主人公と師は
うらみを晴らすために
【心証】と【物証】を
集めます。
象徴的に描かれた絵は
貴重な物証であり
心証の具現化
つまり
心証と物証は表裏一体
一如です。
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PTSDから
離脱しつつある
主人公は
父母を殺した人物に雇われ
その人物のために
絵を描いていたことを
知り
怒りから
その人物を殺そうとしますが
師が
友を殺された自分だって
今すぐ殺したいが
「激情にかられて
うかつに動いたら
危険だ」と
制止します。
PTSDにおける
怒りには注意しましょうね
怒りの抑圧はいけませんが
(まあ無理でしょうが)
怒りに任せて行動することは
アクティング・アウト
(行動化)
です。
じっくり内的に
取り扱ったのち
必要なら
慎重に行動にうつすべきでしょう。
(もちろん暴力はダメです)
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主人公の師は
言います。
よい師はよい弟子を創る。
よい弟子は師を理解する。
でもそれだけではいけない。
弟子は師を越えなければ
ならない。
キリスト教文化と
違うところです。
ビルシャナ仏の頭の上を
超えて行けというような
【超凡越聖】です。
宗教と芸術と心理療法は
同じ思想の上に
展開されています。
今の臨床心理学は
ユングや
河合隼雄を超えるどころか
理解すらできていません。
そんな思想で行う
箱庭療法や絵画療法は
ままごとです。
箱庭がリカちゃんハウスだから
かぐや姫も
わがままでうそつきにしか
見えないのです。
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美人ですが
ちょっと怖いです。
無表情だからでしょう。
この人は
画廊の主人の
護衛武士
情けや哀れみなど
感情を持たないのだと
主人は言います。
情けや哀れみなど
あっては
人を容赦なく斬ることは
できないでしょう。
【解離】させているのか。
PTSDで
【解離】した人物を起用したのか。
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主人公は
画廊の主人に言います。
「芸術家の
目に見えるもの
耳に聞こえるもの
感じられるものがある」
西洋哲学と東洋思想を
抱合した
井筒俊彦も
こんなこと書いてました。
「【易】の聖人の意識は、
広い意味での
シャーマン的意識。
そういう意識に直結した
特殊な目で
彼は外界をみる。
その彼の目に
事物は幽玄な象徴性を帯びて
現れてくる」
―『意識と本質
―精神的東洋を索めて』p210
ユング心理学に出会っても
これがわからないから
デタラメな
分析をして
心理療法ばかりか
人間の魂さえ
台無しにするのでしょう。
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主人公と師は
うらみを晴らすために
【心証】と【物証】を
集めます。
象徴的に描かれた絵は
貴重な物証であり
心証の具現化
つまり
心証と物証は表裏一体
一如です。
主人公の師は
言います。
よい師はよい弟子を創る。
よい弟子は師を理解する。
でもそれだけではいけない。
弟子は師を越えなければ
ならない。
キリスト教文化と
違うところです。
ビルシャナ仏の頭の上を
超えて行けというような
【超凡越聖】です。
宗教と芸術と心理療法は
同じ思想の上に
展開されています。
今の臨床心理学は
ユングや
河合隼雄を超えるどころか
理解すらできていません。
そんな思想で行う
箱庭療法や絵画療法は
ままごとです。
箱庭がリカちゃんハウスだから
かぐや姫も
わがままでうそつきにしか
見えないのです。
主人公は
画廊の主人に言います。
「芸術家の
目に見えるもの
耳に聞こえるもの
感じられるものがある」
西洋哲学と東洋思想を
抱合した
井筒俊彦も
こんなこと書いてました。
「【易】の聖人の意識は、
広い意味での
シャーマン的意識。
そういう意識に直結した
特殊な目で
彼は外界をみる。
その彼の目に
事物は幽玄な象徴性を帯びて
現れてくる」
―『意識と本質
―精神的東洋を索めて』p210
ユング心理学に出会っても
これがわからないから
デタラメな
分析をして
心理療法ばかりか
人間の魂さえ
台無しにするのでしょう。