雲仙岳は
701年行基が開いた山です。
空海が生まれる前に
空海と違いコツコツ自分で歩いて社会事業
活火山でしたが
1657年ごろからたびたび噴火
1798年に噴煙が生じたのが最後の記録
休火山となり
大正に入るとゴルフ場ができ
昭和になれば温泉や国立公園として知られるように
平成2年の11月17日に噴火活動を再開
平成なのにこれ如何に!
平成3年の5月30日には
地獄跡火口から溶岩ドームの出現が確認され
火砕流の危険性が高まりつつあることが認識されていたのに
住人のパニックを恐れる心理が働き
昔のPTSD予防教育あるある
― 知らぬが仏 寝た子を起こすな では済まないのですよね。
5月31日になっても
事実に基づく警告をしなかったので
「今後も噴火活動が続き
溶岩の噴出、火砕流、土石流の発生が続くと思われるので
厳重な警戒が必要」
「これ以上大きな規模の火砕流が起きないとの保証はない」
避難勧告ではなかった。
報道関係者に危機感がないまま
6月3日に発生した火砕流に
無断で立ち入っていた報道関係者
それを取り締まっていた警察・消防関係者を中心に
死者43名が呑まれる
大惨事になりました。
有名な火山学者夫妻も含まれる。
住民にも危機意識はなかったのですが
切羽詰まった状況とは知らず
遠くに火砕流を見ても土煙だと捉え
農作物の収穫などを第一に考えていた。
朝から降り続いた雨により土石流発生を警戒して避難したり
たまたま開催された祝賀会のために
前日に行われた島原市議会選挙の当選者を祝う会
他の町にいたことで難を逃れたそうです。
でもPTSD予防は必要かも
43人が犠牲になった長崎県雲仙・普賢岳大火砕流から33年となった3日、被災者が集団移転した島原市仁田町の「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」前では献花台が設けられ、花を手向ける人がありました。大火砕流が発生した午後4時8分にはサイレンが市全域に流されます。… pic.twitter.com/zFjSjnyKs7
— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) June 3, 2024