獅子頭」カテゴリーアーカイブ

朝日新聞『獅子頭』第二十八話 鼻?

二順と雲紗は
周囲が
からかうほど
仲良しです。
二順は
どぎまぎ
していますが
都会的でスマートな
雲紗は
まったく
気にせず
「ふん」
鼻息を吹いて
いました。
しかし
そのうち
急に
雲紗も
ぎこちなく
なりました。
間に
鼻の表現があります。
つい読み飛ばしそうな
なんと言うこともない
ついでに言えば
美しくもなく
文学的でもない
表現ですが…
鼻は
人間が
再生するときの
キーワード
のように
思います。
【古事記】のファイルに
続きを書いて
ゆきます。

朝日新聞『獅子頭』第二十七話 主人公の奇跡と【内観療法】

貧しい農民の
息子
二順が
雑技学校に
入り
料理学校に
入り
二十歳にして
一流レストランで
住み込みの
バイトをしています。
作者の言うように
【奇跡】
でしょう。
途中で
舞台恐怖症に
罹り
ピンチでしたが
何か
目に見えない
大きな力で
自分が導かれ
支えられている
そんな体験をした
人には

PTSDは
超えやすいのでは
ないかと思います。
目に見えない何か
といっても
実態は
些細な人々の親切とか
そういうものですが
なかなか
実感されないので
不思議と
感じるし
1つ1つの親切は
感じても
ありがたさは
ちょっと
感じにくいのだと
思います。
【内観療法】
をまた
思い出しました。
目に見えない
救いの網
を感じる
方法です。
ブランコから
落ちる
二順のような
勇気があり
努力しているのに
窮地に立たされて
孤立無援の
人を
掬う網です。

朝日新聞『獅子頭』第二十六話 高松塚古墳は先人のPTSD予防対策

舞台恐怖症に
なる前に出会った
獅子頭
(肉団子)
にも
取り組みます。

味見&批評をする
店主は
文化が違う
のだから
じっくり
研究するしかない

焦って
同じ味を出せる
ものじゃないから
気長に
取り組んだらよいと

アドバイスしてくれました。

心理療法でも
同じです。

何者かとの出会いにより
これまでの
自分の常識を
覆され

新しい
常識を作らなければ

生きていくことが
不可能になった
瀕死の状態が
こころの病
です。

高松塚古墳の
劣化隠蔽が

本日の
朝刊をにぎわせて
いますが

かつて

日本は
大陸の
【陰陽五行説】
の哲学に
出会い、

圧倒され
ショックを
受けました。

それで
古墳をつくったり
お相撲や
皇室の祭祀
お水取りの儀式
なんかを
どんな風に
演出するかというときには

いつもいつも

その哲学を
日本風に取り入れ

習合し続けることで
PTSD化を
避けたんです。

表現開始時点から
苦しみは消えますが、

陰陽五行説の
哲学が
しっかりと
日本人の
無意識に定着するには
大分時間がかかったようです。


気づきました。

もしかして
二順は
獅子頭の味に
ショックを受けて
ブランコから
落ちたのでしょうか?

舞台恐怖症になる前に
たまたま
獅子頭を
食べたくらいに
認識していましたが…。

ますます
楽しみになって
きました。
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朝日新聞『獅子頭』第二十六話 高松塚古墳は先人のPTSD予防対策

舞台恐怖症に
なる前に出会った
獅子頭
(肉団子)
にも
取り組みます。
味見&批評をする
店主は
文化が違う
のだから
じっくり
研究するしかない
焦って
同じ味を出せる
ものじゃないから
気長に
取り組んだらよいと
アドバイスしてくれました。
心理療法でも
同じです。
何者かとの出会いにより
これまでの
自分の常識を
覆され
新しい
常識を作らなければ
生きていくことが
不可能になった
瀕死の状態が
こころの病
です。
高松塚古墳の
劣化隠蔽が

本日の
朝刊をにぎわせて
いますが
かつて
日本は
大陸の
【陰陽五行説】
の哲学に
出会い、
圧倒され
ショックを
受けました。

それで
古墳をつくったり
お相撲や
皇室の祭祀
お水取りの儀式
なんかを
どんな風に
演出するかというときには
いつもいつも
その哲学を
日本風に取り入れ
習合し続けることで
PTSD化を
避けたんです。

表現開始時点から
苦しみは消えますが、
陰陽五行説の
哲学が
しっかりと
日本人の
無意識に定着するには
大分時間がかかったようです。

気づきました。
もしかして
二順は
獅子頭の味に
ショックを受けて
ブランコから
落ちたのでしょうか?
舞台恐怖症になる前に
たまたま
獅子頭を
食べたくらいに
認識していましたが…。
ますます
楽しみになって
きました。

朝日新聞『獅子頭』第二十五話  料理修行でPTSD克服

二順と雲紗は

昼は料理学校で
学び
夜は雲紗の両親
相手に
料理の研究・特訓を
続けています。

料理の勉強は
舌・目・鼻・耳・腕
とにかく
全身をフル稼働して
味の加減を
調えていくもの
である」

と書かれています。

般若心経の
「眼鼻耳舌身(意)」

ですね。

(意)は【気】なのかな?
五行では

舌に通じるのは【心気】
口に通じるのは【脾気】
鼻に通じるのは【肺気】
耳に通じるのは【腎気】
目に通じるのは【肝気】

心は心
身体は身体
とバラバラでもなく

また
心と身体という
大まかな分類ではなく

細やかでありつつ
常に全体性を視野においた
視点が特徴的です。

五感をフル回転させながら
記憶をたどる作業は

(うまくできなかった料理を
一週間後もう一度作って
みます)

料理修行を
しているようであって
PTSD克服への過程
でもあるんですね。

日常で
自然に
PTSDを超えていく
ための
ヒントになるものが
いろいろと
暗示されています。
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朝日新聞『獅子頭』第二十五話  料理修行でPTSD克服

二順と雲紗は
昼は料理学校で
学び
夜は雲紗の両親
相手に
料理の研究・特訓を
続けています。
料理の勉強は
舌・目・鼻・耳・腕
とにかく
全身をフル稼働して
味の加減を
調えていくもの
である」
と書かれています。
般若心経の
「眼鼻耳舌身(意)」

ですね。
(意)は【気】なのかな?
五行では
舌に通じるのは【心気】
口に通じるのは【脾気】
鼻に通じるのは【肺気】
耳に通じるのは【腎気】
目に通じるのは【肝気】
心は心
身体は身体
とバラバラでもなく
また
心と身体という
大まかな分類ではなく
細やかでありつつ
常に全体性を視野においた
視点が特徴的です。
五感をフル回転させながら
記憶をたどる作業は

(うまくできなかった料理を
一週間後もう一度作って
みます)
料理修行を
しているようであって
PTSD克服への過程
でもあるんですね。
日常で
自然に
PTSDを超えていく
ための
ヒントになるものが
いろいろと
暗示されています。

朝日新聞『獅子頭』第二十四話までにみられる東洋的PTSD克服スタイル

二順は

空中ブランコから
転落して

大怪我

舞台恐怖症
というPTSD

に陥ったのですが、

舞台への
恐怖感と
闘っているうちに

料理人の道に
転向していました。

転身のきっかけとなった
バイト先の
美人の娘さんの名は
紗』

芸人から料理人に
生まれ変わったと
同時に
美人の黄先生のこと
忘れてます。

この流れも
興味深いです。

①空中から落下して雲紗と出会う

 怪我の仕方は
 何でもよかったはずだし
 娘さんの名前も
 何でもよかったはず

 しかし
 この2つを作者の無意識は
 選択したのですね。

【如人千尺懸崖上樹】
 『崖の上のポニョ』
 『鷺とり』   
 
 と同じ
 ある種の
 【元型】
 あるように思います。

②黄先生から雲紗へ
 アニマイメージの変化です。
 (内なる女性イメージ)

 彼の場合は
 美人というのが
 共通点です。

 これは
 光源氏も同じで
 亡くなった母のイメージが
 亡霊のように
 つきまとい
 恋愛のパターンを
 決めています。

芸を忘れて別天地に迎えられる

 これは
 禅の世界では有名な
 【十牛図】という
 悟りの過程を示した禅画の
 流れそのものです。

 簡単にご説明しますと
 いなくなった牛を
 不安な気持ちで探し
 牛を見つけ
 格闘し
 一緒に家に帰ったのですが  
 そのうち牛が消え
 なんと自分も消えて
 なーんにもなくなって
 ぜんぜん違う場所で
 知らない人に出会って
 ご挨拶していたという
 不思議なストーリーです。

 人が悟るときも
 苦しみから解放されるときも

 東洋では
 こういう
 ある種の【元型】が
 あるのではないかと
 私は思います。

これが
キリスト教文化のひとたちと
違う
我々の
エスニックな部分です。
 
続きを読む

朝日新聞『獅子頭』第二十四話 輪廻転生のシンクロニシティ

これまでを
ふりかえりますと…

内陸部の
貧しい村で生まれた
二順が

大連の雑技学校
で芸人のとして
生まれ変わり

地方公演で
空中ブランコから
落ちて
大怪我&舞台恐怖症
になり

地方公演で
食べた
獅子頭
(肉団子)の
味に導かれるように
料理修行の道を

いつのまにか
歩いていました。

輪廻転生の
本当の意味は
知りませんが

人間は
この一生のうちにも
心理学的には
何回も
生まれ変わっている
と考えたら

いろんなことが
わかりやすく
なるのでは
ないでしょうか?

それは
その場その場で
いい加減にしたらいい
という意味ではなく

むしろ
まったく
その反対で

今できる限りを
尽くすことで

そのときは
見えもせず
思いもよらなかった

道のようなものが
できていて

いつの間にか
そこを歩いていた。

というようなものでは
ないかと
思います。

二順は
バイト先の
料理店の
ご夫婦に
「養子になってもらってもいい」
と言われます。

新しい
お父さんと
お母さんも
できたのです。

料理学校入学の
決断で
芸に対する
複雑で苦しい思いを
完全に
断ち切ることが
できました。

シンクロニシティ
(意味ある偶然の
一致)
と呼ばれる
時空を超えた
秘儀で
PTSDが克服される
こともあるのです。

しかも
克服の場所は
この世の
ありふれた
特別ではない
日常です。

だから
あきらめては
いけないんです。
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朝日新聞『獅子頭』第二十四話までにみられる東洋的PTSD克服スタイル

二順は
空中ブランコから
転落して
大怪我

舞台恐怖症
というPTSD

に陥ったのですが、
舞台への
恐怖感と
闘っているうちに
料理人の道に
転向していました。
転身のきっかけとなった
バイト先の
美人の娘さんの名は
紗』
芸人から料理人に
生まれ変わったと
同時に
美人の黄先生のこと
忘れてます。
この流れも
興味深いです。
①空中から落下して雲紗と出会う
 怪我の仕方は
 何でもよかったはずだし
 娘さんの名前も
 何でもよかったはず
 しかし
 この2つを作者の無意識は
 選択したのですね。
【如人千尺懸崖上樹】
 『崖の上のポニョ』
 『鷺とり』   
 
 と同じ
 ある種の
 【元型】
 あるように思います。
②黄先生から雲紗へ
 アニマイメージの変化です。
 (内なる女性イメージ)
 彼の場合は
 美人というのが
 共通点です。
 これは
 光源氏も同じで
 亡くなった母のイメージが
 亡霊のように
 つきまとい
 恋愛のパターンを
 決めています。

芸を忘れて別天地に迎えられる
 これは
 禅の世界では有名な
 【十牛図】という
 悟りの過程を示した禅画の
 流れそのものです。
 簡単にご説明しますと
 いなくなった牛を
 不安な気持ちで探し
 牛を見つけ
 格闘し
 一緒に家に帰ったのですが  
 そのうち牛が消え
 なんと自分も消えて
 なーんにもなくなって
 ぜんぜん違う場所で
 知らない人に出会って
 ご挨拶していたという
 不思議なストーリーです。
 人が悟るときも
 苦しみから解放されるときも
 東洋では
 こういう
 ある種の【元型】が
 あるのではないかと
 私は思います。
これが
キリスト教文化のひとたちと
違う
我々の
エスニックな部分です。
 

朝日新聞『獅子頭』第二十四話 輪廻転生のシンクロニシティ

これまでを
ふりかえりますと…
内陸部の
貧しい村で生まれた
二順が
大連の雑技学校
で芸人のとして
生まれ変わり
地方公演で
空中ブランコから
落ちて
大怪我&舞台恐怖症
になり
地方公演で
食べた
獅子頭
(肉団子)の
味に導かれるように
料理修行の道を

いつのまにか
歩いていました。

輪廻転生の
本当の意味は
知りませんが
人間は
この一生のうちにも
心理学的には
何回も
生まれ変わっている
と考えたら
いろんなことが
わかりやすく
なるのでは
ないでしょうか?
それは
その場その場で
いい加減にしたらいい
という意味ではなく
むしろ
まったく
その反対で
今できる限りを
尽くすことで
そのときは
見えもせず
思いもよらなかった
道のようなものが
できていて
いつの間にか
そこを歩いていた。
というようなものでは
ないかと
思います。
二順は
バイト先の
料理店の
ご夫婦に
「養子になってもらってもいい」
と言われます。
新しい
お父さんと
お母さんも
できたのです。
料理学校入学の
決断で
芸に対する
複雑で苦しい思いを
完全に
断ち切ることが
できました。
シンクロニシティ
(意味ある偶然の
一致)
と呼ばれる
時空を超えた
秘儀で
PTSDが克服される
こともあるのです。
しかも
克服の場所は
この世の
ありふれた
特別ではない
日常です。
だから
あきらめては
いけないんです。