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『アガサ愛の失踪事件』は『君たちはどう生きるか』的PTSD解離性神隠し事件

本日は

アガサ・クリスティーが失踪した日だそうです。

つくられたPTSDとしての

普通の教育を受けず

11歳で父親が死亡してから

風変わりな母親のもと

空想の世界で育った。

問題を昇華したようにみえて

識字障害と共感能力の欠如がありながら

小説家として大成功

家の問題を描き続けながら

『ねじれた家』

PTSDの温床

ミステリーのなかに没入したときの謎が

ロンドン郊外の邸宅から失踪

映画『アガサ 愛の失踪事件(1979)』です。

大捜索から11日後にホテルで発見され

離婚を申し出ていた夫の愛人名で宿泊

2年の療養を経て

離婚が成立したという

2年後には再婚し

何事もなかったかのように平常運転

天寿を全う

事実以外の

ミステリーを推測したものです。

やはり

傷つきから解離したというものですから

神隠し事件ですね。

傷ついた大叔父は失踪したまま伝説のひとになった。

古井由吉『杳子』も殺人未遂で逮捕されるPTSD解離性薬害時代

本日がお誕生日の

古井由吉さんの

民俗学や病理学を駆使し

既成の日本語文脈を破る独自の文体で

人間の精神の深部に分け入る描写に特徴は

今はなき臨床心理学の事例研究のよう

代表作

『杳子』は

芥川賞受賞

とても繊細なヒロインが

とした

離人症

ここからどんな診断名にも転ぶ分岐点

病院に行く前日に

クスリを飲まないといけなくなるのは嫌だと

語るところで終わっています。

目の前にある高校の

テニスコートがうるさいからと

生徒を黙らせようと

怒鳴り込む人は昔からいましたが…

貯金箱など投げ込み

スプレー缶

に意味があるのでしょうか🤔

— 色即是空 空即是色

殺人未遂で逮捕された人物(46)

このマンションの10階から投げた(>_<)

殺意の塊になったようですが

「殺意もって投げた」

やはり薬害でしょうか。

昨日の9時半過ぎの犯行で

10時には通報

現場検証から

今朝の逮捕

スピード感がうらやましい…

プルースト効果@PTSD治療における記憶

本日はドストエフスキーが死刑宣告された日です。

これだけでも

既に発症している。

— てんかん

PTSD発症リスクになりますね。

頭のなかで

『モンテ・クリスト伯』みたいな物語が

理不尽な窮地からの復活を遂げる

— 普通は絶望するだけ

サバイバル精神

展開していたのではないかと想像します。

哲学的にもなるわけです。

また

プルーストの『失われた時を求めて』の

第1巻が刊行された日でもあります。

最も長い小説でありながら

14年かけての全13巻までの刊行は

ギネス世界記録認定

意味的には未完で

しかも晩年に至るまで謎の大幅改稿

睡眠薬によいと揶揄されるほどです。

登場人物が数百人でその関係も複雑

伏線が多くて構造がとらえにくい上に

メタファー(隠喩)が多いので

退屈で眠くなる

プルーストは

主人公に投影

あまり楽しくない幼少期を過ごしたようで

主人公は嫌な記憶しか覚えていなかった。

ふとそのことを思い出すことから

プルースト効果

心理療法で扱う無意志的記憶から

— トラウマ記憶を思い出そうとする出発点はマチガイ

自己治療が始まる。

社交に明け暮れるだけの

無駄で何の変哲もないと感じられる

自分の生涯の時間を綴ったものといえば

自伝的物語

記憶の物語と呼ばれている。

退廃的に聞こえますが

善悪・美醜の判断を加えず

ただ回想されるがままに従い

鋭い観察眼が

当時の様子を丹念に記録したものなので

歴史的身体?

時間を気にせずゆったりと味わえば

ここが最大の難関

面白く感じられるようになるそうです。

書き手も途中でこれに気づいてやり直す

きっかけが大事なのも

全部理解するとなると億劫だけど

1つの場面とかキーワードとか

ちょっとした箇所に意味を感じることができれば

没入できる

心理療法と似ていますね。

ユングも

自伝のなかで

プルーストとの違いとして

外界のことがほとんど書かれていない。

子どもの頃

虐められて頭を打ち

もう学校に行かなくてよいと思ったことを回想

幻聴として聴こえた

自分の神経症の原因は

虐められたからではなくて

トラウマのせいでPTSDを発症したと教えられ

— どんな発言も肯定されるべきだと拡大解釈まで

—— 傾聴の意味も曲解

永遠に止まっている当事者が多い

この考え方にあったと気づいたと回想しています。

感動的で素晴らしい作品を書きあげようなどと考えずに

表現することは重要なことです。

ミヒャエル・エンデの真人『君たちはどう生きるか』

本日は ミヒャエル・エンデ のお誕生日だそうです。

1929生まれ

戦争の影響を受け

生まれたころにはナチス台頭

画家の父が「退廃芸術家」の烙印を押され生活苦

— 吉野源三郎も大変な目に遭った一人

小学校で落第したりしますが

つくられた発達障害@PTSD

生命力は損なわれておらず

招集令状を破り捨て\(◎o◎)/!

森の中を夜間のみ80㎞歩いて

疎開していた母の所へ逃亡

反ナチス運動を手伝うまでになる反骨精神

シュタイナー学校をやめて

無意識のうちに

— 自然治癒力作動

西洋的自我から

禅の無我へのシフトが始まっていた。

演劇を学ぶようになったのちに

作家として大成したという

優れた禅僧は詩文に長じていたので

禅では

弟子を悟らせる専門家としての指導者を

作家(さっけ)と呼ぶ。

貴種流離譚の人です。

古事記のスサノヲから

『君たちはどう生きるか』の真人まで

『モモ』では

西洋の合理主義が問題になっていましたが

時間として

— アリエッティではこんな感じで

その後

1977年に

日本で禅僧に遭ってから

能や歌舞伎も鑑賞

作風が一変

『はてしない物語(1979)』は映画にもなりました。

『鏡のなかの鏡』は難解ですが

禅の公案から取られたタイトル

読ませる文章力が凄いのも禅の力かな🤔

虚無は絶対無でしょ😊

— 一太極二陰陽

こころの病も含めて

そもそも病気という概念が違う。

— 気を病んだ状態 = 神経症(ノイローゼ)

人間のこころの能力をもっと大事にしたいものですね。

エンデは

サインに

一無位の真人と添えたそうですよ。

Wahrer Mensch ohne Rang @臨済録

猛省望みます😉

フロイトの【父親殺し】 ~ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」から『君たちはどう生きるか』まで

本日お誕生日の

ドストエフスキー

1821‐1881

極めて心理学的な大文豪です。

ニーチェ

唯一無二の心理学者

「私の人生で最も美しい幸運の一撃だった」  👈ポジティブ

ツルゲーネフ

過剰に心理学的」             👈ネガティブ

フロイトも賞賛した『カラマーゾフの兄弟』ですが

「最も壮大な小説」と称賛し

論文「ドストエフスキーと父親殺し」研究

— フロイトが論文の表題に作家の名前を冠したことは極めて異例

12年前のドラマでおさらいすると

人魚姫をポニョにしたように

— 人類共通の原理はそのまま

日本に於いてみる

— 具体的な現象学としてちょっと見え方が違う

解離小説としてよりよく理解できます。

お父さんがの権化として描かれるのは同じで

DV の極致

誰からも嫌われ最後は惨殺されるモチーフ

— 超自我が壊れている ⇒ES(ID)の暴走

3人の息子に負の連鎖するのですが

父親によって自殺に追い込まれ

死後も冒涜され続ける母親の姿を

見せられた子どものトラウマ

原作と違い

絵に描いた解離小説で

突然脈絡なく事件が起きる。

— そんなわけはない

葛藤する苦悩が丹念に描かれます。

長男の同族嫌悪

— 憎みながら似てきてしまう。

次男の超リアリストにならざるをえない葛藤

— 冷酷な弁護士として描かれる

—— 父親の悪事を手伝わされる @『虐げられた人々』

——— 精神科医の犬🐶になるよう明記された公認心理師法みたいな話

———— そのせいで弟は弱者に噛まれ、4男?に介抱される。

三男が宗教的人格になるのは同じ

— 修行僧ではなく(昔の)精神科医に

—— 大学で習ったのは精神分析 優しい人格はそのまま

長男がキムタク風に描かれているのが印象的です。

カッコつけているつもりが

チャラく見える芸風が

痛々しいと酷評されるようになった。

キムタクと言えば

『君たちはどう生きるか』のお父さんは

カラマーゾフの3兄弟のお父さんを相当希釈したような人物で

母を亡くした主人公のこころの傷も癒えないうちに再婚

軍事産業で裕福になり成功体験しかなく戦死者への思いもゼロ

父親のせいで集団暴行に遭い

統合失調症状態のひきこもり(神隠し)へ

このお父さんの声を担当しているのがキムタクです。

キムタクは悪くないけど@俳優の宿命

— バケツをもったひと@中井久夫

イメージをつないでいるという媒介

宮崎駿の創作の源も

ドストエフスキーの父親も

カラマーゾフの3兄弟の父親も

宮崎駿の父親も原理的には同じモチーフで

その家に生まれた子どもは

苦悩を昇華する運命に置かれる。

フロイト流に言えば父親殺しなのでした。

諸悪の根源の父親は

母親殺し の過程に失敗したのかも🤔

マリーアントワネットという象徴@PTSD原理

イメルダ夫人ほど公費乱用したわけではなかったが

王政廃止により

抑圧されていた民衆の怒りが爆発

国政の敵とみなされ

処刑されてしまったのでした。

生まれた時からの気質が

修正されることなくきた

犠牲者かもしれず

— 性格が悪いと抹殺されるのは昔から

革命後

第二次世界大戦

お米があってもパンを食べなさいと言われてきた日本ですが

今年はお米買えるでしょうか🤔

パンがなければ菓子パンを食べたらというのは

ブリオッシュ

まだ外国の皇女(9歳)であったころに書かれた

結婚は15歳

ルソーの自伝『告白』6巻からの引用で

パンは農民の主食

マリーアントワネットの言葉としてまことしやかに伝わり

慣用句として使用される

世間知らずや傲慢さを示す

象徴的なことばです。

王妃らしい教育を受け

最期まで毅然と品位を保った。

実際は

寛大な慈善家で

耳に届く貧しい人々の惨状には心を痛めていたことから

『ベルサイユの薔薇』や

キラー・クイーン」』が生まれたのでしょう。

ストレスが身体に与える影響の誇張も象徴的存在ならではです。

ダイアナ妃や

日本の皇室へのバッシングのルーツも

最近は

愛子さま賞賛で

— 天皇になってほしいと

他の宮家が憂き目に…

このブラックボックス由来なのでしょう。

黒澤明からジブリそして『国宝』

黒澤明さんは

『善の研究』出版の一年前に生まれ

あなたもスタンプをGETしよう

クロの日に亡くなったそうです。

子ども時代は

知能的に遅れていて 😲

傾倒するドストエフスキーの『白痴』を

てんかん症状が良くなった主人公は

人として描かれ

ポニョのように波乱を巻き起こす。

札幌に於いた『白痴』の映画化は長年の夢だった。

— 人魚姫を日本に於くとポニョ

当時も

発達障害のことを白痴と呼んでいた@昔の教科書  が

処刑される直前に釈放された後遺症で

てんかん性の白痴にかかってしまっていたというもの

— 流行の病は先天性か後天性か  <  天才のつくられかた

黒澤作品は

強い人間信頼と人生肯定を特徴とし

現実社会で困難な状況に追い込まれた主人公が

それを契機にして人間的に再生する姿を描くことが多いとされる。

— 自己実現モデル

泣き虫のいじめられっ子だったけれども

周囲の人たちに助けられ

ポニョを助けた人たちのなかに立派な人はひとりもいない。

ポニョを保育所に持ち込む宗介は

当時は教育上好ましくないと思われていた

— 厳格な父親も映画だけは一緒に見せていた。

—— 視座と行動が違う。

映画を観ていた黒澤だったかも

—しかも今はなき西部劇

—— 原住民いじめ

いつしか類まれな才能が開花

黒澤映画も人間のあるべき姿を願望として描いていると指摘されている。

言論弾圧に耐えながらも

戦時中は国家がフィルム配給制限

終戦直後はGHQの検閲により非合法作品として上映禁止

戦後の日本映画を代表し

国際的にも有名で影響力のある監督の一人となりました。

スター・ウォーズシリーズに影響を与えたとは…

既にジブリとの思想つながりを書いてきましたが

大抵の作品には共同執筆者がいた。

「僕一人で書いていると大変一面的になるおそれがある」から

複眼で書いて編集

— とんぼの目

鮮やかな色彩で細部まで描き込んだ絵コンテ自体が

芸術作品として成立し

作品発表のたびに画集が出版されたこと

生きる意味を探求するというテーマをくり返し描いたこと

ただし通常の社会批判映画のような

犠牲者に観客の同情を集めたり

大衆に連帯をうながすという物語の形式を極端に避け

主人公は大衆をあてにせず

個人的な解決方法を取ることが多い。

晩年期の作品が

家族や師弟など身辺に目を向け

自伝的な要素が強くなったことは

宮崎駿に連なり

特徴とされる

ダイナミックな映像表現

外国人も参加

劇的な物語構成

ヒューマニズムを基調とした主題は

話題の『国宝』の元型であるような気もします。

黒澤も

時間をかけて俳優が役柄や性格をしっかりと掴み

演技が自然に見えるまで周到に稽古を重ねた。

カメラの動きを観客に意識させないようにしたこと

『君たちはどう生きるか』のような純粋経験

解離についても書いていた!

— ドストエフスキーですからね(^^♪

採用試験(小論文)で

「日本映画の根本的欠陥を例示し

具体的にその矯正方法を述べよ」に対し

根本的欠陥は矯正しようがない」という趣旨の内容で合格

会社は大学卒を採用するつもりだったが本人は中卒

アカデミー賞名誉賞の受賞スピーチに至っても

「私はまだ映画がよく分かっていない」とは

どこまでも東洋思想的な監督でしたね。

作品数に圧倒されますが

ゆっくり鑑賞したいと思いました。

サリエリはPTSD死し『アマデウス』で二次被害

本日は

アントニオ・サリエリのお誕生日です。

1750年のこと

宮廷楽長として

ヨーロッパ楽壇の頂点に立ち

歴史に残る音楽家たちを育てただけではなく

その余の苦学する弟子たちのための

慈善活動にも熱心だった

名教育家なのに

死後は

忘れられた存在でした。

人間は成長するために生きているから

あまりに自然な善人(神さま級)は記憶に残らない⁈

— それが時熟によりコペルニクス的転回でPTSD原理として浮上

—— 一太極二陰陽の弁証法

1979年に戯曲

その後の映画の『アマデウス』で

主人公として取り上げられたことで

イタリア派とドイツ派の対立の中で

イタリア派の象徴のようなサリエリが標的にされ

モーツァルトの作品を盗作した挙句

死に追いやったと誹謗中傷され

— 映画ではモーツァルトを死に追いやったと告白させられる二次被害(>_<)

精神病院で余生を閉じました。

— 死因は怪我

—— 誹謗中傷ストレスからの痛風(心身症)+ 視力低下

— 免疫力が働けば回復する@古事記

有名になりました。

追悼式で

自身の『レクイエム ハ短調』が初演されたことや

— 追悼式のために書いていた?

最後まで流暢なドイツ語が話せなかったのはさもありなん

盗作の疑いをかけられたのは

じゃんけん✊✌✋と同じで

嘘も自由には語れない。

タルティーニの孫弟子だったからではないでしょうか。

モーツァルトは

悪魔に作曲させるような才能を警戒した。

そして

芸術は一個人の自我が創りあげるものではないと知っていたから

慈善活動も熱心にしていたのではないかと🤔

まるで宗教家

もれなくついてくるいやがらせは天才の宿命

国分太一

本日早朝から

SNS上には

新聞死

TOKIO・国分太一さんが

こくぶんたいち なんですね。

自分 と 国分

芸能活動を休止する👀という報道が駆け巡り

午後の社長会見まで

集合的無意識上で予習がありました。

前座

― 春に桜をお囃子しなければならない@陰陽五行説 ように

神隠しの時間

実態がよくわからない

広末涼子さんは素面だったのか?とか

覚せい剤型妄想病の与沢翼さんどこ行った?とか

重要案件が続くものですね。

しかし

この構造には

否応なくこころが惹きつけられるのが

象徴の特徴

真相から内実を浮かび上がらせる性質があるようで

すぐにはわからなくても

哲学的忍耐力を維持させてくれる

まず

国分太一というのが

実に象徴的なお名前だったことに気づかされます。

一太極☯二陰陽

政治も経済も食事も

― 太極の象徴は北極星

――  天のお匙(北斗七星)を動かす

――― 天子親耕のご公務  庶民の村のかまどの煙の観察

みなここから出てくる哲学の象徴

― 男子ごはんメンバーも兼務していたのですね。

―― 『パンとサーカス』で食事の番組が多いテレビ

――― 生殺与奪の権を握るのが社長ではなく国分太一だったというような話?

旧ジャニーズ🗾ですからね。

西洋だと

キリスト教色の濃いアンデルセンの物語から人魚姫とか

― 日本ではポニョになる(^^♪

午後

日テレの社長さんが記者会見を開きましたが

「国分太一さんにつきまして

過去に複数のコンプライアンス上

問題ある行動が認められました。

プライバシー保護の観点から

行為についてはお話しすることができません。

私からの説明も限られたものになってしまいますが

長く番組を

たくさんの視聴者が愛してくださっていることでございます。

社長の私の口からお伝えするべきと考えました」と

中居問題の二の舞を避けるためだろうが

悪手とマスコミ(本人には言わない)

― やはり専守攻防@憲法 泳がせ論法がハイリターン

報告することに意義があるという態度の表明に終始しましたが

この手の記者会見における

双方の心理術も進化しているのだろう。

マスコミは1つの推測を脳裏に浮かべながら追求し

答え合わせができたように見えました。

そして💡

①詐欺師の心理

無意識の心的防衛機制により

自分も騙しているから

降板(とその理由)を通告されるまで

のんびり過ごす様子をXに投稿

②まさかと思うようなことをする

番組は30年も続いているもので

(知らされたときではなく)公表を避けられないと観念したとき

社長さんは信じたくないと思った。

③解離心理と選択的注意

国分さんの悪事について

知っていたのに隠ぺいしたのでは⁈という疑惑に対して

このたび初めて覚知したという言葉を使い

― 色は匂へど散りぬるを を多少異訳

マスコミも覚知という言葉を使いながら

言質をとろうとしていた。

④被害者型PTSDと加害者型PTSDについて

刑事告訴の案件ではないとしながら

被害者の有無について答えないことから

― 特定されてしまうという以外にも理由はある

悪事は(最初)同意のもとで行われることもあるし

被害者型と加害者型の転換は普通に認められる。

PTSDの解離心理の基本を復習させてくれる

象徴の威力は凄いですね。

ジョイスの神話『ユリシーズ』と『君たちはどう生きるか』

本日6月16日は

ジェイムズ・ジョイスの

小説『ユリシーズ』の日なので

1904年6月16日の

一日の間に起こった出来事を描写したもの

ブルームは主人公の名前

西洋の時代劇

ブルームの日として

前後の一週間はブルームズデイ・フェスティバル

ダブリンでは

多くの人たちが

小説ゆかりの場所に出かけて

『 Bloomsday』『Lá Bloom』

登場人物の行動をまねながら

扮装し本と一体化しようとする様子は

― 架空  空即是色☯色即是空

まるで 巡礼(聖地巡り)

お祝いします。

最初は酷評された作品であり

☯絶賛に転じ神格化

1904年6月16日に

妻と最初にデートしたこと

現実の話

小説に変容したもの

架空の話  空に架かるは色即是空

しかも全く別の話

神話めいていると思えば

ホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにした

英雄オデュッセウス(ラテン語形の英語化がユリシーズ)を

冴えない主人公ブルームに置き換え 👈華🌸厳経?

― (後述お化けのような)真逆の性格や立場

18の章も対応させながら

― 計画表(スキーマ)を作成しているから自覚的

たった一日の出来事にしている。

― 実際は20年の辛苦

「神話的方法」で

命名はT・S・エリオット

小説のプロットを神話と対応させる

人格変容には気が遠くなるような時間がかかるが

人が変わるトキというのは一瞬       ~宗助とトキさんの自力と他力

― 一即多

例えばポニョの自己実現も数日の話で

本名はブリュンヒルド@ゲルマンの北欧神話の英雄譚

プルーストの『失われた時を求めて』同様

20世紀を代表する大長編小説

無意識の理論に忠実に表現されています。

意識の流れの技法@ウィリアム・ジェイムズの心理学概念

「人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく

動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」

駄洒落・パロディ引用などを含む実験的な文章

物語の前半は

1人の人物に焦点をあてた「内的独白」で

― 漱石も猫の独り言からヒットするが明☯暗で頓挫落命

意識に去来する想念を切れ目なく直接的に映し出し

後半では

語りの視点が複数化・非個人化

固有の文体が消失

歴史的なグラデーションがキメラ的に入り込み

― 神隠しに関する集合的無意識の記憶

最後の章が

他者の声で終わるのは

「語り手」ではなく「編成者」のような視座

『君たちはどう生きるか』の時間軸と重なっており

ジョイスが

「非常に多くの謎を詰め込んだので

教授たちは何世紀も渡り

私の意図をめぐって議論することになるだろう」と語ったとおり

難解だと評される要因の1つになっています。

駄作だとか

認知症になったのではという

酷評も

ユリシーズの当初の評価と同じでしょう。

宮崎駿が

同名の小説に影響を受け

時間をかけて自らの神話として描きなおしたように

ユリシーズも

時間をかけて

行為的直観的に書きあげたもののようです。

子どものとき『ユリシーズの冒険』を読んで

オデュッセウスのラテン名「ユリシーズ」が記憶に刻まれ

学生時代には「私の好きな英雄」と題して作文

友人に「文芸上の唯一のオールラウンド・キャラクター」は

キリストでもファウストでもハムレットでもなく

オデュッセウスだと力説するようになり

小説にしたいと思い立ちますが

何度も頓挫しながら

― 産みの苦しみ

完成させたものです。

この手法は

心理療法とよく似ています。

最初から問題の全体像がつかめるものではなく

― ましてやどうしたらよいかなど

―― わかっているとすれば☯たいてい間違っている。

やって ⇒ みる  ことを繰り返しながら

― 波打ち際の砂に置いてみるように

時間をかけて観察する

哲学的忍耐力を要する時間

節分も

ユリシーズのように

神話と逆の扮装をして遊ぶ

ブルームの日みたいなもので

似たような異文化をもつ外国人も自然に共有しているから

神隠しのメッカみたいなものかな🤔

首都が一番長くあった京都