落語『代書屋』の存在論

PTSD研究家翠雨の日記

『代書屋』
という演目が
あります。

昔の町のひとたちは
今の私たちほど
学校にも行ってませんから

字が書けなかったりします。

それで
履歴書なんかが必要なときに
代書屋に行ったりするのです。

でも
履歴書がいるような
仕事につくのは
結構エリートかもしれないですね。

字を知らない人は
言葉もあまりわかりません。

同じ言葉もちょっと堅苦しく言うと
わかりません。

分かっていない
ということも
わかってなかったりしますし

自分と他人の
知識の違いに思いを馳せることも
なかったりします。

それが面白さの1つなのですが…

代書屋が
履歴書に書く名前をやっとのことで
聞き出し
(山田留吉という名前だったとして
 普段「トメ」としか
 呼ばれていなかったりしますから)

「生年月日は?」と聞くと
「…いやぁ、恥ずかしいことですが
 どうも、それが家にはないみたいなんですぅ…」

観客はここでどっと笑います。

この笑いはナンだろう?と
ちょっと思いました。

人をバカにする笑いではないはずです。

【存在論】って言葉が
思い浮かびました。

哲学なんていうと
自分には関係がないと思ったりしますが、

生年月日がない人がいないように
存在していない人はいないし
存在がいい加減にされて平気な人はいない。

さすが禅問答から派生した
文化だなぁ
哲学的だなぁ

と思いました。

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