枝雀落語」カテゴリーアーカイブ

古典落語『くしゃみ講釈』にみるトラウマによる怒りと記憶障害

講釈師に
恋路を邪魔された
悔しさ残念さ恥ずかしさの
コンプレックスから
怒り心頭の男
すぐに仕返しをと
考えますが
分別のある男に
それでは
営業妨害で逮捕されるよと
諭され
講釈場で
こしょうをくすべ
くしゃみで
話すことができないように
させることにします。
そのために
①八百屋で
②2銭分の
③胡椒  を
買いに行くのですが…
胡椒を手に入れるための
たったこの3つが
覚えられない
のです。
(普通は半ば無意識的に
頭に入ると思いますが)
昔から
物覚えは悪かったようですが
ちいさな領域しかない
意識の場が
怒りに覆われてしまって
いるからでしょう。
トラウマの否認から
怒りの段階に進歩しても
まだまだ
記憶の障害や
現実検討能力
適応性への
トラウマの介入は
相当なものです。

落語『代書屋』の存在論

PTSD研究家翠雨の日記

『代書屋』
という演目が
あります。

昔の町のひとたちは
今の私たちほど
学校にも行ってませんから

字が書けなかったりします。

それで
履歴書なんかが必要なときに
代書屋に行ったりするのです。

でも
履歴書がいるような
仕事につくのは
結構エリートかもしれないですね。

字を知らない人は
言葉もあまりわかりません。

同じ言葉もちょっと堅苦しく言うと
わかりません。

分かっていない
ということも
わかってなかったりしますし

自分と他人の
知識の違いに思いを馳せることも
なかったりします。

それが面白さの1つなのですが…

代書屋が
履歴書に書く名前をやっとのことで
聞き出し
(山田留吉という名前だったとして
 普段「トメ」としか
 呼ばれていなかったりしますから)

「生年月日は?」と聞くと
「…いやぁ、恥ずかしいことですが
 どうも、それが家にはないみたいなんですぅ…」

観客はここでどっと笑います。

この笑いはナンだろう?と
ちょっと思いました。

人をバカにする笑いではないはずです。

【存在論】って言葉が
思い浮かびました。

哲学なんていうと
自分には関係がないと思ったりしますが、

生年月日がない人がいないように
存在していない人はいないし
存在がいい加減にされて平気な人はいない。

さすが禅問答から派生した
文化だなぁ
哲学的だなぁ

と思いました。
続きを読む

落語『代書屋』の存在論

PTSD研究家翠雨の日記
『代書屋』
という演目が
あります。
昔の町のひとたちは
今の私たちほど
学校にも行ってませんから
字が書けなかったりします。
それで
履歴書なんかが必要なときに
代書屋に行ったりするのです。
でも
履歴書がいるような
仕事につくのは
結構エリートかもしれないですね。
字を知らない人は
言葉もあまりわかりません。
同じ言葉もちょっと堅苦しく言うと
わかりません。
分かっていない
ということも
わかってなかったりしますし
自分と他人の
知識の違いに思いを馳せることも
なかったりします。
それが面白さの1つなのですが…
代書屋が
履歴書に書く名前をやっとのことで
聞き出し
(山田留吉という名前だったとして
 普段「トメ」としか
 呼ばれていなかったりしますから)
「生年月日は?」と聞くと
「…いやぁ、恥ずかしいことですが
 どうも、それが家にはないみたいなんですぅ…」
観客はここでどっと笑います。
この笑いはナンだろう?と
ちょっと思いました。
人をバカにする笑いではないはずです。
【存在論】って言葉が
思い浮かびました。
哲学なんていうと
自分には関係がないと思ったりしますが、
生年月日がない人がいないように
存在していない人はいないし
存在がいい加減にされて平気な人はいない。
さすが禅問答から派生した
文化だなぁ
哲学的だなぁ
と思いました。

能もすなるPTSD啓蒙を落語でも!『幽霊の辻』

能のお話には

恋愛などで
この世に
恨みを残した幽霊や

戦争ばかりしてきた
武将の浮かばれない霊が

出てきて

お坊さんが
話を聞いてあげることで
成仏させる

そういうのが多いです。

PTSDを
簡潔に示していますね。

黙って聴いてもらうことで
思い出され
癒される
記憶があるのです。

霊は記憶ですね。

傾聴で記憶として
成仏させなくてはなりませんが…

その前に
こころが傷つき
トラウマとなることを
知らない人
認めようとしない人が
(怖いからでしょうが)
多いので

啓蒙のための
落語もありますよ。

『幽霊の辻』です。

PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記

PTSDのパターンが
示されています。

うまく取り込めなかったので
YOU TUBEなどで
観てみてください。
続きを読む

桂枝雀さんと『崖の上のポニョ』とかけて…

『十牛図』の悟りの過程は
自己実現の過程と一緒だ!

なんて言うと

一緒くたにするな!と
お叱りをうけるかもしれませんが

翠雨のポニョ理論では
一緒ですよ。
$PTSD研究家翠雨の日記
  一  即  多 =一緒くた

ちょっと苦しくなってきたので
桂枝雀さんに助けてもらいますドキドキ

『鷺とり』という演目があります。

鷺を酔わせて
捕まえようと
考えます。

「酔うてしもたら
鷺も人間も
そう変わりまへんで!」

 ―宮沢賢治みたいな方です。

PTSD研究家翠雨の日記
枝雀という名も
【如千尺懸崖上】っぽいですね。
ポ如    崖の上の

破天荒でポニョみたいに
かわいいさんです。

桂は陰陽五行的に
いい名前です。
土が2つ  
土気は陰陽を司りますからね。
それが2つも…叫び
なんともパワフルです。

こころの深いところでは
動物も人間も
聖者も凡人も
現実も漫画も
一緒くたなんですよ。
  ―それが無意識分析のコツです。
   夢で空を飛ぶのは
   常識では解けない!

唯識では
『阿頼耶識は異熟するなり』

そんな怒涛のなかで
人類は進化しているんです。

誰ですか?

100年前に
先祖がえりした
心理学を
PTSDに苦しむ人々に
押し付けてるのは!
続きを読む

能もすなるPTSD啓蒙を落語でも!『幽霊の辻』

能のお話には
恋愛などで
この世に
恨みを残した幽霊や
戦争ばかりしてきた
武将の浮かばれない霊が
出てきて
お坊さんが
話を聞いてあげることで
成仏させる
そういうのが多いです。
PTSDを
簡潔に示していますね。
黙って聴いてもらうことで
思い出され
癒される
記憶があるのです。
霊は記憶ですね。
傾聴で記憶として
成仏させなくてはなりませんが…
その前に
こころが傷つき
トラウマとなることを
知らない人
認めようとしない人が
(怖いからでしょうが)
多いので
啓蒙のための
落語もありますよ。
『幽霊の辻』です。
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
PTSDのパターンが
示されています。
うまく取り込めなかったので
YOU TUBEなどで
観てみてください。

桂枝雀さんと『崖の上のポニョ』とかけて…

『十牛図』の悟りの過程は
自己実現の過程と一緒だ!
なんて言うと
一緒くたにするな!と
お叱りをうけるかもしれませんが
翠雨のポニョ理論では
一緒ですよ。
$PTSD研究家翠雨の日記
  一  即  多 =一緒くた
ちょっと苦しくなってきたので
桂枝雀さんに助けてもらいますドキドキ
『鷺とり』という演目があります。
鷺を酔わせて
捕まえようと
考えます。
「酔うてしもたら
鷺も人間も
そう変わりまへんで!」

 ―宮沢賢治みたいな方です。
PTSD研究家翠雨の日記
枝雀という名も
【如千尺懸崖上】っぽいですね。
ポ如    崖の上の
破天荒でポニョみたいに
かわいいさんです。
桂は陰陽五行的に
いい名前です。
土が2つ  
土気は陰陽を司りますからね。
それが2つも…叫び
なんともパワフルです。
こころの深いところでは
動物も人間も
聖者も凡人も
現実も漫画も
一緒くたなんですよ。
  ―それが無意識分析のコツです。
   夢で空を飛ぶのは
   常識では解けない!
唯識では
『阿頼耶識は異熟するなり』
そんな怒涛のなかで
人類は進化しているんです。
誰ですか?
100年前に
先祖がえりした
心理学を
PTSDに苦しむ人々に
押し付けてるのは!

落語『鷺とり』と古事記『因幡の白兎』に共通して見られるPTSDモチーフ 

落語『鷺とり』は
サギをだますことで
楽して
大もうけしようとして

大失敗
天王寺の五輪の塔の上に
放置され

お坊さんたちに
助けてもらった話です。
(お坊さんは亡くなりましたよ)

因幡の白兎は
ワニをだまして
海を渡ろうとし
毛皮をはがれて
赤ウサギになり
うその治療を信じて
瀕死の重態に陥ったところを
大国主命に
助けられる
お話です。

ぜんぜん違うお話ですが
モチーフが似てますね。

これが
PTSDモチーフだと思います。

動物は
無意識つまりは
内なる自然のこころですね。

それを
だまそうとすると
(ウサギも男も
軽い気持ちで
あまり考えず
無意識ですが)

逆に手ひどいしっぺ返しにあうという
こころのメカニズムを
教えています。

救われるから
あきらめてはいけませんが

助けようとする人は
稀で(古事記では80人に一人)あり

いじめられたりしている人が多いし
治療に巻き込まれて死んでしまった人も
います。
(多くは比喩ですが、
まれにそのままの場合もあります)
続きを読む

落語『鷺とり』にみられる行動療法

同じ大きさの音ならば

近くで聞くと
大きな音に聞こえ

遠くで聞くと
小さな音に聞こえますね。

そして
あんまり離れると
聞こえません。

ある男が
この法則を応用して
サギをだまして
捕まえようと
考えました。

どうするか?

サギから遠く離れた場所で
大声で「サギぃ!」
と呼びます。

サギは
『誰かが近くで
自分を呼んでるが
いないなあ。
気のせいかなあ』と
油断します。

サギにもう少し近づき
さっきより小さな声で
「サギぃ!」と呼びます。

サギは
『確かに呼ばれてるけど
いないなあ。
それに遠ざかってるなあ』と
さらに油断します。

さらに近づいて小さな声で呼び

サギにだんだん接近しながら
油断させて
捕まえるというのです。

理屈は面白いですが
実際に行うと
うまくいかなかった

ようです。

PTSD治療に有効として
最近新聞なんかでよく見かける
行動療法みたいです。

サギの用心深いこころを
相手に(悪用ですが)して
います。


人間の心は見えないし
つかめないから
行動を修正したらよい、
行動が変われば
こころも変化するから
という考え方
です。

カウンセラーの方は
楽ですよニコニコ
メニューを考えて
指示するだけですから。
(普通に良心あれば
だんだん辛くなってきますがね。
そこは【抑圧】【否認】ドクロ

心理療法の基本は
【非指示】ですから
真逆です。

ご自身もうつ病を
患っておられたそうですし

作品のなかには
PTSDで発狂した人の
事例集みたいな
ものさえあります。

枝雀さんも
いろいろ
普遍的に存在する
PTSDを
どうしたらよいのか

考えておられたのではないかな?
と思います。

そして将来流行する
(ユング心理学より
寿命は短いと思いますが)
【行動療法】について

ちょっと風刺してる
(作品自体は古典かも
しれませんが…)

そんな気がします。
続きを読む

落語『鷺とり』と古事記『因幡の白兎』に共通して見られるPTSDモチーフ 

落語『鷺とり』は
サギをだますことで
楽して
大もうけしようとして
大失敗
天王寺の五輪の塔の上に
放置され
お坊さんたちに
助けてもらった話です。
(お坊さんは亡くなりましたよ)
因幡の白兎は
ワニをだまして
海を渡ろうとし
毛皮をはがれて
赤ウサギになり
うその治療を信じて
瀕死の重態に陥ったところを
大国主命に
助けられる
お話です。
ぜんぜん違うお話ですが
モチーフが似てますね。
これが
PTSDモチーフだと思います。
動物は
無意識つまりは
内なる自然のこころですね。
それを
だまそうとすると
(ウサギも男も
軽い気持ちで
あまり考えず
無意識ですが)
逆に手ひどいしっぺ返しにあうという
こころのメカニズムを
教えています。
救われるから
あきらめてはいけませんが
助けようとする人は
稀で(古事記では80人に一人)あり
いじめられたりしている人が多いし
治療に巻き込まれて死んでしまった人も
います。
(多くは比喩ですが、
まれにそのままの場合もあります)