仏教の心理学
唯識のものの見方です。
フロイトの研究より
はるか昔に
もっと詳しい無意識の研究が
あるのです。
あらゆるものを
たとえで教えてくれます。
親切でしょ?
★人間にとっての水も
★天人から見れば
きらきら光る水晶
★魚にとってはおうち ←見えない
★餓鬼にとっては
炎の燃え上がる膿の流れに ←ゆがんだ見方
見えるそうです。
虐待児なんて
勝手に書かせてもらってますが
その本質は【無我】
★海外の薬屋さんからみれば
ドル箱
★精神科医からみれば【発達障害】
★学校の先生から見れば【不適応】
★行政から見れば【住所不明】
かな?
「哲学・宗教・倫理」カテゴリーアーカイブ
油断しなければ大丈夫
比叡山延暦寺の
1200年灯り続けている
灯篭です。
伝統は伝灯です。
―火(意識)を伝えてゆく
油断するな!は
そのために
菜種油を絶やさないようにすることですね。
ともり加減をみながらでなきゃ
危ないですよ
不滅の法灯とは
「油断しない。
油断しないとは
普段どおりでいいということ」
だそうです。
特別なことではなく
自分の火(意識)をぼんやり
見続けること
それがいつか当たり前になる ←当たる!
そうです。
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油断しなければ大丈夫
桑田圭祐さん【がん告知】によるPTSD回避成功
キェルケゴールも
「正しく不安がることを
学んだものは ←否認は危険!
最高のものを学んだものである」
そう言ってます。
抑うつ状態に陥るほどの ←うつ病ではありません!
不安を経て
がんと正面から向き合おうと
思えるようになった
桑田さんは
がん告知によるPTSDを
回避することに ←防衛機制の回避ではありません
成功しました。
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桑田圭祐さん【がん告知】によるPTSD回避成功
キェルケゴールも
「正しく不安がることを
学んだものは ←否認は危険!
最高のものを学んだものである」
そう言ってます。
抑うつ状態に陥るほどの ←うつ病ではありません!
不安を経て
がんと正面から向き合おうと
思えるようになった
桑田さんは
がん告知によるPTSDを
回避することに ←防衛機制の回避ではありません
成功しました。
スイス列車事故「なぜこんな目に逢わねばならないのか」
スイスのアルプス観光列車
「氷河特急」脱線事故で
死亡した
兵庫県尼崎市の国本安子さん(64)の
長男尚さんは27日
ジュネーブで記者会見し
母親の遺体と対面したことについて
「泣き崩れました。
なぜ
こんな目に遭わなければ
いけないのかと思った」と
述べました。
レールの変形など
物理的原因を知ることも
必須ですが
それぞれの遺族の方々の
心理的課題は
「なぜこんなにつらい目に
逢わねばならないのか」
考えることです。
誰が悪いわけでも
ありません。
そして
常識では解けません。
かといって
考えねば
トラウマ化してしまいます。
このような惨事にあえば
誰もが
哲学者になります。
苦しい作業を見守ることが
大事でしょう。
「考えるな」
「意味なんかない。
偶然だ」
なんて言うのは
悪魔です。
続きを読む
禅風【主人公】への自問自答で【解離】防止
【主人公】という言葉は
もとは
【禅語】らしいです。
―知らないだけで
我々の文化も
行動も考え方も
相当禅風です。
唐代末期の
瑞巌寺の師彦和尚は
毎日自分に向かって
「主人公」
「はい」
「目を覚ましているか」
「はい」
「人にだまされるなよ」
「はい」って
つぶやいていたそうです。
それが
【無門関】に収録されて
長い時間のなかで
【主人公】という言葉だけが
残り
物語の主人格を
【主人公】と呼ぶようになりました。
―もともとは
主語がない(無我)のが ←能動&受動
日本の物語でした。
PTSDの人たちも
毎日ブログで自問自答
してますね。
和尚はこれ以外に
説教しなかったらしいですよ。
本当に自問自答ができたら
悟れるってことでしょうね。
それが坐禅だから…
呼びかける人格も
呼びかけられる人格も
意識していたら
少なくとも【解離】防止に
なりますよね。
わからずやの訪問者が来ても
キレて秋葉原に行かないで
そこはぐっと問答を続けるのですよ
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スイス列車事故「なぜこんな目に逢わねばならないのか」
スイスのアルプス観光列車
「氷河特急」脱線事故で
死亡した
兵庫県尼崎市の国本安子さん(64)の
長男尚さんは27日
ジュネーブで記者会見し
母親の遺体と対面したことについて
「泣き崩れました。
なぜ
こんな目に遭わなければ
いけないのかと思った」と
述べました。
レールの変形など
物理的原因を知ることも
必須ですが
それぞれの遺族の方々の
心理的課題は
「なぜこんなにつらい目に
逢わねばならないのか」
考えることです。
誰が悪いわけでも
ありません。
そして
常識では解けません。
かといって
考えねば
トラウマ化してしまいます。
このような惨事にあえば
誰もが
哲学者になります。
苦しい作業を見守ることが
大事でしょう。
「考えるな」
「意味なんかない。
偶然だ」
なんて言うのは
悪魔です。
禅風【主人公】への自問自答で【解離】防止
【主人公】という言葉は
もとは
【禅語】らしいです。
―知らないだけで
我々の文化も
行動も考え方も
相当禅風です。
唐代末期の
瑞巌寺の師彦和尚は
毎日自分に向かって
「主人公」
「はい」
「目を覚ましているか」
「はい」
「人にだまされるなよ」
「はい」って
つぶやいていたそうです。
それが
【無門関】に収録されて
長い時間のなかで
【主人公】という言葉だけが
残り
物語の主人格を
【主人公】と呼ぶようになりました。
―もともとは
主語がない(無我)のが ←能動&受動
日本の物語でした。
PTSDの人たちも
毎日ブログで自問自答
してますね。
和尚はこれ以外に
説教しなかったらしいですよ。
本当に自問自答ができたら
悟れるってことでしょうね。
それが坐禅だから…
呼びかける人格も
呼びかけられる人格も
意識していたら
少なくとも【解離】防止に
なりますよね。
わからずやの訪問者が来ても
キレて秋葉原に行かないで
そこはぐっと問答を続けるのですよ
筒井康隆流ハイデガー理解に浮かぶPTSD哲学
①己事究明の大切さ
自分を知ることですね。
いつの世も偉人はこれをしてきました。
若い人が性格分析好きなのは
正しいのです。
ちゃんと分析できない大人が
そんなことより勉強しろと
ごまかしてるだけで…
②3種の恐れについて説明している
驚愕は
すでに知っているモノが突然現れたとき
戦慄は
見知らぬものが徐々に近づいてくるとき
仰天は
見知らぬものが突然現れたとき
起こるそうです。
精神医学研究によれば
統合失調症のはじまりは
【戦慄】とおののきだそうです。 ←人間は人間に戦慄を起こせません。
PTSDの一部は
人災です。
人間という知っている存在が
(顔見知りだったりする)
豹変することで
【驚愕】して起こります。
原子爆弾は
想像したこともないような
地獄が突然降ってきたんですね。
(後で人災と知りますが)
【仰天】ですね。
天災によるPTSDは
【驚愕】のような【仰天】のような
存在になりますね。
ざっと考えてみましたが
これでよいのかどうか。
ハイデガー研究の活発な議論をし
継承し発展させる素地さえ
日本人はもっていると
思います。
③【死を想え】の哲学
実際に死ぬのではなく
よりよく生きるために
死について真面目に考えるのです。
個人的な恐れの経験は
1つの死です。
PTSD克服は
哲学そのものです。
哲学は要らないというような
即否定の治療者に ←わからないのは誰でも!
用はありません。
ナチス加担とか言われて
誤解されてることも含めて
―PTSDと無理解はセットですから
PTSDに大事なことが
一杯つまってるようです。
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