十牛図」カテゴリーアーカイブ

十牛図第十図① PTSDへの非指示的方法は復活するか

入?垂手 にってんすいしゅ
PTSD研究家翠雨の日記

悟りの過程の
 ―自己実現も小さな覚りと考えましょう
  オリンピック選手も私も二本足で走ります。
  腕を振ります。
  タイムが違うだけ叫びあせるです。
最後の図です。

入?は町に出て
垂手は手を垂れて

手を垂れて何をするか。

不安な面持ちで
自分探しをし
自分と格闘し
こころ豊かに強くなった
左の賢人は
右の若者を導くのですが、

上から目線で目
あーだこーだと
指示するのではないということです。

自分がそうだったように
この若者に考えてもらい、
発見してもらい
気づいてもらいます。

ロジャーズの考え方であり
心理療法の基本でもあります。

この考え方もまた
復活するかもしれません。

そしたらPTSDの方々も
生きやすくなるでしょう。

だれが生きにくく
してたのでしょうねニコニコ
続きを読む

十牛図第十図① PTSDへの非指示的方法は復活するか

入鄽垂手 にってんすいしゅ
PTSD研究家翠雨の日記
悟りの過程の
 ―自己実現も小さな覚りと考えましょう
  オリンピック選手も私も二本足で走ります。
  腕を振ります。
  タイムが違うだけ叫びあせるです。
最後の図です。
入鄽は町に出て
垂手は手を垂れて
手を垂れて何をするか。
不安な面持ちで
自分探しをし
自分と格闘し
こころ豊かに強くなった
左の賢人は
右の若者を導くのですが、
上から目線で目
あーだこーだと
指示するのではないということです。
自分がそうだったように
この若者に考えてもらい、
発見してもらい
気づいてもらいます。
ロジャーズの考え方であり
心理療法の基本でもあります。
この考え方もまた
復活するかもしれません。
そしたらPTSDの方々も
生きやすくなるでしょう。
だれが生きにくく
してたのでしょうねニコニコ

『崖の上のポニョ』と十牛図第七図

PTSD研究家翠雨の日記

なぜ
これがあのかわいいポニョと
関係があるかわかりますか?

$PTSD研究家翠雨の日記

『崖の上のポニョ』は
世紀の公案小説です。

漱石の『門』が下敷きです。

つなぐのはソースケ
 宗助と宗介

崖の上と崖の下

一見全く違う物語に
共通【モチーフ】【元型】があります。

悟りの過程も
自己実現の過程も
程度の差があるだけで

メカニズムは同じです。

PTSDになると
禅僧でなくても
公案を解かねばならなくなるのです。
続きを読む

『崖の上のポニョ』と十牛図第七図

PTSD研究家翠雨の日記
なぜ
これがあのかわいいポニョと
関係があるかわかりますか?
$PTSD研究家翠雨の日記
『崖の上のポニョ』は
世紀の公案小説です。
漱石の『門』が下敷きです。
つなぐのはソースケ
 宗助と宗介
崖の上と崖の下
一見全く違う物語に
共通【モチーフ】【元型】があります。
悟りの過程も
自己実現の過程も
程度の差があるだけで
メカニズムは同じです。

PTSDになると
禅僧でなくても
公案を解かねばならなくなるのです。

十牛図十図  社会活動するようになる

PTSD研究家翠雨の日記

存在の不安から
仕方なく始まった
苦闘でしたが

こんなにゆったりしたひとに
変化しました。

太るってことじゃないから
ご安心を!

着物の着方がだらしない?

これはスーパーリラックスを
象徴してます。

かのダライラマみたいな感じかな…

人前でも寛いでるでしょう。

あんな感じ。

不安げな若者
 ―いつかの自分みたいな

近寄ってきます。

偉そうに武勇伝語るんでもなく
先輩づらするのでもなく

非指示で導きます。

導くことで
新しい課題に取り組み始めます。

個性化の過程は
永遠に続きます。
それが生きているということです。
続きを読む

十牛図三図  非指示&自己克服のコード

PTSD研究家翠雨の日記

自分を見失って
不安でした。

なのに
だれも
どうしていいか
教えてくれませんでした。

こんなんじゃ
探せっこないじゃないですか!
と思いましたが

しかたがないので
 ―仕方がないのがコツですひらめき電球
あきらめずに
自分なりに探してたら

みつかりました!

この人走り出してます目
これが大事です。

いくら辛くても
難しくても
自分で発見したら
エネルギーが沸いてくるんです。

それでがんばれるんです。

上から目線で指示しちゃ
これが出てこないし

不安を
抗不安剤で
収めようとしたら
牛が暴れて
大変なことになります。
続きを読む

十牛図六図  影の統合

PTSD研究家翠雨の日記

牛は
真の自己の象徴です。

インドでは聖牛
中国では生活や農耕に
なくてはならないもの

普段は静かだけど
怒らせると
手がつけらなくなり
生命の危険にさらされる
こともある。

トラウマや
ユングの影と考えても
分かりやすいです。

この図のように
人と牛
つまり自我と自己
2つのこころが調和したら
いいのですが

ここまでくるのが
なかなか大変とも
言えます。

でも
ここまでくることが
絶対できるんだと確信して
あきらめないことが
肝要でしょうね。
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十牛図十図  社会活動するようになる

PTSD研究家翠雨の日記
存在の不安から
仕方なく始まった
苦闘でしたが
こんなにゆったりしたひとに
変化しました。
太るってことじゃないから
ご安心を!
着物の着方がだらしない?
これはスーパーリラックスを
象徴してます。
かのダライラマみたいな感じかな…
人前でも寛いでるでしょう。
あんな感じ。
不安げな若者
 ―いつかの自分みたいな
近寄ってきます。
偉そうに武勇伝語るんでもなく
先輩づらするのでもなく
非指示で導きます。
導くことで
新しい課題に取り組み始めます。
個性化の過程は
永遠に続きます。
それが生きているということです。

十牛図三図  非指示&自己克服のコード

PTSD研究家翠雨の日記
自分を見失って
不安でした。
なのに
だれも
どうしていいか
教えてくれませんでした。
こんなんじゃ
探せっこないじゃないですか!
と思いましたが
しかたがないので
 ―仕方がないのがコツですひらめき電球
あきらめずに
自分なりに探してたら
みつかりました!
この人走り出してます目
これが大事です。
いくら辛くても
難しくても
自分で発見したら
エネルギーが沸いてくるんです。
それでがんばれるんです。
上から目線で指示しちゃ
これが出てこないし
不安を
抗不安剤で
収めようとしたら
牛が暴れて
大変なことになります。

十牛図六図  影の統合

PTSD研究家翠雨の日記
牛は
真の自己の象徴です。
インドでは聖牛
中国では生活や農耕に
なくてはならないもの
普段は静かだけど
怒らせると
手がつけらなくなり
生命の危険にさらされる
こともある。
トラウマや
ユングの影と考えても
分かりやすいです。
この図のように
人と牛
つまり自我と自己
2つのこころが調和したら
いいのですが
ここまでくるのが
なかなか大変とも
言えます。
でも
ここまでくることが
絶対できるんだと確信して
あきらめないことが
肝要でしょうね。