♪「たなばたさま」のうた
五色の短冊とは
やはり
五行説にあてはめた五色でしょう。
(緑・紅・黄・白・黒)

本家中国では
五色の糸をつるすそうです。
― 大相撲では垂れ幕(黄色は土俵) ←織姫と彦星みたいな危機!
寺や寺院にも5色の布ありますね。
象徴的な1つの
宇宙をそこに具現化したものです。
―その守られた空間で遊ぶことが大事です。
巨大な箱庭療法ですね。
日本中がリカちゃんハウス状態です。
節句の1つでもあります。 ←文化がPTSDを癒す
人日(1月7日)
上巳(3月3日)
端午(5月5日)
七夕(7月7日)
重陽(9月9日)
織姫は天帝の娘で
機織の上手な働き者の娘
夏彦星(彦星、牽牛星)も
わし座のアルタイルで
働き者
天帝は二人の結婚を認めますが
うれしくて楽しくて
働かなくなったんですね。

男女も陰陽
恋愛は大事ですが
そこで完結してたら ←自己完結を嫌うのです。
太極図が腐ってしまいます。
常に【一太極二陰陽】で
変化してゆかねば
PTSDになってしまう国なのでね。 ←永遠のトラウマがあるのです。
働くは
はたらく=傍を楽にするで ←機織ともかけてある?
外に向けて発展していくことです。
天帝は怒り
二人を天の川を隔てて引き離しました。
―反省させるためですね。
生産的な罰です。
今日だけは会うことを許されてますが
雨が降ると
天の川の水かさが増し
逢えませんね。
催涙雨というそうです。
二人に【投影的同一視】する日本人は
天帝に負けず(古い常識・殺仏殺祖)
花火やろーそくもらい(北海道)で
助けようとするのです。
【水剋火】の法則で
火は弱いのですが
強化したら勝てるって発想ですね。
ちゃんとルールを守りながら
常識と闘ってきたのですよ。
PTSDの闘いの伏せんは
ここにもあります。
「易陰陽五行説」カテゴリーアーカイブ
田辺聖子さんに学ぶけんかの極意
大阪では
けんかするのに
カンカンになるのは
最低だそうです。
赤目つる って
言うんですって!
充血させた目を
つりあげて
頭に血を上らせて
カンカンになって
まくしたてなきゃ
けんからしくないような
気がしますが
…
そう書いてたら
馬鹿らしくなってきました。
なんで
そんなことしなきゃ
ならないか
ってことですよね。
大阪では
けんかするにも
笑わせないといけないんだそうです。
おばあちゃんが孫に
日頃からそう教える。
孫は
「無理だよ。おばあちゃん」って
思います。
でも
いつのまにか
赤目つってけんかする
愚を回避し
落ち着いて
言い分を通せる技術を
身に着けてゆく。
忍法【陰陽】ですね
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田辺聖子さんに学ぶけんかの極意

大阪では
けんかするのに
カンカンになるのは
最低だそうです。
赤目つる って
言うんですって!
充血させた目を
つりあげて
頭に血を上らせて
カンカンになって
まくしたてなきゃ
けんからしくないような
気がしますが
…
そう書いてたら
馬鹿らしくなってきました。
なんで
そんなことしなきゃ
ならないか
ってことですよね。
大阪では
けんかするにも
笑わせないといけないんだそうです。
おばあちゃんが孫に
日頃からそう教える。
孫は
「無理だよ。おばあちゃん」って
思います。
でも
いつのまにか
赤目つってけんかする
愚を回避し
落ち着いて
言い分を通せる技術を
身に着けてゆく。

忍法【陰陽】ですね
祇園祭り山鉾巡行順番決まる
陰陽五行説の具現化
祇園まつりの準備
着々と進んでいます。
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祇園祭り山鉾巡行順番決まる
陰陽五行説の具現化
祇園まつりの準備
着々と進んでいます。
木魚とおりんの無意識世界
木魚とおりんです。
いろんな意味が
あると思いますが、
陰陽五行説からすると
木魚は【木気】 春 東
おりんは【金気】 秋 西
ちんどんやさんが
「とーざい!とーざい」って
人を呼ぶのと
同じです。
東から西まで
春から秋まで
そこに1つの世界が
湧き出しているという
舞台設定を示しています。
木魚とおりんで
瞑想(坐禅)の世界を
作り出しているのですね。
それは
自分の無意識を
観察することに
他なりません。
みなさんも
気が散るようなら
音を使って
工夫してみてはどうでしょう
お奨めしませんが
パチンコ屋さんって
案外雑念飛ぶそうですよ
お奨めしませんがね…
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木魚とおりんの無意識世界
PTSDにおける自力と他力② ポニョみたいに駆け抜ける
鈴木大拙は
さらに続けます。
<意識して努力の極点に及ぶというと
もうこれ以上はできぬと思うところがある。
ここを突破する、
いわゆる百尺竿頭一歩進めるというか
ともかくも一歩踏み出すというと
ここに別天地が拓けてくる。
そこに自分の意識していなかった力が
働き出る>
百尺竿頭は
如人千尺懸崖上樹と同じこと
(ポニョ 崖の上の でしたね!)
30メートルも
300メートルも
怖いのは同じ
怖すぎてできない?
こんなの禅僧の専売特許だろ?
そうあきらめてほしくないから
宮崎駿は
『崖の上のポニョ』を
泣きながら苦労して創り
ポニョに
自力から他力への抜けを
―海の底から崖の上の宗助の家へ
行きたい!という一念で駆け抜ける。
海底の世界と
新しい家は繋がっています。
つながっているなら
それでいいとは
なかなか思えませんね。
つながっているのだから
見えないだけで
道はあるのだから
駆け抜けるのです。
続きを読む
PTSDにおける自力と他力① 誤解されがちな他力
<自力というのは
自分が意識して、自分が努力する。
他力は、
この自分がする努力は
もうこれ以上にできぬというところに
働いてくる。
他力は自力を尽くしたところに
出てくる。
窮すれば通ずるというのも
これである>
鈴木大拙『禅とは何か』からです。
自力は普通に言われている意味で
まちがいないと思います。
他力は誤解されやすいですね。
1つは
他力本願という風に使って
依存的ながんばらない性質を
指すことが多いです。
しかし他力本願は本来
すごい言葉です。
2つめは
自力と他力
言葉にしてしまえば
真逆です。
男女
天地
白黒
大小
長短
善悪
…
陰陽ですね。
これが繋がっている
片方を尽くせばいつのまにか
真逆になるという発想です。
自力の中に他力もある
他力の中に自力もある
そういう視点も大事ですが
―自力だと思っていても
それをさせてもらってる恩恵は
あるし
他力だと思っていても
自力を認められてのこと
だったりする。
PTSDに関しては
もう1つ
先に
鈴木大拙の書いているような
自力から他力への抜けが
肝要にになると
感じています。
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PTSDにおける自力と他力② ポニョみたいに駆け抜ける
鈴木大拙は
さらに続けます。
<意識して努力の極点に及ぶというと
もうこれ以上はできぬと思うところがある。
ここを突破する、
いわゆる百尺竿頭一歩進めるというか
ともかくも一歩踏み出すというと
ここに別天地が拓けてくる。
そこに自分の意識していなかった力が
働き出る>
百尺竿頭は
如人千尺懸崖上樹と同じこと
(ポニョ 崖の上の でしたね!)
30メートルも
300メートルも
怖いのは同じ
怖すぎてできない?
こんなの禅僧の専売特許だろ?
そうあきらめてほしくないから
宮崎駿は
『崖の上のポニョ』を
泣きながら苦労して創り
ポニョに
自力から他力への抜けを
―海の底から崖の上の宗助の家へ
行きたい!という一念で駆け抜ける。
表現させたのですよ。

海底の世界と
新しい家は繋がっています。
つながっているなら
それでいいとは
なかなか思えませんね。
つながっているのだから
見えないだけで
道はあるのだから
駆け抜けるのです。







