本日は ヴァージニア・ウルフさんのお誕生日です。
主婦休みの日でもあるのですが
女性が小説を書こうとするなら
女子教育が軽んじられていた
ヴィクトリア朝時代と
トラウマが融合し
フェニミズム的作風となったことも評価された。
お金と自分だけの部屋を持たなければならないという
評論でも知られています。
『自分だけの部屋』
複雑な家庭に育ち
両親はともに再婚で
一家には3つの婚姻による子どもが8人いた。
その7番目
家族の精神状態もよくなかったようで
― 父親は自己中心的で気が短く「暴君」のように振る舞う。
― ― 母親はその対応に追われ子どもたちは寂しい思いをする。
異母姉は知的障害で施設入所
兄も若くして亡くなっている。
13歳の時実母が48歳で急死
父親は絶望と自己憐憫を子どもにぶつける。
2年後に異父姉が亡くなったことで
母親代わりだった。
神経衰弱を発症し
不眠、不安感、食欲減退…発作のデパート
窓から飛び降りで自殺未遂
内実はPTSD
躁うつ病なども併発し
この頃には睡眠薬のODも
父親の死亡では入院するほどになり
ドストエフスキーと父親の関係に似て複雑
ロンドン大空襲で家を焼かれたことで
病状は最悪となり
幻聴も聴こえ
― 読むこともできない。
執筆に集中できなくなり
今回は乗り越えられないと遺書
疎開先で
コートのポケットに石をつめて
川で入水自殺するまで
治癒することはありませんでした。
家族の死がとくに堪えたように見えますが
一番の原因は
異父兄2人からの性的虐待ではないかという研究が有力です。
一時的に脳内性転換した時代の作品がある。
子ども時代の最も鮮明な記憶が
ロンドンの自宅のものではなく
毎年夏を過ごした土地でのことだというのも
『灯台へ』の下敷き
そのためかもしれません。
意識の流れ手法で描かれたところなど
陳腐なまでの平凡な日常に
第一次大戦で深刻な心の傷を負って
帰還した労働者階級の復員軍人の一日を挿入するなど
意識の流れのままをたどる。
『君たちはどう生きるか』とオーバーラップします。
空襲 母の死 疎開 石
流入 キメラ的時空
「人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく
動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」
意識の流れは当時いろんな作家に影響を与えた。