哲学・宗教・倫理」カテゴリーアーカイブ

無条件に暴力を赦すのは真の聖人ではない

許すには
全容を知らねばなりません。
真実が明らかになって
初めて
誰が加害者で
誰が被害者か
見えてきます。
 ―冤罪があるように
 これは案外見えにくいものです。
 自分だって
 加害者扱いされた
  ―学校や家での不適応で
   よい子でないとみなされた
 経験を思い出してください。
一番最初に
「こいつが悪い」と
思ったものや人間を
後生思い続けるのは    ←心中
生後直後に見た動くものを
親だと勘違いして
追い回す
カモやアヒルと
知的レヴェルが同じです。
 ―健康な知性を与えられて
 生まれてきたのに
 残念なことです。
悪しき
信仰の宗教みたいなものです。
 ―真の宗教は
 実践による成長を促します。
真実が明らかになれば
$PTSD研究家翠雨の日記
善悪を超えて
許せるようになるのかも
しれません。
赦すとか赦さないとか
自分が決めることではないと
理解できるかもしれません。
そのときは
トラウマが癒えているはずです。
トラウマが
癒えていないのに
赦せるはずがありません。
自然な怒りの範囲で
許せないと
 ―怒りが怒りを生んで
 一体なんで怒ってるのか
 ワケがわからなくなる魔境はドクロ
 避けた方が懸命です。
思うのが普通でしょう。
それを他人が
許しなさいとか
こだわってはいけないとか
怒りすぎだとか
言うのは
相当ヘンな話だと思います。

山岳写真家白旗史朗さんのセルフコーチング

朝日新聞の夕刊で
シリーズで
出ておられます。
だいたい
空気の薄いところに
登るだけで
疲弊しますよ。
そこで
人を感動させる
写真撮ろうってんですから
並大抵の自我構造では
無理です。
そういう人には
心の中に
コーチがいますね。
心理療法の極意を
 ―宗教でも
  心理学でも
  極意中の極意は
  秘策ですよ。
  興味本位で
  都合よく利用されると
  魔境に入るからです。
  ブログには書けないし
  専門雑誌も
  世の中に出てないでしょう。
  (ネットで売る人が出てるようで
   学会は牽制しています)
何で知ってんの?って
いうような…あせる
$PTSD研究家翠雨の日記如人千尺懸崖上樹
こころのケア段階では
傾聴が基本ですがね。
途中で絶対
増上慢が起って自我肥大する時期が
出てくるんですよ。
 
 ―陰陽のバランスの病ですから。
一生ここに住む人も
多いですがね。
そこで
【喝!】をどう入れるか
大事な話ですニコニコ

花ではなく甘いものを送る日本のバレンタインデーのユング心理学的意味

バレンタインデーは本来、男性が花を贈る日です
 欧米諸国では、男女がお互いに愛や感謝を伝えあう日として、メッセージカードを贈りあう習慣があり、男性……….≪続きを読む≫

東洋思想と西洋哲学とか
言いますが
アジアのほかの国も
西洋的ですからね。
これは日本独特の文化です。
集合的無意識
理由があるはずです。
まだたたき台ですが
思いついたのは
★華厳経
花を飾るのがブーケ1
 ―象徴的な意味でですが
華厳経
ポニョもアリエッティも
箱庭もみんな
華厳経の理屈で
できています。
そこでは
お花はただの花ではなく
特殊な意味合い
をもっています。
マンダラ的な
完成したイメージですからね。
 ―悟りのイメージ
それは一律に送るわけにはいかない
特別なものです。
★甘えの構造
土居健郎の理論です。   ←精神分析
日本人独特のものです。
英語やフランス語には
ならないです。
アメリカ人やフランス人の
子どもも母親に
甘えますが
それを意味する言葉がありません。
小さいときから
【否認】して大人になる
のです。
女性もこの理論の範疇ですが
特に日本の男性は
マザコンです。
 ―飲み屋にもママがいるくらいですニコニコ
 しかも家庭では
 奥さんをお母さんと勘違いして
 しばしば問題のタネになります。
 
 母親の人格が見えないから
 投影した奥さんの人格は
 二重にボケて見えないラブラブ!
恋愛以前の女性は
知ってか知らずか
優しい愛ゆえか
知りませんがあせる
これを許すのです。
そういう事情と
チョコレート会社の
コラボレーションが
チョコレートではないかと
思います。
バレンタインデーまでに
また思いついたら
書きますニコニコ

『毎日かあさん7マニ車編』石頭PTSDにはマニ車

$PTSD研究家翠雨の日記
配偶者のアル中に   ←PTSD
付き添った女傑です。
まあ
いろいろありますが
たくましさから
学ぶものは大きいでしょう。
マニ車をまわすひらめき電球
これはPTSD克服の1つの秘訣です。
 ―意味がわかれば
 買わなくてよいのですよニコニコ
 こういうのはある種の装置です。
 
仏教は
人間がPTSDになりやすいのを  ←生老病死
大昔に発見し
どう対応したらよいのか    ←般若心経
研究した跡です。
 ―お経とは縦糸のこと。
PTSD克服は
普通には
時間がとてもかかる
気の遠くなる作業です。
 ―億劫は仏教の算数から出た
 ことばです。
 インドはゼロも発見
 (空ですからね!)
 西洋とは
 たましいのスケールが違うのです。
 西洋医学なんか太刀打ちできません。
ひらめき電球
生まれたのが【マニ車】
一回まわせば
お経を何度も唱えたことになる。
一日中回せば
修行が相当進むという
理屈です。
 ―これを田舎のばあさんも
  まわしています。
  仏教は在家のものです。
毎日
黙々とただひたすら
まわし続けるというのは
この理屈を信じているからですね。
トラウマ機縁の
石頭に
あーだ&こーだと
【回避】させないための
予防策です。
つべこべ言わずに
やれ!ですかねニコニコ
いつの間にか
人を正しい方向に巻き込む
仏教マジックです。
インド人になりましょう!  ←比喩ですよ、比喩!

アスペルガーじゃなくて『かくれんぼができない子どもたち』の現象学へ

朝日新聞の
ミネルヴァ書房の1月の広告では
発達障害関係の本は
ゼロ
ニコニコ
心理学的なのは
この本くらいかなダウン
$PTSD研究家翠雨の日記
『せんせい、あのね』とか  ←傾聴・対話の大切さ
福祉の方で
支援困難なケースに関する本とかは
あります。
 ―ホントはPTSD
  なんですが。
古事記あたりの
古代に関する本は
異常に多くなりました。
臨床心理学抜きで
PTSD問題を
大きく捉えなおそうとの
大きな動きを
感じます。
 ―ユング心理学は
 本来
 こういう視座をもつのを
 ウリにしてたのですがねあせる
かくれんぼは
いないいないばあの
発展編ですね。
いるけどいなくて
いないけどいる。
$PTSD研究家翠雨の日記
認知されなくては
自分がないようで
認知されなくても
自分は存在する。
 ―ブロガー心理も
  同じですよね。
  好きなことが書けているかとか
  役に立つこと書こうとするのかとか
二元論を超えた
永遠の
哲学的存在論です。
こういうのを
知性ではなく
身体的に学ぶのが
遊びのもつ凄さなのですが
 ―癒しやカタルシスまで
  内臓されてますよねニコニコ
見つけてもらえなかったら
不安だからって
数人で隠れたり
わざと見つかるようなことをする
子どもたちが増えているそうです。

かくれんぼも
命がけです叫び
 ―【回避】しながら
 取り組んでます。
かつて
宗教家の専売特許だった公案が
ポニョのテーマになるような
PTSDの世の中ですから
かつて子どもだった人たちのように
無邪気に遊べないのも
無理はありませんね。

ナスカ地上絵の臨床心理学的意味


ミクロコスモスとマクロコスモス
小宇宙と大宇宙
人間と世界
自我と自己
こころには2つの
中心があります。
そこから
自分の立ち位置を
把握してから
行動するのが
哲学です。
 ―こうしないと
 間違うのです。
空の星を見て
宇宙の広大さを
感じるのは普通です。
 ―夜空を見ない現代人は
 どうしましょう?
日頃
踏みつけている
大地に
大きな絵を描いて
自分はその上の
芥子粒以下の存在だと
感じるのは
凄い感性だと思います。
心理学者
エリクソンなんかの理論より
もっと壮大です。
自我肥大を起こした
現代人は
この点において
古代人を
見習う必要があります。

小池龍之介によるPTSD克服指南書『坊主失格』

$PTSD研究家翠雨の日記
「淋しくて不安で
空しくて
イライラして
皆を傷つけて」
 ―これは
 りっぱな
 PTSDですね。
 
「そんな私でも変われた」
 ―治ったそうです。
子供時代から煩悩の塊で
大学時代に狂気へ傾倒し
 ―煩悩はトラウマによる
 【固着】でしょうね。
 放置すると人生が狂います。
 ちなみに東大生ですから
 発達障害じゃないですひらめき電球
修行で生まれ変わったそうです。
 ―PTSDは治してもらうものでは
  ありません。
  うつ病は治してもらう病気です。
  (薬を取りにも行かないとか
  そういうのはなしですよ。
  そもそもそういうこと言うのは
  うつ病じゃない可能性が高いあせる
苦しみは
【自我】中心の
勘違いにあるから

その自我で
あーだ、こーだドクロ
考えるのを
やめる
方法を
勧めているのだと思います。
 ―トラウマの否認とかではないです。
 「トラウマの否認だ!」というのは
 ここでいう勘違いの
 あーだ、こーだに入ります。 
確かに
頭でっかちな
PTSDの方
相当多いです。
 ―問題が複雑化するモトです。
 自縄自縛です。
断捨離のおおもとは
坐禅ですからねニコニコ

宗教的悪習終末期の【胃ろう】とPTSD薬害

元自治医大消化器外科教授が
終末期の安易な【胃ろう】に
警告を発している。
$PTSD研究家翠雨の日記
欧米哲学は
「食べられなくなったら寿命」
日本の
(哲学とも言いにくい)
常識は
「食べられなくなったら胃ろう」
  ―自分がそうされたいとは
   みな思っていない。
PTSDをめぐる薬物依存と
同じ精神構造ではないかと
思う。
食べるというのはひらめき電球
象徴的には
取り込むこと
理解することでしょう。
自分で考えることができなくなったら
それは魂の死を意味します。
 ―誤解があってはいけませんから
  書きますが
  苦しいときは
  考える力があります。
  あるから苦しいのです。
薬物コントロールは
魂の死を意味します。   ←薬物ロボトミー
要するに
人間を生殺しにしたまま
永らえさせる
悪魔の手法なのです。
それを悟られないために
「哲学なんか」
「難しいことばっかり…」って
言うのかな?
 ―次の記事に続きますニコニコ

集合的無意識に息づく三蔵法師の冒険

人間のこころは
宗教的にできています。
PTSD研究家翠雨の日記
孫悟空が
 ―空思想をつかんだつもりの
  自我
調子に乗って
小児的万能感から
勘違いを起こして
増上慢になったとき
額の金縛りに
苦しみます。
 ―「トラウマ?
  関係あるかぁ!」
  「心理学ごときに
   この辛さが理解できるかぁ」
  「自分の人生
   好きに生きて何が悪い!」
PTSD研究家翠雨の日記
すべては
仏の掌の上の出来事です。
PTSD研究家翠雨の日記
仏の掌は
無意識でしょう。
 ―人が無心になると
  沸いてきます。
  佛とも書きますね。
  一即多です。
  無一物即無尽蔵です。
命をかけた冒険により
蓄積された
有り難い
お経(縦糸)は
感官に宿っています。
PTSD研究家翠雨の日記
$PTSD研究家翠雨の日記
こんな風に表現される
場所です。
 ―使う方も
  命がけですひらめき電球
智恵の光が照らします。
「もっと呑め!」
そういう風に響いてくるのは
妄想であって
別世界の話です。

寺で包丁振り回すPTSD解離男の名言「諸悪の根源は宗教だ」

京都市下京区の
東本願寺に
愛知県の無職男性(48)が
押し入り
持っていた包丁
(刃渡り約19センチ)を
振り回し
止めようとした
寺の男性職員(27)の手に
軽い切り傷を
負わせました。
通報で駆け付けた
七条署員に
暴力行為処罰法違反の疑いで
現行犯逮捕され
「諸悪の根源は宗教だ」などと
供述しているそうです。
会社を解雇され
親と不仲なのは宗教のせい
」と
書かれた抗議文も
所持していました。
PTSDは集合的無意識
つまりは
宗教とも言える
常識の問題です合格
しかし
人間のこころが
そもそも宗教的
にできているのです。
この男性の主張も
宗教的
です。
 ―PTSDだからって
 暴れてよいと
 正当化するのは
 非常識ですから。
メカニズム理解に
必要なわけであって
勘違いしてもらっては
困ります。
こういう勘違い千万の
未治療PTSD的わがまま
多いですショック!