立松さんのファンとかでは
ないのですが…
革命家としての
道元が
私は好きです。
もちろん
そんな人の思想は
いいに決まってる。
貴族の家に生まれながら
3歳で母親
8歳で父親を失い
出家したのです。
トラウマティックな問題を
抱えて
昇華し
自己実現
(個性化の過程)
したのです。
そういう思想だから
今でも生きて
世界中に認められているのです。
読まずに否定する
ユング派は
ホットケ(仏)
続きを読む
立松さんのファンとかでは
ないのですが…
革命家としての
道元が
私は好きです。
もちろん
そんな人の思想は
いいに決まってる。
貴族の家に生まれながら
3歳で母親
8歳で父親を失い
出家したのです。
トラウマティックな問題を
抱えて
昇華し
自己実現
(個性化の過程)
したのです。
そういう思想だから
今でも生きて
世界中に認められているのです。
読まずに否定する
ユング派は
ホットケ(仏)
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坐禅専門家のブログも
拝見した。
悪い持病が出て
目が泳いで
妄想し始め…
思い出した!
昔から
癒しの方法として
祈りや瞑想などが
方法として
奨励されている。
―癒しは誤解が多い言葉だが
自己実現しないと人間は癒されない。
自己実現の前には必ず
苦悩がある。
でも…
★それが信じられなから ←信じたくない=否認
★いますぐ何とかしたいから
(悠長なことはしておれん!と ←誰に向かって?
怒り)
★苦痛だから
本気で向き合う人が少ない。
「過去の宗教くさいもの」と
【合理化】している。
高いところにあるブドウを
「あれはすっぱい」と
決めつけるキツネみたいな
ものだ。
教科書的には
【知性化】と言うのだが
誤解が多いから
あえてランク下の【合理化】と
私は呼ぶ。
合理化って聞くとまた
「合理的か。
そう私は合理思考ができる
おりこうさんなのよ」って
誤解されそうだが…
宗教と聞くだけで
アレルギーを起こしたり
無宗教だと威張るのも
この防衛機制が
働いている。
誰に向かって
怒るのか?
その【誰】をつかんだら
人間がいかに宗教的な存在か
わかるだろう。
坐禅する姿は
龍のようで
魔王もおののいて退散すると
道元は言ったが
確かに
この人の不動の坐禅は
私に妄想させ
気づかせる力があった。
真実はシンプルなのですが
人間が複雑にしたがるのでしょう。
続きを読む
坐禅専門家のブログも
拝見した。
悪い持病が出て
目が泳いで
妄想し始め…
思い出した!
昔から
癒しの方法として
祈りや瞑想などが
方法として
奨励されている。
―癒しは誤解が多い言葉だが
自己実現しないと人間は癒されない。
自己実現の前には必ず
苦悩がある。
でも…
★それが信じられなから ←信じたくない=否認
★いますぐ何とかしたいから
(悠長なことはしておれん!と ←誰に向かって?
怒り)
★苦痛だから
本気で向き合う人が少ない。
「過去の宗教くさいもの」と
【合理化】している。
高いところにあるブドウを
「あれはすっぱい」と
決めつけるキツネみたいな
ものだ。
教科書的には
【知性化】と言うのだが
誤解が多いから
あえてランク下の【合理化】と
私は呼ぶ。
合理化って聞くとまた
「合理的か。
そう私は合理思考ができる
おりこうさんなのよ」って
誤解されそうだが…
宗教と聞くだけで
アレルギーを起こしたり
無宗教だと威張るのも
この防衛機制が
働いている。
誰に向かって
怒るのか?
その【誰】をつかんだら
人間がいかに宗教的な存在か
わかるだろう。
坐禅する姿は
龍のようで
魔王もおののいて退散すると
道元は言ったが
確かに
この人の不動の坐禅は
私に妄想させ
気づかせる力があった。
真実はシンプルなのですが
人間が複雑にしたがるのでしょう。
歌手の宇多田ヒカル(27)さんが
無期限休業に入りましたね。
理由として
2つの説がささやかれています。
★「ネタ枯れ」
一般にアルバム3枚で
ネタが尽きるそうです。
尾崎豊にも
おなじ苦しみがあったようですが
彼女は
15歳でデビューしているから
青春時代がなかったわけで
ハンディがあるわけです。
★ストレス説
卵巣腫瘍摘出手術
結婚、離婚
両親の不和もあったかな? ←ちょっと心配ですね。
2年前のブログでは
「悪夢にうなされて」
自分で作った
腕のアザの話を綴っており ←これは…
“激やせ”ぶりを ←リセット始まってますね。
心配する声も上がって
います。
ストレス説濃厚ですね。
ネタ枯れは
チャンスです。
創造の苦しみになりますが
道元も【枯木の龍吟】って ←『花咲か爺さん』
言ってますから…
どちらにしても
(両方にしても)
ちょっと大変な作業になりますね。
モラトリアム ←本来は悪い意味ではない
(エリクソンの猶予期間)
ということで…
歌手の宇多田ヒカル(27)さんが
無期限休業に入りましたね。
理由として
2つの説がささやかれています。
★「ネタ枯れ」
一般にアルバム3枚で
ネタが尽きるそうです。
尾崎豊にも
おなじ苦しみがあったようですが
彼女は
15歳でデビューしているから
青春時代がなかったわけで
ハンディがあるわけです。
★ストレス説
卵巣腫瘍摘出手術
結婚、離婚
両親の不和もあったかな? ←ちょっと心配ですね。
2年前のブログでは
「悪夢にうなされて」
自分で作った
腕のアザの話を綴っており ←これは…
“激やせ”ぶりを ←リセット始まってますね。
心配する声も上がって
います。
ストレス説濃厚ですね。
ネタ枯れは
チャンスです。
創造の苦しみになりますが
道元も【枯木の龍吟】って ←『花咲か爺さん』
言ってますから…
どちらにしても
(両方にしても)
ちょっと大変な作業になりますね。
モラトリアム ←本来は悪い意味ではない
(エリクソンの猶予期間)
ということで…
【汝欲見仏性 先須除我慢】
仏性を得たいなら
まず我慢をやめなさい
??
…
仏性は
ほとけの性質ですよね。
ほとけは
仏…人が無になる
↓
佛…無尽蔵に満たされる
弗 ←$ ドル箱・千両箱
無即無尽蔵
否定即肯定の世界です
【色即是空 空即是色】の【般若心経】の最初に
【観自在菩薩】って出てきますよね。
こういうのは実在するものじゃないんですよ。
これは心的イメージです。
―見たら安らかな気持ちになるのは【象徴】だからです。
二元論を離れて自由にものを
観察するこころの作用を
観自在というのです
その意味が知りたいなら
自分も菩薩(修行者)に入れたら
よいのです。
学費はいりません
そして問題は【我慢】
これは慢心のことです。
私の治療は完璧だ!
若造に門外漢に
何がわかるか!
などと思うこころです。
PTSDが蔓延するのは
治療家の慢心のためです。
続きを読む
無門関・第41則の
達磨安心(だるまのあんじん)です。
ダルマが壁に向かって
坐禅をしています。
雪の中に立ちつくす
二祖慧可(えか)は
ダルマが対応してくれないので
ついに意を決し、
自分の臂(ひじ)を
切り落として言いました。
「わたしの心はまだ不安であります。
どうか安心させてください」
ダルマが言った。
「心をここに持って来るがよい。
お前のために安らぎを与えてやろう」
慧可は言った。
「心を捜し求めましたが、
どうしても掴むことが出来ません」
ダルマが答えた。
「お前のためにもう安心させてしまったぞ」
…
みえないこころをめぐっての
自傷治療の根幹はここにあります。
治療者が真摯だと
クライエントも真剣です。
真剣と真剣のぶつかりあいです。
そこに伝統が
受け継がれるのです。
―クライエントのこころは癒え
伝統を次世代に伝える人になります。
いい加減な治療者しか
いないのを知っている
クライエントは
リストカットを繰り返し
責任放棄し(キレ)て
治らない!と言い
治療者は
「こころなんてないんだ!」と
詭弁を弄するふてぶてしさ…
確かに切りあってますね
―象徴的に切り合うべきところ
実際に切り合うのを
アクティング・アウトと言います。
治療失敗の証です。
こころはつかめるんですよ。
道元もそう書いてますからね。
昔からずっとそうなんです。
数年前
箱庭の学会のシンポジウムで
ユング派分析家の女性が
【心不可得(こころは捉えられない)】と
お坊さんに教えてもらって
喜んでました。
こんな自分に都合のよい研究者の前で
いくら箱庭置いても無駄です。
哀しいことです
続きを読む
【汝欲見仏性 先須除我慢】
仏性を得たいなら
まず我慢をやめなさい
??
…
仏性は
ほとけの性質ですよね。
ほとけは
仏…人が無になる
↓
佛…無尽蔵に満たされる
弗 ←$ ドル箱・千両箱
無即無尽蔵
否定即肯定の世界です
【色即是空 空即是色】の【般若心経】の最初に
【観自在菩薩】って出てきますよね。
こういうのは実在するものじゃないんですよ。
これは心的イメージです。
―見たら安らかな気持ちになるのは【象徴】だからです。
二元論を離れて自由にものを
観察するこころの作用を
観自在というのです
その意味が知りたいなら
自分も菩薩(修行者)に入れたら
よいのです。
学費はいりません
そして問題は【我慢】
これは慢心のことです。
私の治療は完璧だ!
若造に門外漢に
何がわかるか!
などと思うこころです。
PTSDが蔓延するのは
治療家の慢心のためです。
無門関・第41則の
達磨安心(だるまのあんじん)です。
ダルマが壁に向かって
坐禅をしています。
雪の中に立ちつくす
二祖慧可(えか)は
ダルマが対応してくれないので
ついに意を決し、
自分の臂(ひじ)を
切り落として言いました。
「わたしの心はまだ不安であります。
どうか安心させてください」
ダルマが言った。
「心をここに持って来るがよい。
お前のために安らぎを与えてやろう」
慧可は言った。
「心を捜し求めましたが、
どうしても掴むことが出来ません」
ダルマが答えた。
「お前のためにもう安心させてしまったぞ」
…
みえないこころをめぐっての
自傷治療の根幹はここにあります。
治療者が真摯だと
クライエントも真剣です。
真剣と真剣のぶつかりあいです。
そこに伝統が
受け継がれるのです。
―クライエントのこころは癒え
伝統を次世代に伝える人になります。
いい加減な治療者しか
いないのを知っている
クライエントは
リストカットを繰り返し
責任放棄し(キレ)て
治らない!と言い
治療者は
「こころなんてないんだ!」と
詭弁を弄するふてぶてしさ…
確かに切りあってますね
―象徴的に切り合うべきところ
実際に切り合うのを
アクティング・アウトと言います。
治療失敗の証です。
こころはつかめるんですよ。
道元もそう書いてますからね。
昔からずっとそうなんです。
数年前
箱庭の学会のシンポジウムで
ユング派分析家の女性が
【心不可得(こころは捉えられない)】と
お坊さんに教えてもらって
喜んでました。
こんな自分に都合のよい研究者の前で
いくら箱庭置いても無駄です。
哀しいことです