虔十は
主人公の名前ですが
賢治の分身(今風に言うと別人格)と言われています。
ケンジュウとケンジと音が似ている。
実際にKenjüとサインしていた。
仏教とキリスト教を行き来したので
敬虔と仏が衆生を救う十力の意味を込めた。
今なら
発達障害と診断されそうな男児が
村中でバカにされている。
家族も農作業等は期待しないが
保護的に接している。
杉の苗がほしいと初めておねだりし
自然は好きですが
自然を眺めて感動するのが日課
思わず笑顔になるとバカにされるので
感動を無理に押し殺している。
農業の知識がまるでないのに
誰もが無理だという場所に苗を植えた。
家族に助けられながら
いつの間にか作った庭のようなものに
子どもたちが集まり
街になります。
途中で村のゴロツキに言いがかりをつけられると
初めて自己主張し庭を守り抜きましたが
自己実現の過程では
必ず試練が用意され
試される。
まもなく病気で亡くなりました。
創作と魂の成長がリンクしてますから
これは箱庭療法と呼んでよいでしょう。
時代は変わり
景色は様変わりしますが
そこだけは昔のままで
人々の憩いの場になりました。
アメリカ帰りの博士が
人の賢愚はわからないものだと言います。
賢治の分身たちは多数
時代が変わり
外から来た人に
真意が見えるということもあるでしょう。
そして
見た人に視座の転換や気づきを与える
こういう世界観は
マンダラとも言えます。
自然のなかに歩み入り万物と共に生きて
世間知とかかわりのない
自分宇宙をつくりあげる。
発達障害にでっちあげられる子たちと
発達障害専門家の世界観は
随分次元が違うみたいですよ。
国家資格と言っても漫画でしょ?