「ジブリ『崖の上のポニョ』」カテゴリーアーカイブ
まっすぐな男と曲げられない女が基本
『崖の上のポニョ』は
5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
5歳に何ができる?!と
思われるかもしれません。
しかし宗介がまっすぐさを貫くことが
ポニョのまっすぐさとリンクすると、
お母さんのリサや
デイケアセンターのおばあちゃんたちなど
周囲の人が変化し
応援してくれるようになりました。
それは嵐を呼ぶような大変化で
なんとポニョのお父さんフジモトまで改心させました。
まっすぐな【橋】が1つ架かると
いろんなものにつながり
それらの力も得ながら
大きく変化してゆけるのだと思います。
宗介ひとりの力ではないけど
宗介ひとりの力です。
最近のTVでも
『まっすぐな男』と
『曲げられない女』が
別のテレビ局で同時進行中です。
こころが通うと魔法が使えるようになる
『崖の上のポニョ』のストーリは…
海沿いの崖の上に住む5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
ポニョは家出しようとしますが、一度は成功しても、すぐ父フジモトに海へと連れ戻されてしまったりして容易ではありません。でもあきらめないでいると、「魔法」が使えるようになって、願いが叶いました。
【ラポート(心を通わせる)】で【魔法】が使えるようになります。
魔法とは何か。
ブリュンヒルデという名前から、ポニョという名前に変わることです。
生まれ変わるんですね。
もちろんこの世で!
昔の日本人はよく名前を変えたようです。
子どもから大人になる時や襲名、僧籍に入るとき、あるいはそれを踏襲したのでしょうが、
茶道や華道、書道など【道】のつくようなお稽古事にもそれは見られます。
【翠雨】もそんな名前です。
【無我】っていうのはそういうことのようですね。
難しいことではなく、その場その場で生まれなおす。
それが本当に生きているということです。
一日のなかでも自分のことを
「私が」と呼んでいるかと思えば、
携帯に出るとたちまち「俺?」
家に帰ると「お父さんはねえ」
というように、ころころ変わります。
日本人特有ですね。
相手にあわせ、立場にあわせ、状況にあわせ…
なかなか凄い芸当です。
自分の誕生を祝福してくれ、名前をつけてくれた親には感謝するけれど、
そのときこめられた願い(第一の名前)だけで生きていくには
人生は長すぎる。
そして『崖の上のポニョ』って名前は【公案】でしたね。
魔法といってもありもしない魔法ではなく
難しいけど、答えのある問題を解くことなんです。
PTSDに罹患すると、お坊さんでなくても【公案】に取り組むようになります。
ポニョTVデビューの視聴率は29.8%
金曜ロードショー『崖の上の上のポニョ』のTVデビューの視聴率は29.8%だったそうです。
たくさんの人が見たんですね。
同日、政府が出した自殺予防対策緊急プランより、ポニョの緊急デビューのほうが、絶望する人々を引き止める力があると思います。
『崖の上のポニョ』のストーリは…
海沿いの崖の上に住む5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
ポニョは家出しようとしますが、一度は成功しても、すぐ父フジモトに海へと連れ戻されてしまったりして容易ではありません。でもあきらめないでいると、「魔法」が使えるようになって、願いが叶いました。
変わりたいと思っている人にとって、心を通わせることのできる存在は貴重です。
心理学ではラポートと言います。心と心に橋をかけるんですね。
安心して思ったことが話せる関係を意味しています。
これがありそうでなかなかないのです。
PTSDに苦しむ人たちへの支援には宗介のような素直な存在が不可欠です。
要するに何も難しいことではなく、相手の言っていることを否認したり否定したり無視したりするのではなく【傾聴】することですから、実は5歳の子どもでもできることなんです。
人魚姫≠ポニョ=順教尼
人魚姫は声を失って
海の泡と消えましたが、
大石順教尼は両腕を失いながら
書画を描き(こころの手が生えたのです)、同じ境遇にある女性を支援しました。
ポニョも
「足が欲しい」と念じていたら
必要なときに
足が生えて、海の上を駆けて宗介に会いたいという念願がかないました。
物語は荒唐無稽に見えて
現実的な哲学にあふれています。
それで心理学では物語を分析しながら
クライエントの魂の意図を探るのです。
西洋の物語と日本の物語では
背景にある宗教観や哲学が違うのです。
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人魚姫≠ポニョ=順教尼
人魚姫は声を失って
海の泡と消えましたが、
大石順教尼は両腕を失いながら
書画を描き(こころの手が生えたのです)、同じ境遇にある女性を支援しました。
ポニョも
「足が欲しい」と念じていたら
必要なときに
足が生えて、海の上を駆けて宗介に会いたいという念願がかないました。
物語は荒唐無稽に見えて
現実的な哲学にあふれています。
それで心理学では物語を分析しながら
クライエントの魂の意図を探るのです。
西洋の物語と日本の物語では
背景にある宗教観や哲学が違うのです。
わが国のヒロインはわがままと相場が決まっている
ポニョのしたことは
わがままで、はちゃめちゃかもしれません。
でも考えてみれば
かぐや姫もわがままを貫きました。
当世を代表するような貴公子や帝の求愛や翁たちの懇願も振り切って
月に還りました。
そして
お話全体で見ると、
ポニョはかわいく勇敢だし、かぐや姫は素敵ですね。
PTSDは近視眼的に一部分だけで判断すると間違います。
専門馬鹿になって近視眼的に診断するクリニックやカウンセリングルームに適応してはいけません。
そんなのはいい子でもいい人でもありません。
いのちを粗末にすることになるからです。
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どうしても人魚姫ではなくポニョを描く必要があった
人魚姫のお話は…
人魚姫は王子さまに会いたいと思いました。
魔法使いの助けを得て
尻尾を足に変えてもらいましたが、
変わりに(薬の副作用で)声を失いました。
王子さまに声をかけることができず、
海の泡になってしまいました。
足か声かを選択しなければならない二元論の世界で閉じられたお話です。
王子さまに会う前から運命は決まっていたのです。
『崖の上のポニョ』は…
宗介に出会って家出します。
一度は父親に連れ戻されますが、
あきらめず、「足が欲しい」などとと念じていますと、
クライマックスの大事なときに(魔法使いなんかに頼まなくても)足が生えてきて、
海の上を駆け抜け宗介の家に向かいます。
要するに
①声を失わず、足も手に入り
②生き生きと生まれ変わり
③みんなに暖かく迎えられ
④みんなに勇気を与える
そんなお話です。
宮崎駿監督は
「これを見て海の上というものは走れるものだと思ってくれたら大成功!」
と言っていました。
PTSDに悩む人に言いたいです。
①あなたが受診する前から決まっているようなものは本当の運命ではありません。
②あなたが受診する前から処方を決めているような人は医療人の顔をした魔法使いです。
③ポニョのようにあきらめずに念じ続けてください。
④脱出に必要なものは必ず手に入ります。
⑤人魚姫ではなくポニョのまねをしてください!
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ポニョ≠人魚姫
ポニョは
宮崎駿監督のさまざまな思いが昇華して生まれたものでしょうが、
その中には、
かつて覚えた『人魚姫』の物語に対する違和感があるそうです。
3万もの尊い魂が12年も絶望し続ける異常事態に対して
メスを入れたのだと私は考えています。
いろんな物語があってよいのです。
しかし、絶望する人たちのそばに『人魚姫』しかなかったら
絶望はとまりません。
西洋人ならばキリスト教文化から生まれた『人魚姫』にこころを癒されるでしょう。
そもそも我々とは、神と人間との関係(ひいては外界と自分との関係に繋がる)が違いますから。
日本人の子どもたちには、似たような境遇(海の中から外を見てしまった)でも人魚姫とは違う、もっと感動的な解決のしかたもあるんだよと教えておく必要があります。
絶望したとき、さらに一歩前に進む勇気【百尺竿頭】を養うためです。
実は今の心理療法にもこの視点が欠けています。
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ポニョの主題歌=平成のお経
日本語俗語辞典の【ポニョる】の意味につけくわえてほしいな(‘-^*)
③ポニョの主題歌を歌うこと。
ポニョの主題歌は平成のお経であることから。
ポニョは、不安と神経症の時代を生き抜くために描かれた
【世紀の公案アニメ】なので、
♪ポー如 ポ如 ポ如…と元気に歌うことは、
お経を唱えるようなものですね。
【如人千尺懸崖上樹】 ←百尺竿頭一歩を進めよ
↑ ↑
ポ如 崖の上の
…でしたね。
特にPTSDの心理療法ではキーワードになると思います。
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