ジブリ『君たちはどう生きるか』」カテゴリーアーカイブ

見牛や 心の景色 立ち上がる @西田幾多郎と南方熊楠

本日は

西田幾多郎のお誕生日です。

おうし座だなと思い

20日まで

確かにおうし座っぽい

昨日がお誕生日の

熊楠の『十二支考』を開いてみると…

牛だけがありません👀

十一支考

熊楠は

寅年🐯の1914年から

その年の干支について

雑誌に掲載を開始し

亥年🐗の1923年までは順調だったのですが

翌24年の子年🐭は

執筆したのに掲載せず

『十二支考』には収録

丑年🐂論考は出来上がらなかったのだそうです。

資料があまりに膨大なため

「全然出来おらず」と弟子への手紙で訴えていた。

亡くなったのは1941年

2019年になって

新聞紙の裏面に書かれた

大きいので一覧できるのが気にいったらしいが

新聞紙でも

入りきらず

収拾がつかず…

腹稿100枚が

「詩文の草稿を心中に組み立てること。また、その草稿」

熊楠の場合、論文執筆にあたって記した自筆のメモ書きがこう呼ばれている。

「中国の古い言葉で、現在はほとんど使われていないが、熊楠には使う」

和歌山市立博物館に所蔵されているのが見つかったのですが

悪筆で判別が難しく

内容は分かっていないものの

熊楠の論文は難解なので

研究に役立つと専門家を歓喜させたのは

西田哲学と同じです。

同じころ

— 2015年  熊楠は2019年

心理学ノートなども見つかり全集更新

哲学館がみつかったノートを復元

私は、こういうビジョンがあったことを知って嬉しくなった。

さて

なぜ牛だけ欠けたのでしょうか🤔

牛と人間のかかわりは密で古く

ラスコー洞窟の壁画は躍動的な野牛

— 2万年ほど前とされる。

ヒンズー教では神聖な生き物

『説文解字』によると

— 最古の部首別漢字字典

天地の事柄は牛を引く耕作に始まる。

— 「物」のヘンは牛

禅宗で真の自己を表すのも牛でしたね。

AI熊楠なら

『十二支考』をまとめ上げることができるでしょうか。

牛だけで全集が出来てしまい

バランスが悪いでしょうか。

一即多の不思議な構造です。

善の研究では

たとえばを打って火を発する以前に、火はどこにもないのである。或はこれを生ずる力があるというでもあろうが、前にいったように、力とかとかいうのは説明のために設けられた仮定であって、我々の直接に知る所では、ただ火と全く異なった或現象があるのみである。それで或現象に或現象が伴うというのが我々に直接に与えられたる根本的事実であって、因果律の要求はかえってこの事実に基づいて起ったものである。しかるにこの事実と因果律とが矛盾するように考うるのは、つまり因果律の誤解より起るのである。

石も重要そうですけどね。

— 原初以来の恒常性を保つものとしての石  金気

たとえ話に牛が採用されていますよ。

同一の意識といっても決して真に同一でない。たとえば同一のを見るにしても、農夫、動物学者、美術家に由りて各その心象が異なっておらねばならぬ。同一の景色でも自分の心持に由って鮮明に美しく見ゆることもあれば、陰鬱にして悲しく見ゆることもある。仏教などにて自分の心持次第にてこの世界が天堂ともなり地獄ともなるというが如く、つまり我々の世は我々の情意を本として組み立てられたものである。いかに純知識の対象なる客観的世界であるといっても、この関係を免れることはできぬ…

見るというときに牛なのでしょうか。

見牛は第三図

— 見性 ~ 立ち上がってくる   …生成AI

影ゆらぐ 夢の底より 策ひとつ @『三国志』司馬懿の読心術と夢分析

司馬 懿

しば い

179ー251

はうるわしい・立派な

魅力的な英雄として描かれていますが

(司馬懿が仕えていた)曹操

操るものは☯司られるもの

司馬懿を大変畏れていたようです。

同じ理由で

日本の思想家にも評判が悪かった。

— 思想を牛耳る人たち

どらまでは

その恐ろしさが

イメージで象徴的に強調されています。

まずは狼顧の相です。

野心や権謀に満ちた危険な人物の相

そのようにみえないように細心の注意を払っていても

—  東洋型チャップリンかも🤔

にじみ出るのは影の『独裁者』タイプ

中国の古い説では

「体は前を向いたまま

首だけをぐるりと後ろまで振り返ることができる相」のことを

「狼顧」あるいは「狼顧の相」と呼びました。


字面通り

「狼のように振り返る顔つき・首の向き」というイメージです。

司馬懿もこのタイプだと噂されていたので

曹操が後ろから恐る恐る呼びかけてみると

狼のように振り向いたそうです。

中国の史書『晋書』宣帝紀

医学的にはありえないので

夢同様

否定 = 殺害

つながる = 結婚 みたいな

外見的な特徴を大げさに表現した比喩でしょうが

ドラマの三国志では毎回狼顧の相を最初に

気弱そうな顔とセットで

信長と秀吉のような関係で

— ヒトラーとチャップリン

前者が亡くなったとき髭を立てる。

象徴的に映し出します。

否応なしに意識させられる。

そして三頭の馬の夢です。

① 槽に飼葉を入れあり

② 三頭の馬が首を並べて一心に食べている。 

イメージは受け取り方も重要ですが

目覚めたときには

強い不快感と不安を覚えたとされます。

ドラマでは「殺意を覚えた」

— 殺意を覚えたのは7回目

これまで殺意を覚えた人物のうち

まだ生きているのは司馬懿のみ

なぜそう感じたかというと

以下、本人の夢分析

は自分の名前なので

しかもる立場にあるのに…

— 言うことをきかないので馬の世話に降格させたこともある。

—— 本性通りに動かし自己実現させてしまった⁈

「自分の築いたものを三頭の馬が食い荒らすイメージ」と直観します。

「これは吉夢ではない…」

「自分の支配や功業を蝕む何かの前兆だ」と本能的に感じた可能性

それで

「司馬父子三代=三頭の馬」が

曹氏から政権を奪うとまで解釈したというのは

脚色ではないかとされている。

— 見た感じもそこまで考えられる人物に見えない。

易者もいなかったので

なじみの文官は退庁

— 当時の文官は陰陽五行説に通じていたハズ

司馬懿には同等の才能があると感じていた。

— 陰陽五行説は哲学なので心理戦にも必須

ドラマでは

周礼に通じていないから

— 周王朝の行政に関する法規 儒教の経典 科挙の試験科目

夢解きはできないと逃げるが

農民でも話すようなことだと無理強いされる。

司馬懿本人に分析させました。

創作色の濃い物語上の設定とされますが…

的外れになっても許してほしいと畏れながら

— たびたびひれ伏し謝罪しながら…(>_<)

夢はこころが生むもので…と

— 華厳経にあるように

3人の軍師を揚げて時間稼ぎ…💦

— 劉備・関羽・張飛 今真ん中と闘っている。

馬じゃない💢オカシイだろ!と詰め寄られて

馬氏の3人を揚げ

— 涼州の馬騰・馬超・馬岱

お前も馬だと窮地においつめられ

人数が足りないとか

命を落として馬の皮に包まれ凱旋することになっても

犬馬の労を惜しまない…と夢談義の攻防も空しく

そのように巧妙なのは

人心術がつかえるからだと脚本家は語らせている。

陰陽説・五行説は

— 『易経』にもとづく易学

「天地と人を貫く理」として受け取られていて

漢代にはすでに儒教の重要経典となり

哲学であると同時に占いの書として広く用いられていました。

馬は

五行で

火に配され

強いエネルギーや上昇力を象徴します。

禅語に見られる

丙丁童子が火を求めにくるといった表現も

干支・五行の象徴を用いて悟りや心の転換を語る典型例で

お孫さんのお名前には

「炎」が選ばれていますよね。

ヒミですが

火見 卑弥呼 イザナミ

奥さんは丙午みたいなイメージの人でした。

中国人の夢分析にも

キリスト教学じゃなくて陰陽五行説と知りました。

影の底 記憶は溶けて 時を呼ぶ @ダリ式PTSDトラウマケアの現象学的方法

本日がお誕生日の

ダリは

根っからの奇人というわけではなく

本当に親しい友人の前では

非常に繊細だったそうです。

気くばりの行きとどいた常識人ながら

— コントロールは内なる闘いだったかも🤔

妻が死去すると

「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み

引きこもり

絵画制作をやめ

火災を起こしたりしながら

心不全で84歳で亡くなった。

なぜそんなに繊細になったのかということですが

「サルバドール」という名前の兄が

幼くして亡くなったことが

大きな心理的影響を与えたとされ

アドラーの場合などは

たくさんの原因の1つだったが

これ1つでも大きなことだと教えてくれる。

少年時代から絵画に興味をもち

才能も認められていました。

つまり

ダリにとって

アート

現実世界と対峙するための鎧のようなものでありつつ

精神分析からヒントを得た

ギリシアの時代には

単なる新プラトン的であった人体が

秘密の引き出しで満たされていることを示したとして

フロイトの心理分析手法を高評価

現象学的方法論の場所であったようです。

フッサールのように頭で考えるのではなく

「偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)」を実践

 

それで

積極的に想像力に働きかけることで

個人の心のもっとも奥底に眠っているイメージを蘇らせることを試みた。

代表作『記憶の固執』について

自身の心情を投影させ

「私たちを楽園から駆逐した

生誕についての恐るべきトラウマが描かれている」と解釈

 

時計が溶け

時空を超えた神隠しの退行の世界

人体をたんすにみたて

集合的無意識の層 @ユング心理学

「我々の引き出しの各々から上る多数の自己愛的なにおいをたどるために

ある洞察を説明するのに役立つ一種の寓話」を形成する

— 神話

松葉づえのようなものに支えさせるわけです。

 

クリスチャンに改宗したようですが

妻を

— ダリのミューズであり支配者でありダリのミューズであり支配者

聖母に見立てた宗教画を連作

~ ポール・マッカートニーの母子関係みたい ~

不思議な

「ダリの作品は誰にもわからない。ダリにもわからない」

覚醒と夢想のはざまで見えてくる

 

弁証法の世界には

科学に興味を持っており

異なる分野の科学者が討論する会議を主催したり

学会のポスターを制作するなどした。

特に

当時最先端のDNAに関心を示し

ジェームズ・ワトソン

自伝「二重らせん」の表紙を依頼するため面会

東洋思想的なモチーフもみられます。

麒麟は最後に出てくる聖獣

 『燃えるキリン』

 

 

一太極二陰陽

代表作は

崖の上のポニョと同じ

百尺竿頭 であり

祖師西来意  ~伝統的時空

構図は十牛図の七図

 

翳りゆく 旋律ひとつ 聖(ひじり)の庭 @チャイコフスキー

チャイコフスキーは

ブラームスと7歳違い

バレエ音楽を席巻

作品は多岐にわたるが

「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」の3曲は

チャイコフスキーの三大バレエとして

そのままバレエ界全体の三大作品

— 芸術諸分野に類例の少ない現象

欧米において

日本における『第九』のように

年末になると頻繁に上演される

「くるみ割り人形」は

華やかで効果的なオーケストレーションですが

『白鳥の湖』などは

叙情的で流麗

メランコリックな旋律で

『ウンディーネ』に下書きがありそうです。

水の精の物語をもとに書いたが

— 離人症の世界

破棄してしまったので

一部しか残っていない。

本人が一番お気に入りだったのも

悲壮だそうです。

最後の交響曲である交響曲第6番『悲愴』

初演時は不評だったが

— 虚無感と不吉な終結による

「この曲は

私のすべての作品の中で最高の出来栄えだ」と周囲に語るほどの自信作

音楽教育を受けたのも遅く

幼少から才能が認められ

本人も音楽に夢中になったが

両親は音楽家にするつもりがなく

法律学校の寄宿舎に入れた。

つまらない書記官の生活を送ってから

音楽学校へ

家系に職業音楽家はおらず

先天的な音楽の才能というものではなく

PTSD予防の昇華の結晶という天賦だったということ

軍に関係のある人が多く

曽祖父は初代ロシア皇帝のもとで活躍し有名に

祖父軍医の助手

父親は軍の中佐として鉱山を指揮

— のちに市長

母親には懐かなかったものの

4歳ころには家庭教師になつき

—家庭教師も母親のように感受性に気づき子ども時代を記録した。

母親に代わる精神の拠り所となった。

10歳で

法律学校に寄宿生として入学させられたまま

14歳で

コレラで亡くした時には

まだ40歳

大きな打撃を受け

離れて暮らしていたうえ

母が死んだというトラウマは

チャイコフスキーの心の中に死ぬまで残った。

直後から

こころのケアとしての鎮魂歌

音楽に一層専念するようになり

作曲を始めるようになったとのことです。

最も古い作品

アナスターシャ・ワルツ

— 祖母の名前なのか父親の前妻の娘の名前なのか…🤔

—— 前妻の娘の子どもが孤児になったのを養育したという記述もある。

——— 実母は亡命中に孤児となったので繊細で音楽の才能もあった。

音楽家としては成功しましたが

どの女性にも母親のイメージを求めるので

孤独を好むのに

人懐っこく

過度の愛情欲求をもつ狂気と

家庭教師への手紙で書いている。

結婚はうまくいかず

婚約解消となったり

— 『ロミオとジュリエット』の年

破綻後にストーカー化され

入水自殺未遂においこまれたり…

— 『白鳥の湖』の頃

母親と同じコレラで亡くなったようです。

自殺説などもある。

チャイコフスキーという名前は

ウクライナの伝統的な姓で

カモメを意味する言葉から改めたものだそうです。

いわゆる神隠しのお話 

杞憂より 芽ぶく声あり 春の底 @忌野清志郎版『君たちはどう生きるか』

本日は

忌野清志郎さんが亡くなった日です。

大変カリスマ性のあった人らしく

その存在が神隠しの場所のようになっています。

— 再生のために☯退行して考える時空を超えた場所

 

死後も

ファンの哲学を更新させ

話題のAIについても語ってくれているようにみえます。

お母さんの心配は

18歳の時

① 寝坊で学校に遅刻する。

② バンド活動でプロになるから進学しないと言う。

杞憂だったわけですが

一般には

もっともなことで

やらせてみるとよいとはなかなか言えないものです。

正論であり

やってみなければわからないが…

 

回答者(男性)は

歴史家にして参議院議員の父親と

社会活動家の母親に育てられ

大局的にものを見る。

幼少期は

のんびり屋の動物好きで

母方の祖父母が創立した自由学園小学校すら

よくサボっては

近くの林で昆虫観察をするのが日課だったけれども

両親も放任主義

記者生活を経て

学園には

小学校の卒業証書しかないので

最終学歴は小学校卒業

映画監督になりました。

相談者(忌野清志郎の母親)と

実際に面談しているわけではなくても

忌野清志郎青年を

内からみて

科学的には見えません。

よく眠るのは

学校を休んだ日は一日寝ている。

不安と闘っているからだと

過眠 即 治癒

見抜いています。

本人が一番不安なのに

外から追い打ちをかけ

反発して

自分を見失ってしまうよう仕向けるのは

甘やかしだと指摘

— 不安に耐える力が育とうとしているのをスポイル

行と瞑想で

バンド活動と過眠

お顔に絵を描いて

美大に行かないと言い出した。

自己実現したのですね。

RCサクセション

— The Remainders of the Clover succession(クローバーからの継続)

「King of Rock」「King of Live」の異名をとる。

傷の音 聴きとる手より 道ひらく@ウィトゲンシュタインのPTSD現象学

ウィトゲンシュタインは

ケンブリッジ大学教授となり

言語哲学分析哲学科学哲学に強い影響を与えた人物ですが

4歳になるまで言葉を話すことができず

今の日本なら発達障害の診断ですが

言葉が遅かったからこその自己実現?

その後も

重度の吃音症を抱えていたので

あいだ(人間関係)の病

両親の考えで

小学校に通いませんでしたが

兄弟も多く

8人兄弟の末っ子(兄が4人、姉が3人)

刺激に満ちた家庭環境で育ち

明るい意味では

ロダンやハイネなど

多くのハイカルチャーの名士たちを招き

庇護を受けたクリムトは

姉マルガレーテの肖像画を描いた。

暗い意味では

うつ病自殺の傾向がある家系

4人の兄のうちパウルを除く3人が自殺しており

本人もつねに自殺への衝動と戦っていた。

音楽に傾倒したこともあって

最もラディカルな特徴は「メタ哲学」です。

哲学的著作には

しばしば音楽の例や隠喩が用いられる。

木村敏系

のちに学校に通うようになり

同じ学校の生徒にはアドルフ・ヒトラーがいた

信仰を喪失

ユングなども

宗教的な問いから研究へ

姉から

哲学書を読むように勧められ

学びたいと思った人物のいる大学に進学しようとすると

その人は自殺してしまい

いわゆる哲学の道に入ることを

セルフ(自己)が回避?

航空工学への興味から

宮崎駿系

機械工学や数学への関心を経て

哲学に進むようになるも

この頃には

— 遣唐使時代の空海と似たエピソード

哲学について専門の教育をまったく受けていなかったのに

ラッセルは

少し話しただけで

即座にウィトゲンシュタインの類い稀な才能を見抜いた。

但し

見知らぬドイツ人が現れた。頑固でひねくれているが、馬鹿ではないと思う。

学界では学問にならないと感じ

学者たちに囲まれたなかでは

最も根源的な問題に到達できない。

ノルウェーの山小屋に隠遁

研究に没頭する日を送ったけれども

学位論文が書けず

先行研究の引用がないなど

論文の規定を満たさない。

学位も友人も失い

才能を見込んで間にはいってくれた友人に

「どうしてそんなくだらない規定があるのか」
「地獄へ落ちたほうがマシだ」
「さもなければあなたが地獄へ落ちろ」と罵倒

取り戻すのは15年後

兄が重傷を負ってピアニスト生命を絶たれたと聞いては

共感能力があるのかないのか微妙な人物

「こんなときに哲学がなんの役に立つのか」との疑問に陥り

しばしば自殺を考え

トルストイによる福音書の解説書や

ニーチェの『アンチ・キリスト』などに救われたりしながら

信仰の念を強める。

小学校の教師や

庭師をしたり

絶望の淵にあって

修道僧になって世捨て人として生きようとしたが

動機としては不純であると諭された。

家を建てたりして

建築業者泣かせの無理な注文

ユングも晩年に塔を建てながら瞑想した。

精神を回復させる人生だったようです。

当事者研究@臨床心理学

学界となじまず

「いま何時ですか?」と聞かれれば答えやすいが

「時間とは何ですか?」との問いは

— 事実上の答えがない。

問題たりえておらず

哲学者がかかずらうべきほどの問題ではないから

そういう議論は意味がないと拒絶

生前に出版された著書も少ないのですが

学問的体裁が整いにくい…

生き方に浮かび上がる哲学が支持されているのではないでしょうか。

例えば

小学校の教師時代は

教師というより

本人が

不適応を起こしたまま

— 暴力教師

子どもたちのこころの傷から

深く学んでいます。

紙の上の知識よりも

子供たちが自分で好奇心をもって見聞を広めることを重視

理科の授業では

猫の骸骨を生徒と集めて骨格標本を作ったり👀

夜に集まって天体観測をしたり

顕微鏡で道端の植物を観察させたり

銅鉱山や印刷所、あるいは古い建築様式をもつ建築物のある

ウィーンなどへの社会科見学もたびたび行なった。

無骨なまでに

きわめて厳格で

覚えの悪い生徒への体罰をしばしば行なう

トラブルメーカーで

狂人扱いののち辞職に追い込まれる。

現象学的に生きたようです。

ある女の子に対し

いつものように体罰を加え

字を誤った理由を問いただしたが

黙ったままなので

「病気か」と尋ねると

女の子は「はい」と言った。

ようやく現象のなんたるかに気づき

女の子に涙を流して許しを請うた

— アジャセ王みたい…

自己治癒の生涯から得た

哲学者は

哲学的命題を扱う職人であるよりは

むしろ苦悩や混乱を解決するセラピストのようであるべきなのだ」との

メタ哲学は

現代臨床心理学が取り入れるべき

現象学ではないでしょうか。

田辺元のみた

フッサールの現象学じゃなくて

土の息 弁証法より 影あがる @黒沢 明『七人の侍』のPTSD哲学

あなたもスタンプをGETしよう

日本らしい映画とされる

世界で最も有名な日本映画のひとつ

『七人の侍』には

生きることについての哲学がありそうです。

生の哲学とは

人間や世界を

「理性や概念」よりも

「生きられている生命の流れ・衝動・感情」から理解しようとする

近代哲学の潮流

生きる』の撮影中に発案されたもので

「『七人の侍』の息が長いのは

演出スタイルが華麗であるからではなく

皮肉なスタイルを交えながらも

人生と人間らしい心を強く肯定したメッセージが

高らかに宣言されているからである」

ロサンゼルス・タイムズ紙のケヴィン・トマス英語版

複数カメラや望遠レンズの効果的使用

ジブリはDolby Visionの映像など

緻密な編集技法などを駆使しながら

前半部と後半部の間に

5分間のインターミッション(途中休憩)を含む上映形式

前半部では主に侍集めと戦の準備が

後半部では野武士との本格的な決戦が描かれるが

「侍集め」、「戦闘の準備(侍と百姓の交流)」、「野武士との戦い」が

時間的にほぼ均等であり

3部構成のような2部構成

ジブリ作品もモノローグで区切られた

神隠しの時間

既存の考えられた時代劇の

哲学界における

考えられた哲学に相当

— フッサールの現象学やカントの捉え方

安易なつくりかたを排し

歌舞伎の影響を強く受けており

殺陣は

歌舞伎的に立回りの形を美しく演じるもので

衣装や風俗なども歌舞伎で美化されて変形されたものが多かった。

役者も「時代劇の演技をするな!」と徹底的に指導された。

— 時代劇はこういうものだというイメージを壊す。

歴史的身体に忠実に

今の時代劇で一番いけないのはあの「形式」です。

あれはみんな歴史的な事実を無視し変形した

カブキからの型なんだ。

動作も服装も小道具も

カツラの形までみんなコシラエものなんだ。

あれは一度

正確なものを考え直すことが必要だね。

— 黒澤明「私の作品」

これまでにはない徹底したリアリズムを確立したことが評価されました。

「本物の時代劇」を作ろうと考えた

リアリズムといえば生活ですから

最初は

城勤めの下級武士の平凡な一日を描く

侍の一日という作品を構想したのですが

特に食生活が把握できずに断念し

現在は

今の食生活と全く違うために

驚異的な心身を保っていたことが判明している。

— 断食で読める神隠しの世界

浪人が

全国を旅して回る雲水のような立場

「宿泊先の道場や寺院がない場合は

百姓に雇われて飯と宿を与えてもらう代わりに

盗賊などから村を守っていた」という史実をつかみ

百姓が侍を雇うという無茶ブリ風とみえたストーリーの根幹が誕生

この関係も一枚岩ではないことを示し

— さらには代官やプロが役に立たないという普遍性まで

長年にわたる双方の感情をぶつからせる

ダイナミックな弁証法

脚本執筆は

黒澤を含む3人の弁証法的な方法での

Aが初稿を書き

AとBが根本的に書き直し

同じシーンを書いたものを

Cが判定して良いところだけを取り完成すると

次のシーンに移るという形

真剣勝負の連続だったそうです。

鬼気迫る

緊迫感は

お茶を運びに来た女中も怖くて部屋に入れないほど

黒澤が愛読した

トルストイの長編小説『戦争と平和』と

アレクサンドル・ファジェーエフの長編小説『壊滅』

ドヴォルザークの「新世界より」の影響を受け

撮影期間中に何度もこの曲を聴いて

野武士が襲来するシーンなどのイメージを膨らませていた

アメリカ西部劇のスタイルを意識していたそうです。

馬が駆けるシーン

人魚姫がポニョに

矢の羽の撮影には苦心したようですが

時間論の哲学の比喩によく使われる。

アニメでは簡単でしたね。

主役は二人で

そのうちのひとりのトラウマ克服物語ともなっていて

名前や身分を偽って参戦したが

トリッキーな活躍をし

クライマックスで

赤ん坊のいのちを救いながら

出自を語り号泣

『源氏物語』等同様

十牛図の哲学

ラストは主人公なき

何事もなく

一大事なのに

なにも変わっていないような

トラウマが癒えたあとの感慨

ただもとに戻っただけ…に見える だけ

日常あるのみです。

つちくれが4つと

陰陽五行説的象徴を置く。

恩寵なき 魂の底に 風ひとつ @PTSDと発達障害

本日はイタールのお誕生日ですから

発達障害と

先天的な個体差なので

治癒という発想がないもの

PTSDの違いについて

後天的な

トラウマにより

さまざまなことができなくなったもので

トラウマの治癒が促されれば

症状は消える。

おさらいいたしましょう。

イタールは

最初は外科医でしたが

王立の聾唖研究所の主任医に就任した年に

最も有名な教え子

アヴェロンの野生児」に出会ったことで

森で完全な裸体で

粗暴極まりない状態で発見された少年で

11歳から12歳くらいと推定された。

精神障害児の教育の分野でも

先駆者としての評価を与えられています。

モンテッソーリの教育の基礎

— 健常児も障害児も

少年は

森で拘束され

猟師が目撃していて

2度捕らえられたが2回とも脱走

民家に忍び込んでいたところを捕獲された。

養育院に送られますが

数か月だけで

政治家がパリに送り

ナポレオンの実弟

見世物としたあと👀

数か月もすれば少年は無事に社会復帰し

野生生活を送っていた経緯を

自らの口から話すようになるだろうと楽観視していた。

— 横井さんや小野田さんのように?

医師フィリップ・ピネル

先天的な知的障害児であり

現在では

かなりの高知能でなければ

森で生活できないのでは🤔と考えられている。

治癒する見込みが薄いと診断しました。

これに納得しないイタールが

5-6年間にわたって

人間らしさを取り戻すための熱心な教育を行った結果

感覚機能は

3か月もするとある程度回復しましたが

視覚と聴覚にあまり改善がみられなかったことと

森での生活で発達の時期を逸したことで

神経言語学で言われる

「言語獲得の臨界期」を過ぎてしまったため

言葉を話すことはできず

アルファベットを順序立てて並べること

簡単な文章を理解したり書いたりすることはできるようにはなったが

なんとか「牛乳」(レ、lait)と発声できる程度で

会話は不可能

人間らしさを基礎づくる

あいだ の哲学

愛着問題がハードルとなり

身の回りの世話をしてくれる女性には

ある程度愛着を示すようになったが…

— 小鳥のようなもの?

言語機能の発達も遅滞させ

身振りでのコミュニケーションを理解し

自分でも使うことができたので

それで充分と考えてしまった。

感情表現ができるようになっても

他者とのつながりには至らず

強い利己心に支配されてしまうばかりで

共感することはない。

思春期となり

異性に対する心理的意識的な関心を示すことがない一方で

爆発的な発作が起こるようになると

無意識的には反応しているので

どうとらえてよいのか

意識は混乱してしまう。

イタールは手を焼き

言語を習得できないことで

社会化もできそうにないし…と

フーコー案件

— 社会化も治療もしなくていい!

教育を諦めてしまったので

身の回りの世話をしていた女性に託されて

ひっそりと暮らすようになった。

推定40歳で死去しました。

死因は明らかでないとされていますが

心理学では

愛着問題が解決しなかったために

① 母性を知らずに育ち

② 捕獲され見世物にされ

③ 父性に出会うがまた切り離されてしまった。

生きたいという気持ちが

普通は自明にある。

獲得できなかったからではないかと考えられています。

愛着理論とは

マターナル・デプリヴェ―ション =トラウマ

森の生活では

何度も危険な目に遭ったことでしょうが

そんなものよりも

耳元でピストルを鳴らしてもほとんど動揺しないが

クルミを割る音には敏感に反応

— これを偽精神医学では認知の異常という…

—— 人間を内から見ない。

愛着障害は重篤なのです。

アヴェロンの野生児は

さまざまに作品化されましたが

野性の少年』という映画を作った監督は

親から見捨てられ

親の希望で少年鑑別所にいれられていたことがある。

少年がPTSD性の発達障害で

発達障害に見えるPTSD

イタールが手を焼いた癇癪も

PTSDにありがちな症状とみていたのではないでしょうか。

身元引受人となり

社会に出て行くのを援助し

映画界での仕事を世話してくれた恩人への

感謝の念から

映画化し

自らイタールの役を演じた。

偽の発達障害の流行について

再考してほしいです。

現在の教科書にも

イタールは登場しているのではないでしょうか。

— 国家試験にも出るということ

—— 臨法心理学の時代ですよ❣

古地図抱く 学界いまだ 影の国@カント読む 眼は閉ざされて 光見ず

哲学といえば

この頃には

宮崎駿の子どもの頃

カントなんかがよく読まれたのではないかと思います。

デカルト・カント・ショーペンハウアー 

通称デカンショ と夢見で一年が終わる ってことじゃないですか?

人がどう生きるかを考えるうえで

考えていないともいえないし☯考えているともいえない

その平和論や

人類の最高善 = 永遠平和の実現

— 世界の恒久平和はいかにしてもたらされるべきか

法論の

『人倫の形而上学』

悪の問題に関すると思う

空論の根拠としての

#純粋理性批判 』の

認識に関して

経験的なるものと

— 病気なら精神病

先験的(ア・プリオリ)なるものを区別し

— 病気ならPTSD

先験的認識の妥当する範囲と限界を明らかにした。

— 精神科や心理学は純粋精神批判もできてない。

批判をしたのが日本の哲学です。

「コペルニクス的転回」の転回

— コペル君

カントの哲学や

当時の心理学を並べ立てる研究は

もうとっくの昔にオワコンで

西田幾多郎が観ていたものを扱わなければ

何も見えてこず

『君たちはどう生きるか』の作品分析もできないということです。

今年は

『地理学』より

カントは

ケーニヒスベルク大学で

1765年から自然地理学の講義を担当

地理学と歴史学の違いを

場所的記述を行うのが地理学で

時間的記述を行うのが歴史学であるとした

人種論を紹介することで

「道徳地理学」の講義

立証してみましょう。

地理的環境が異なれば倫理や道徳も異なると説いたのは

日本と

日本では子の家族もろとも極刑に処される。

ラップランド

— 働けなくなった父を殺すことは母が子を扶養するならば許される。

父親殺し

ユング心理学的にグローバルですが

人種理論(人種学)については

白人至上主義などの問題点を指摘され

フロイトの限界と似ている。

科学的人種主義の父祖の一人とみなされています。

1764年の『美と崇高との感情性に関する観察』において

アフリカの黒人と白人種との差異は

— 白人種のような独創的な製品、芸術、科学を作り出せない。

本質的な差異であると論じたうえで

アラビア人

東洋で最も高貴で「アジアのスペイン人」ながら

冒険的なものへ退化した感情を持っている。

ペルシア人

典雅で繊細な趣味を持っており

「アジアのフランス人」といってよい。

日本人

極度の強情にまで退化しており

沈着、勇敢、死の軽視といった点で

「アジアのイギリス人」といってよい。

インド人

宗教において異様な趣味を持っており

中国人は太古の無知の時代以来の風習を保持しており

畏怖すべき異様さを持つ。

続けて

東洋人は人倫的な美についての観念を持たないと論じる…

あまりにひどい内容に

これ以上読み続けることができなくなりましたが(´;ω;`)ウゥゥ

純粋経験以前の考えられた哲学であったことは

確認できました。

なぜこんな風に考えるようになったのかですが

フーコーに続き

カントの作られ方

規則で生徒たちを縛り上げる

厳格な教育方針で知られた学校に入学し

その教育方針を身をもって経験

後に

この学校の教育方針について批判を記したことが

啓蒙の哲学者カントのはじまりと書いてあります@Wikipedia

本当なのか未だに信じられない…(>_<)

純粋理性批判はできたとしても

長年にわたり条件づけられた

これはきつかったようで

素行の悪さの故に従僕を解雇したあと

新しい従僕になじめず

「(従僕の名前)は忘れ去られるべきである」と書きつけた。

— 記憶からも消してしまわねば混乱する。

パンクチュアルな人格は生涯不変で

規則正しい生活習慣で知られた。

あまりに時間に正確なので

人々はカントの姿を見て時計の狂いを直したとか

いつもの時間に散歩に出てこないと大騒ぎになったとか

— 神隠しの時間だった。

エミール」を読みふけってしまっていた。

— 自己治癒力が作動していた

『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて

「わたしの誤りをルソーが正してくれた。

目をくらます優越感は消えうせ

わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と書いた

天啓的治療の時間

感情的なので

講義では

旺盛な知的好奇心を持ち

豊かな話題をいきいきと語る

熱心な教師であったが

— 感情のポジティブな面

—— 自他をつなぐ才能はある。

論敵からの

ウィットに富む談話や世界の最新情報以外の

哲学的な話には露骨に嫌な顔をした。

— 感情のネガティブな面

—— つまり末那識の故障

生涯独身を通しました。

ニュートンの場合のように

仕事に忙殺され恋愛の暇がなかったのではなく

女性と距離を置いていた

あるいは

AI級かもしれないがロボット🤖のような

人格に合わせられる女性がいなかったという

可能性が高いと思う。

木村敏先生のあいだ論を読めば

完治したかも🤔

 

あなたもスタンプをGETしよう

蛇眠り 忘れられし理 今ぞ舞う @PTSDの象徴論

本日は

吉野裕子先生の命日です。

吉野裕子先生のお仕事は

日本のさまざまな習俗のなかに

もっぱら陰陽五行説を読み解くという

古代中国哲学

日本文化の解体作業でした。

日本人のこころを理解するには

ユング心理学じゃなくて

吉野ワールドが必要なのでした。

ユングも現在のキリスト教ではなく

土着のグノーシスなどに注目したものですが

日本人の場合も

仏教に習合されるまえの

蛇信仰や

蛇信仰は世界中にあった。

陰陽五行説から読み解きます。

日本舞踊をされていて

扇は不思議なものだと興味をもたれたのが

ご研究のはじまりでした。

50歳くらいから

在野の研究者として

たくさんの本を書かれた。

ひょうたん同様

空の象徴みたいなものですね。

『君たちはどう生きるか』の

なまずや石の謎も

陰陽五行説からでしょう。

本邦ユング派は

最近のクライエントは

象徴がつかえないので

PTSDならば

— 後天的

治ろうとするから

象徴が動く。

発達障害だと言います。

発達障害は先天的な脳の個体差

ジブリは今も

神経症と不安の時代と捉えて

— PTSDですね。

エールを送っていますよ。