ジブリ『借りぐらしのアリエッティ』」カテゴリーアーカイブ

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】をかぎ分ける能力

PTSD研究家翠雨の日記
『あれっ?』と
感じることが大事ですネ。
 ―スピラーのような
  野性の思考です。
PTSD研究家翠雨の日記鼻ルシスひらめき電球
開けてみると
緑の葉っぱ
 ―【象徴】は
  【自己治癒力】ですから
  春の【木気】
  息吹のイメージです。
  すべてが再生するのは
  春ですね。
$PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記屋根も葉っぱの色
目には見えませんが
【象徴】は存在するなと
感じられるものです。
PTSD研究家翠雨の日記
こんな風に
小人さんから
むしりとって
表面的に
上から目線でみても
見えないのです。

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】が見えないから閉じ込める

【象徴】が見えない人たちは
アリエッティのお母さんを
ビンにラップして
ちょっと空気穴あけて
虫かなにかみたいに
閉じ込めます。
PTSD研究家翠雨の日記
そういう人は
現実の人間も
自分の都合で
部屋に閉じ込めます。
PTSD研究家翠雨の日記
元気になってもらおうという
発想はゼロですね。

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】台無し

アリエッティたちの
豊かな世界が見えないので
 ―【象徴】が
  ガラクタにみえる。
$PTSD研究家翠雨の日記
ただの泥棒だという発想になり
 ―記憶泥棒
 (解離性健忘)
 ですかね。
 捨ててしまった
 思い出の結晶ですから。
ネズミ捕りの業者なんか
呼ぶんです。
電話一本で!
 ―便利なもの・合理性
 わかりやすいものばかりを
 追求したら
 その副作用は怖いですよニコニコ
アリエッティたち
象徴と対話する
精神療法よりは
不安や不眠を
薬物療法で
やっつけて
クリーンにしようという
発想の比喩でしょう。
ドイツ車が後ろから
押してますし…あせる
 ―ドイツ精神医学ですね。
 

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】をガラクタという人たち

PTSD研究家翠雨の日記
ガラクタのように見えますが
紅茶缶も
植木鉢も
確かに
アリエッティの家にあったものです。
人間が捨ててしまった
記憶(集合的無意識)のなかで
アリエッティたちは
豊かに暮らしていたのです。
なのに
「こっちの方が
いいだろう!」とばかりに
PTSD研究家翠雨の日記
ドールハウスがはめ込まれたのです。
 …
日本の箱庭療法には
こういう間違いがあります。
クライエントの豊かな
表現のなかに
確かにある
【象徴】が
がらくたにしか見えないのです。
それで
西洋式の心理学
(ドールハウス)を
日本人向けに文化的翻訳せず
そのまま押しつけますから
PTSDが
【発達障害】に見え

かぐや姫やポニョを
わがままだと言って
矯正するのです。

『借りぐらしのアリエッティ』発達障害誤診の【象徴】

日本のユング派は
★【象徴】が消えた
★発達障害が増えたと
主張します。
$PTSD研究家翠雨の日記
 ― アリエッティたち【象徴】は
 絶滅寸前だと
 主張する翔と同じです。
【象徴】は自己治癒力であり
PTSDのものですから
 ―ユングの個性化の過程が
  証明しています。
先天的な病である
発達障害には
【象徴】がみられないという
理屈が成り立つのでしょう。
しかし
象徴は生きています。
 ―発達障害と思われているのは
  PTSDです。
$PTSD研究家翠雨の日記
大阪の二児遺棄死で
社会の認識が
大きく変化しました。

みなのこころが動かされたのです。
自浄ともいえる
【自己治癒力】が作動し
大きな波が生まれました。
$PTSD研究家翠雨の日記
アリエッティ
(象徴)は
生きています。

『借りぐらしのアリエッティ』脱兎の如く去る発達障害研究家

上から目線で
表面しかみない
発達障害研究家と   ←左
五感で感じて
PTSDとして捉え
PTSDとして
癒していく
立場         ←右
PTSD研究家翠雨の日記
今年
左に象徴される人たちは
驚愕し
(その否認から)
怒り
PTSD研究家翠雨の日記
脱兎の如く
退散しますひらめき電球
 ―新聞の広告からは
 すでに消えています。
PTSD研究家翠雨の日記
発達障害の研究家たち
どうしちゃったのかしら?
そういう一年になるでしょう。
忘却したら
また繰り返しますから
しっかり
反省させないと
いけません。
$PTSD研究家翠雨の日記
相手をこんな風に見ていたのは
投影的同一視だったことに
気づけば
合格です。
自分が
臨床家として
【発達障害】だったのですひらめき電球
 ―厳密に言えば
 ユング研究所まで留学し
 ユング関係の本を書きながら
 【象徴】をとらえられてない
 惨めさの否認ですから
 PTSDですけど…あせる
正統だけが
生き残るように
世の中はできています。
見かけ上の
かたちだけ整えても
だめなんです。

『借りぐらしのアリエッティ』発達障害誤診と【象徴】否認

乱暴な観察によって   ←目だけ目
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無意味と片付けられた
クライエントの属性も
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ゆったりと
五感で感じようとする   ←五行
感性には
PTSD研究家翠雨の日記
確かに生きている
証として
実感されます。
PTSD研究家翠雨の日記
   …
【発達障害】研究家は
ユング派なのに
【象徴】を否定するのが
特徴です。
象徴が使えないから
発達障害だという理屈で
ユング心理学まで
否定するのです。

『借りぐらしのアリエッティ』うつ病誤診の嵌め殺し

ショックで混乱しているうちに
医療の網に
ひっかかり
 ―引っかかったひとが
 悪いのではありません。
 わなを仕掛けるのが
 悪いのです。
閉じ込められます。
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
こんな
混乱し絶望した状況は
薬や励ましや
認知行動療法や
説得療法では
お手上げです。
ショックを受けて
こうなったのだという認識が
絶対不可欠です。

『借りぐらしのアリエッティ』PTSDの二次被害

堅実に生きていた場所に
ある日突然
別世界がねじ込まれるのは
【ストレスフル】な状況です。
間違った箱庭療法の
暴挙として
私は主張していますし
 ―箱庭療法自体は素晴らしい
  治療法です。
震災や水害などの
天災時
DVによる人災時の
具体的な支援の場に     
 ―限りなく天災に近いですが。
  こころが無意識に乗っ取られて
  いますから…叫び
起こりがちな
間違いと
考えてもいいでしょう。
ショックが【一時被害】
このようなものを
【二次被害】と言います。
一時被害は
なんとかなることが
多いのです。
しかし
二次被害が起こると
致命的なものに      ←PTSD予備軍
なります。
絶望が深まるからです。
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
怯えるクライエントさんを
こんな風に
観察するのは
心理学ではありません。
 ―心理学は
  科学であって
  科学でないのです。
  主観客観の双方から
  もっとダイナミックな
  視点から
  考察するものだからです。
$PTSD研究家翠雨の日記
陰陽つなぐのは
ラポール
(橋を架ける)です。

『借り暮らしのアリエッティ』野性の思考スピラー

$PTSD研究家翠雨の日記
12歳の小人の少年で
弓を持ち歩き
ひとりで野性的に暮らしています。
 ―ちょっと
  アフリカのブッシュマンみたいな
  ところがあります。
  非暴力の哲学者です。
野性というと
野蛮と思う人が
よくいますが
しなやかで
エレガントな孤高の存在です。
集団で生きる我々の方が
よほど野蛮です。
 ―宮沢賢治の作品なんかに
  そういうことは
  書かれていると思います。
$PTSD研究家翠雨の日記
もちろん
われわれが
原始時代に戻ることは
できないわけですが
どこにも所属しない
スピラーのような
属性をもった存在が
ラポールの要でしょう。
 ―ただの
 アウトローじゃないですよ。
 念のためニコニコ