植松死刑囚の死刑が確定したそうです。
死刑を待っている状態だから死刑囚と呼ぶわけで
妙な話のようですが
さらには
損害賠償請求ですが
横浜地裁に再審を請求し
受理され
再審開始可否の判断待ち
~ 争点は時間?
地裁の裁判員裁判で罪を認めて
無差別大量殺人は明らかですから
解離人格のしたことを
主人格は認めるしかなかったでしょう。
山上コテツさん以上のパフォーマンスは
精神障害では無理です。
死刑判決となり
弁護団は控訴したのに
表面的なやり取りに関わらず
保護人格と主人格の意思の疎通がよくなかったのでしょう。
本人である死刑囚が控訴を取り下げたことについて
傍で見ていた弁護団によれば
「異常な精神状態の中で
公判の精神的苦痛から逃れるため」
弁護団が無効を訴えていたものです。
最高裁は高裁の判断を支持する決定
死刑囚となると
もれなく日々死の恐怖に伴走されてしまうのですが
そんな未来の恐怖より
この部分は
妄想でいかようにも抑圧可能
それをも包む公判中の恐怖が勝るということでしょう。
主人格は同じ結果とわかっているが
期待と落胆を分離しているので
(健康な場合に
サンタクロースなどいないと馬鹿にしつつ
プレゼントを楽しみにするような)
恐怖と感じることが可能
正しいかどうかではなくて
人格の主体があいまいかつ錯綜している。
それが当事者の感覚なのかもしれません。
きついクセ字で書かれた
妙な主張の怪文書を方々におくりつけるなど
堂々とした劇場型でしたが
内心はとても小心だったのですね。
トラ🐯にもいろいろありますが
ヒトラーとなれば
マヨラー・アムラー世代?
血統妄想とのボーダーっぽい領域ですね。
イエスキリストの生まれかわりとか
偉人のご落胤とか
この人はだいぶ妄想を支えてましたよ。
逮捕前の容疑者の心境は
応用するとわかりますね。