその冷凍餃子🥟は美味しくないからママ餃子🥟を作れという司令。死ぬまでこき使われる母でございます。
では、良い週末を❤️
なんだか今週は数年来否人生最大のとびきりよい週末になりそうな気配です😍
私が哲学を学んでいる外国人が最初に急に増え始めたある都市に、コロナの頃から無人冷凍餃子🥟店が出現❣
しかも日本人より漢字がわかる(でも中国人じゃなくて西洋人)人が案外いる\(◎o◎)/!
なぜに⁈🤔って思っていたのでした。
共感は起こるもので起こせるものではないのですよ。
最初に防衛ありきで、治ることに抵抗するものだから@フロイト
その時に(意識してではなくても無意識は感覚でわかっているから)共感するフリをするのは失敗への共犯関係(相互に不信感ですれ違いの損得関係同盟)成立で最初から間違っているのですよね。どこかの教団みたいに先回りしてそれをするから漫画みたいな悲劇に終わるのは普遍的事実です。
先のコメントを書く前に読んだネット記事の1つも、当時、当事者の表現は絶対で、非当事者は黙って傾聴しろ!みたいな風潮があったという内容だったのでした(>_<) 当事者のトラウマや認知のゆがみは全否認の教義です。
もう一つだけ書かせてください。
対象関係論の間主観性の概念をクラインからずっとオサライ(ホントはフッサールからだけど、フロイト以降限定で学んでいます。)して、1番の直近のベンジャミンの第三性という概念がまさに禅的思考だという事に気がついたドラゴン🐲です。禅的思考の波に直ぐに乗れない西洋人の適応能力はかなり低いのだと、我が夫をチラ見しながら優越感に浸っているドラゴン🐲でした。
読み流してください。餃子の皮作りまーす。
死闘中の論文の核心が、まさにフッサールの現象学からの発展では不徹底だということなのです🌠
そして、それは日々座禅をしながら当時の最前線の心理学論文を概観して書かれた指摘なのでした。
なんだか布置というか共時性を感じます🤩🤩🤩