哲学・宗教・倫理」カテゴリーアーカイブ

デカダンスに想うPTSD克服環境② ニーチェの場合

「見えない処を見る」
あの心理学にせよ、
その他私が特技としている事柄は
病苦の時期に
はじめて習得したものなのであって

あの時期固有の贈り物である。
病苦の時期には
わが身における何もかもが
洗練された。

観察それ自体だけではなく
観察の全器官も洗練されたのである。
病者の光学から
一段と健康な概念と価値を見渡し
また
これとは反対に豊富な生の充実と自信とから
デカダンス本能の秘かな営みを見下すということ
―これが私の最も歳月をかけた修行であり
私のほんとうの経験であって
もし私が何らかの点で達人になったのだとすれば
それはこの点においてであった。
…私にだけ「価値の価値転換」などと
いうことが可能になる第一の理由は
ここにある。
アップ自分でつかむしかないし
それが最強なんですねニコニコ

デカダンスに想うPTSD克服環境① デカダンス

デカダンスは
フランス語
décadenceからで
【退廃】です。
日本語から受けるイメージは
あまりよくないですが
 
「無」とか「空」に繋がるものの
フランス版で
本来は
哲学的で
よい言葉だと思います。
 ― 一生、そこに浸ってはいけませんが
  【個性化の過程】のある時期において… 
19世紀末に
既成のキリスト教的価値観に懐疑的で
芸術至上主義的な立場の
一派に対して使われたんです。
でも
21世紀に
その一派にいて
デカダンスを気取ってたら
化石と映る。
PTSDに関しても
この迷いが
案外多いなぁって
思います。
自分の頭と身体だけで
考える人だけが本物で
その人にしか
この病は克服できないと
思います。

PTSD克服にはウロボロスではなく六道輪廻図参照!

六道輪廻図です。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天
地獄は嫌だし
餓鬼の苦しみも困ります。
小児虐待なんて畜生以下です。
人間も辛いし
天はいいのではないかと思うでしょう?

ところが目
有頂天はいけないのです。
そこから転落した天人のお話が
仏教説話にはあります。
PTSD研究家翠雨の日記
怖い鬼さんに牛耳られた世界からの
解脱を目指すのです。

PTSD研究家翠雨の日記
完結はありません。
常に水のように流れ続けるのが
いのちであり
生きているということなのです。

PTSD研究家翠雨の日記
永遠に進化し続けるのが
東洋的自己実現
個性化の過程なのです。
続きを読む

PTSD克服過程における不安と学び

「園のすべての木の実を食べてもよい。
だが善悪の知識の木の実を食べてはいけない。
それを食べたら
きっとななければならなくなるからである」

創世記第二章16節にあります。

陰陽五行では
善悪の知識の実を食べよ!
ですけどね。

PTSD研究家翠雨の日記

善悪を神さまに決めてもらってすむなら
楽ちんです。

でもその神さまが
暴君って場合
 ―聖書の神さまは偉大だと思いますが
 人間の無意識に刷り込まれた邪悪な神のこと
 虐待する親とか・間違った医療知識だとか…

成長とともに
そこは地獄だと気づき
逃げ出したくなるときが
きますよね。

そして
そのときは
試練ですよね。

でも
キェルケゴールは
ここで正しく不安がることを学んだものは
最高のものを学んだものであると

言ってます。

つらいけど
そうなんです。
続きを読む

PTSD克服にはウロボロスではなく六道輪廻図参照!

六道輪廻図です。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天
地獄は嫌だし
餓鬼の苦しみも困ります。
小児虐待なんて畜生以下です。
人間も辛いし
天はいいのではないかと思うでしょう?
ところが目
有頂天はいけないのです。
そこから転落した天人のお話が
仏教説話にはあります。
PTSD研究家翠雨の日記
怖い鬼さんに牛耳られた世界からの
解脱を目指すのです。
PTSD研究家翠雨の日記
完結はありません。
常に水のように流れ続けるのが
いのちであり
生きているということなのです。
PTSD研究家翠雨の日記
永遠に進化し続けるのが
東洋的自己実現
個性化の過程なのです。

PTSD克服過程における不安と学び

「園のすべての木の実を食べてもよい。
だが善悪の知識の木の実を食べてはいけない。
それを食べたら
きっとななければならなくなるからである」
創世記第二章16節にあります。
陰陽五行では
善悪の知識の実を食べよ!
ですけどね。
PTSD研究家翠雨の日記
善悪を神さまに決めてもらってすむなら
楽ちんです。
でもその神さまが
暴君って場合
 ―聖書の神さまは偉大だと思いますが
 人間の無意識に刷り込まれた邪悪な神のこと
 虐待する親とか・間違った医療知識だとか…
成長とともに
そこは地獄だと気づき
逃げ出したくなるときが
きますよね。
そして
そのときは
試練ですよね。
でも
キェルケゴールは
ここで正しく不安がることを学んだものは
最高のものを学んだものであると

言ってます。
つらいけど
そうなんです。

PTSDにおいては 脳 ≠ こころ

脳科学が
流行しているが

禅からみれば
やはり
脳よりこころが大事である。
   (真の自己)

脳科学だけでは
人間存在は見えてこない。

フランスの哲学者
ベルクソンは
『物質と記憶』のなかで
書いている。

脳はハンガー
こころ(精神)は洋服

 ―昔からこころはなにかと
 【象徴】で表現されてきました。

壊れたハンガーには
洋服はかけられない。

脳機能がダメになれば
こころにも
異常をきたすが、

こころは脳そのものではない。

PTSDから発作が起きたとして

『困った』とか
『どうしよう』とか

発作を眺める自分がいますよね。

すさまじさに飲み込まれても
必ず我に返りますよね。

有名な心理学者のように
PTSDから脳梗塞起こして
亡くなりでもしない限りね。
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PTSDにおいては 脳 ≠ こころ

脳科学が
流行しているが
禅からみれば
やはり
脳よりこころが大事である。
   (真の自己)
脳科学だけでは
人間存在は見えてこない。
フランスの哲学者
ベルクソンは
『物質と記憶』のなかで
書いている。
脳はハンガー
こころ(精神)は洋服

 ―昔からこころはなにかと
 【象徴】で表現されてきました。
壊れたハンガーには
洋服はかけられない。
脳機能がダメになれば
こころにも
異常をきたすが、
こころは脳そのものではない。
PTSDから発作が起きたとして
『困った』とか
『どうしよう』とか
発作を眺める自分がいますよね。
すさまじさに飲み込まれても
必ず我に返りますよね。
有名な心理学者のように
PTSDから脳梗塞起こして
亡くなりでもしない限りね。

森田療法のあるがままとPTSD

日本独自の短期入院療法で

トラウマに対し
【煩悶即解脱】を目指します。
  ―かなり苦しい療法だと
   想像してます。

考案者
森田正馬は言います。

神経症に罹る人は
考えても仕方がないことに
こだわったりする傾向
がある。
  ―もちろんトラウマの否認はいけませんよ。
   森田さんはPTSDを知らない時代の人ですし
   無理に抑圧しろとは言ってませんから…

嫌いな人がいるのは
健常者でも同じ

蛇が嫌いでもかまわないし
無理に好きになろうとすると
ストレスになる。

健常者にも認められるような
こういったことを
神経症の人のこころは
真面目で固いから
克服しようとする。

彼のいう【あるがまま】は
禅風のもので
そういう意味です。

あるがままにした方が
予後がいいのは
確かでしょう。

PTSD克服は
課題満載なので

余計なことは
振り払いましょう!
(それが難しいのだと
 お叱りをうけそうですがあせる
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森田療法のあるがままとPTSD

日本独自の短期入院療法で
トラウマに対し
【煩悶即解脱】を目指します。
  ―かなり苦しい療法だと
   想像してます。
考案者
森田正馬は言います。
神経症に罹る人は
考えても仕方がないことに
こだわったりする傾向
がある。
  ―もちろんトラウマの否認はいけませんよ。
   森田さんはPTSDを知らない時代の人ですし
   無理に抑圧しろとは言ってませんから…
嫌いな人がいるのは
健常者でも同じ
蛇が嫌いでもかまわないし
無理に好きになろうとすると
ストレスになる。
健常者にも認められるような
こういったことを
神経症の人のこころは
真面目で固いから
克服しようとする。
彼のいう【あるがまま】は
禅風のもので
そういう意味です。
あるがままにした方が
予後がいいのは
確かでしょう。
PTSD克服は
課題満載なので
余計なことは
振り払いましょう!
(それが難しいのだと
 お叱りをうけそうですがあせる