ジブリ『崖の上のポニョ』」カテゴリーアーカイブ

解離現象としての【車輪の下数珠つなぎ】

『阿修羅』で
解離の文学性を表現した
玄侑宗久さんは
「わたし」の都合で
無意識的にまとめられてしまう人格と
そこからはみだし
解離していく「わたし」たち
の物語について
何年かかっても
書きたいと思った
とのことです。

PTSD研究家翠雨の日記

ポニョ &  妹たち
一   即  多

華厳の根本思想の1つです。
【一即多】【多即一】

妹たちの精神レベルだと
フジモトの都合でまとめても
家庭は明るく円満ですが、

ポニョのように目覚めますと
フジモトの都合で
閉じ込めようとしても
はみ出していきます。

一度はみ出し始めたものは
誰にも
抑えつけることはできません。

「あなたはうつ病だ」という【偽診】
【偽診】にもとづく医師によるOD
傾聴せず【否認】し【教育】する心理療法

【常識】という名の
(本当はとんでもない非常識!)
物凄く強力な圧力で1つにまとめようとしていますが
【車輪の下】数珠つなぎという【解離】
すでに発生し
誰にも止めることができません。

かつて金太郎飴のように【臨床心理士派遣】だったように
【研究者派遣】はなぜおこらないか?!

…できないのがわかっているから…ですねべーっだ!
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『崖の上のポニョ』の海②

宮崎駿監督は
この作品では
海=無意識
と言明しています。
その海の中では
ポニョと妹たちが遊んでいます。
一即多の象徴表現ですね。
一即多 多即一は
華厳経の根本思想の1つです。
要するに
背景にキリスト教がある
『人魚姫』ではなく
華厳思想を背景とした
『崖の上のポニョ』が
描かれているのです。
日本人のこころによりそうには
西洋の心理学そのものではダメで
東洋的に翻訳する作業が必要です。
しかしそれができていないのです。
おまけに【象徴】が使えないと
おっしゃる方が多いのは嘆かわしいことです。
西洋の【象徴】を当てはめようとするから
だとなぜ気がつかないのでしょう。
それで【知的障害】や【人格障害】【適応障害】として
教育するのです。
【傾聴】が心理療法の定石で
薬が使えないわれわれには
【傾聴】しかないのに…です。

『崖の上のポニョ』の海①

『崖の上のポニョ』の
映画のパンフレットの
【監督企画意図】の頁で
宮崎駿監督は
「…生き物のような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ
内なる海
と、波立つ海洋が通じ合う。
…」
と書いておられます。
PTSD研究家翠雨の日記
この絵は
ポニョの父母です。
まず目につくのは
その対比です。
母は海そのもののような
大きな存在で
父はそこに浮かぶ
ちっぽけな人工の舟の上にいる
心もとない存在です。
自分では
目一杯カッコつけてるつもりですが…。
これは父と母というよりは
意識と無意識と考えたらいいでしょう。
(たしかにDV問題では
これは男女の力関係そのものです。
男性は実は女性が怖いのです)
【我考う。ゆえに我あり】とか言いますが、
考う(意識できる)ことはちっぽけな一部分です。
意識を包む無意識の海を
敵に回したら
大変なことになります。
でも逆に
うまく使えば【魔法】が使えると
書いてあるんですね。
そしてそれは特殊な人の話ではなくて
【誰もが持つ意識下の海】についてなんですね。
PTSDに罹患すると
海が大嵐になります。
しかし
【魔法】があるから
あきらめちゃダメだという
メッセージが
この作品にはこめられています。

解離現象としての【車輪の下数珠つなぎ】

『阿修羅』で
解離の文学性を表現した
玄侑宗久さんは
「わたし」の都合で
無意識的にまとめられてしまう人格と
そこからはみだし
解離していく「わたし」たち
の物語について
何年かかっても
書きたいと思った
とのことです。
PTSD研究家翠雨の日記
ポニョ &  妹たち
一   即  多
華厳の根本思想の1つです。
【一即多】【多即一】
妹たちの精神レベルだと
フジモトの都合でまとめても
家庭は明るく円満ですが、
ポニョのように目覚めますと
フジモトの都合で
閉じ込めようとしても
はみ出していきます。
一度はみ出し始めたものは
誰にも
抑えつけることはできません。
「あなたはうつ病だ」という【偽診】
【偽診】にもとづく医師によるOD
傾聴せず【否認】し【教育】する心理療法
【常識】という名の
(本当はとんでもない非常識!)
物凄く強力な圧力で1つにまとめようとしていますが
【車輪の下】数珠つなぎという【解離】
すでに発生し
誰にも止めることができません。
かつて金太郎飴のように【臨床心理士派遣】だったように
【研究者派遣】はなぜおこらないか?!
…できないのがわかっているから…ですねべーっだ!

『崖の上のポニョ』の【水魚】の意味

昨日
キェルケゴールの『死に至る病』と
PTSDについて書きましたが…

PTSDの原因としての
【絶望】の存在を

①知らなくてもダメ
②【否認】してもダメ
③【同一化】してもダメ

ダメづくし…

ではどうするのか。

絶望していることを    知る or 知らない
つらい症状を       認める  or なりきる

これは二元論の世界です。

世紀の公案小説
『崖の上のポニョ』
では…
PTSD研究家翠雨の日記

まっすぐな目で見た
自分の判断を信じて
跳ぶ!

右側に描かれているのは【水魚】
街を水没させてしまうような
おそろしい無意識が
信じて跳んだとき
応援してくれるように
反転する
そんな哲学を表現したものです。
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『崖の上のポニョ』の【水魚】の意味

昨日
キェルケゴールの『死に至る病』と
PTSDについて書きましたが…
PTSDの原因としての
【絶望】の存在を
①知らなくてもダメ
②【否認】してもダメ
③【同一化】してもダメ

ダメづくし…
ではどうするのか。
絶望していることを    知る or 知らない
つらい症状を       認める  or なりきる
これは二元論の世界です。
世紀の公案小説
『崖の上のポニョ』
では…
PTSD研究家翠雨の日記
まっすぐな目で見た
自分の判断を信じて
跳ぶ!
右側に描かれているのは【水魚】
街を水没させてしまうような
おそろしい無意識が
信じて跳んだとき
応援してくれるように
反転する
そんな哲学を表現したものです。

我流を貫いた国母選手

バンクーバー五輪
選手はみんななか
なかがんばってますね。

腰パンの国母選手
表彰台には届かなかったようですが、

なかなか【象徴的】な存在です。

「いろいろあったっすけど
最後まで応援してくれた人に
本当に感謝しているし、
自分のスタイルと思いは最後まで曲げなかったんで
それは本当にいいことだと
思ってます」

まだ21歳ながら
内にアスリート魂を秘め
大舞台でバッシングされながらも
自分を見失わなかった。
とてもプロフェッショナルです。

【曲げない】
【我流を貫く】
『崖の上のポニョ』から
『まっすぐな男』と『曲げない女』
に見られる時代精神をそのまま体現して

病に打ちひしがれている人たちにも
強いメッセージを
与えてくれたと思います。
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宗介を助けるトキさん

毎日新聞からです。

PTSD研究家翠雨の日記
トキ:求愛の「枝渡し」確認 3歳の雄と1歳の雌 佐渡

枝をくわえて、雌のトキ(右)に近づく雄のトキ=新潟県佐渡市で、佐々木順一撮影 国の特別天然記念物トキの野生復帰を目指し、09年9月に2回目の放鳥が行われた新潟県佐渡市(佐渡島)で19日、3歳の雄と1歳の雌がくちばしで挟んだ小枝を渡す「枝渡し」をする様子が確認された。トキの求愛行動で、放鳥後、初の「2世誕生」に期待が高まっている。環境省によると、放鳥トキの雄と雌の継続的な枝渡しが確認されたのは初めて。

 雌は09年9月に2次放鳥され、本州に渡った後、同島に戻った。2月7日以降、08年9月に1次放鳥された雄と行動をともにしている。しかし同省によると、この雌は別の3歳の雄と枝渡しすることもあるという。

 トキは繁殖期を迎えると、羽を黒灰色の「生殖羽(う)」に変え、群れから離れてペアをつくる。今回、雄は完全に黒く変色し、雌も首の周りが色づき始めている。同省の笹渕紘平自然保護官は「この雌は1歳とまだ若いが、繁殖に期待したい」と話している。【畠山哲郎】

ポニョの登場人物トキさんですが…

宮崎監督の無意識の中で
いろんな要素が混ざり合って
トキさんの形になったものと思われます。

唯識三十頌には
「はじめは阿頼耶識なり。異熟なり。一切種なり」
とあります。

はっきりしているのは
①監督のお母様の記憶
監督のお母様はトキさんみたいな感じの方だったそうです。

②鳥のトキのイメージ
ニッポニア・ニッポンという
とても日本的な学名ですね。
(ちなみに国鳥はキジです)
絶滅危機の品種で貴重だというのもポイントですね。
ありふれた鳥ではないということです。
ポニョの自己実現の物語ですから

トキは【ツキ】とも呼ばれていたそうで
【月】や【槻】に通じるイメージです。
月は女性的ですし、槻は神聖な木です。

③カタカナの【トキ】という時間があります。
タイミングのような刹那です。
タイミングは英語ですが、
英語を使用する人たちはあまり使わない言葉だそうです。
日本人はよく使用します。
落語の『時そば』に見られますが、
時間と空間を一緒くた【一即多】にする
魔法のようなものです。

【素直】になることが【魔法】だと
どこかで書きましたが、
【タイミング】をつかむことも
【魔法】のようなものです。

いくらよいことでも
場違いではもったいないですね。

ポニョの自己実現は
ありえないような魔法物語ではなく
世の中に普通にある魔法です。

トキさんはいつもは偏屈なばあさんですが
宗介の一大ピンチの時に
急に人格変容し、よいおばあさんになって
宗介を導きました。

そういえば
デイケアでポニョを見て
みんなかわいいねとか言ってるのに
「人面魚だ。津波が来るよ!」と言ってました。
物語は実際そのように展開しているので
女性の知恵というか
勘というかを秘めていて
シャーマンみたいな存在です。

監督は
我々は子どもに時間と空間を提供することしかできないわけだし、
○才のこの時間はこの一瞬しかないと思うが
それにのれないとき
「クソっと思う」
と語っておられました。

のれないときはたいてい
つまんないことを考えてしまったときだからだそうです。
邪魔くさいとか、そこまでしなくていいだろうとか
クミコちゃんじゃないけど、服が濡れるとか…

ポニョを宗介が守り、
その宗介をピンチから掬うのは
トキさんに【象徴】されているような
ものだったわけです。

PTSDに罹患した人たちにも
こんな支援が必要です。

孤立無援の人は
自分のなかに
トキさんのような
みんなに流されず
本質を見抜く目を
養うことです。
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河合隼雄『子どもの宇宙』とポニョ

河合隼雄さんが
『子どもの宇宙』という本を遺されています。

すばらしいので
長くなりますが
紹介します。

この宇宙の中に子どもがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の拡がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささにまどわされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さな子どもにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する『教育』や『指導」や『善意』という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。

現在では
『教育』や『指導』や『善意』のあとに
『心理治療』を加えなければなりません。

天国で
何と感じておられるでしょうか。
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ポニョと妹たちの違い

PTSD研究家翠雨の日記

ポニョと妹たちです。

妹たちは集団で行動するのが楽しいし
そのことにあまり不便や問題を感じていません。

ポニョは
妹たちと仲良しですが
それだけでは退屈になってきました。

妹たちのように生きたいのに
うまくいかない人たちには
【適応論】での教育が必要です。
【適応障害】や【発達障碍】がこの範疇に入ります。

ポニョは
ムリに妹たちに合わせようとすれば
できないことはないのですが、
それでは
ポニョの個性が死んでしまうので
家出したいと思うようになったのです。
だから
ポニョは
能力が低いわけでも性格が悪いわけでもないのです。
この場合は
【個性化の過程】あるいは【自己実現】を目指しているので
妹たちとは違う支援が必要になります。

家出と聞くとギョッとしますが
それで非行問題としてしまったり
常識がないとかやりにくい子だということで
しつけようとすると
ポニョもフジモトもヘトヘトになります。

しかし
そういう親子は案外多いです。
専門家が親に加担するからですね。

自分もそういう生き方をしてきたから
ポニョが理解できないのかもしれません。
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