アレッポの
―ここが一番悲惨
石鹸使ってますから
―オリーブ石鹸
身近に感じます。
―薄毛に悩む人は
合成シャンプーやめた方が
いいですよ。
子どもたちも
信仰心が篤く
―人間には
何でもいいから
1つ芯が必要でしょう。
向学心も強いですが
危険な目に遭い
学校にいけません。
大人たちは
こころの荒廃を心配していますが
それは
学校にいけないことじゃなくて
復讐心が芽生えること
だそうです。
日本人が
忘れた感覚ですね。
学校に行くことより
こころのケア教育をすることが
大事なのに
それを否認するんですから。
戦場でも
―いじめ自殺のリスク
ブラック企業でも
休むな!って
感じですよね。
被災地にも
PTSDはあまりないとか。
―ユング派の第一人者が言う。
狂ってます。
「戦争」カテゴリーアーカイブ
『はだしのゲン』はPTSD予防教育に読まれるべき
閲覧制限の問題が
持ち上がっていますが
米国の漫画家
レイナ・テルゲマイアーさん(36)は
「10歳のときに
読めてよかった」
「いくつかのシーンは
読者を動揺させるかも
しれないけど」と
語っています。
PTSD問題に
もれなくついてくる
議論です。
PTSDの否認が
一番悪いのです。
このブログなんかも
PTSD問題が
存在するということを
書き遺すのが
まずは
第一の目的です。
心理療法は
別に実践しているわけですからね。
―細部は
誤解されるから
書けないし。
PTSD解離基地外米兵野放しの沖縄で暴走族ゲリラ化
オートバイの危険運転や
騒音を振りまく
暴走行為が
県内で
小集団
散発化と
ゲリラ化しているそうです。
本土に
見放され
生活空間を
侵略され
ストレスを与えられていますから
解離行動で
発散しないと
苦しいのでしょう。
迷惑行為ですが
被害者でもあります。
成人式が
一番荒れるのも
沖縄ですね。
―何がおめでとうだ!って
感じですね。
国際通りで遭うひとたちは
まじめで
働きもので
―特におばあさん
信じられないくらい優しく
ゆったりしてますから
ギャップが
大きいです。
ユタ文化に興味があるから
―臨床心理学の原点
何度か
離島に行きました。
「正義の回復のために闘っています」レイプPTSD予防中の83歳
太平洋戦争中の
フィリピンで
日本の兵士から
暴行を受けた女性が
来日
記者会見しました。
暴行で
気を失うような
絶望の日々の後
解放されても
故郷に帰ることができず
そのため進学できず
結婚しても
蘇る記憶に苛まれ
体験を語り始めると
夫は去ったと言います。
戦争の
置き土産としての
PTSD予防が
今も続いています。
正義の回復のために
努力する人の言葉には
重みと
説得力があり
人のこころを打ちます。
韓国議員と右翼団体が靖国神社で舌戦PTSD負の遺産
韓国最大野党の議員らが
靖国神社から
約500メートル離れた路上で
「安倍政権の軍国主義は
止めなければならない」などと
記者団に訴え
右翼団体や
右派系市民団体のメンバーらは
「朝鮮のマスコミは帰れ」
「歴史を捏造するな」などと
罵声を浴びせ
警備の警察官と
もみ合いになる一幕も
ありました。
戦争トラウマが
成仏するまで
代理戦争が
続きます。
洗脳を解いて
こういうのに
参戦させられないように
しないといけないですね。
ストーン氏「基地は不要」次々敵を妄想させるPTSD解離洗脳にメス
91歳元軍人証言集ネット配信でPTSD予防活動
「あさかぜ」という
ホームページです。
壮絶な体験は
文章で
読むのが
よいかもしれません。
文才もあるかと
思いますが
無理なく
―画像とかだと
子どもが怖がるでしょう。
恐怖心とともに
教えると
洗脳になりますからね。
理解できます。
―認知の歪みのある場合は
知らん
認知症にもならず
どこかの
暴言発散医者みたいな
老害でもなく
―小食主義の
悪い見本で
断食の意味が
全然わかってない。
貴重です。
「死んでも
ネットなら
記録に残る」
私も同じ気持ちで
毎日書いてます。
ベトナム戦争ショックで40年間密林暮らしのPTSD解離父子保護
男性(82)は
40年前の戦争中
住んでいた集落が
爆撃を受け
妻と2人の子を亡くし
そのショックから
当時2歳だった
―今42歳
息子を連れて
密林の奥に逃げ込んだようです。
腰みのだけを身につけ
木の上の
小屋で暮らしていたそうです。
PTSD治療も
必要でしょうね。
家族が見た沖縄PTSD基地外米兵の日常
米兵と結婚した
沖縄女性もいるわけです。
すべてが
基地外行動するわけではないですから。
しかし
ある日を境に
急に人格変容
来たかった沖縄だし
芝生に囲まれた
5つも部屋のある
宿舎ですが
今まで
蓄積された
恐怖感や罪悪感で
こころが押しつぶされそうなのでしょう。
消防車のサイレンを聞いただけで
ベッドの下に
潜り込んだり
夜中に
突然起きて
妻の首を絞めたり
便器を抱えて
吐いたり…。
ベトナムにも行き
最後は
体調を崩しての
急死ですから
枯葉剤による
―倉庫の近くで働いた。
体調不良や
その予期不安も
あるでしょう。
どこまでが
どのせいなのか
わからないのは
フクシマの
PTSD解離行動と
似ています。
化学物質を避けること
戦争を避けること
二本立てで
PTSD予防です。
エノラ・ゲイ機長も原爆加害者PTSDの人生
元広島資料館長と
文通していたそうです。
渡米した
館長の
ケロイドをさすり
顔をゆがめ
互いに
戦争を繰り返さないという
決意で努力しようと
誓いあったそうですが
広島に来てほしいと言う
願いには
たった7行の
断りの手紙で
―苦渋の末の結論
それが最後になりました。
写真は雄弁で
エノラ・ゲイの窓から
顔を出す
若い時と違い
最後の手紙から
12年後の
晩年の横顔には
影があります。
いつか
医療問題でも
原発問題でも
エノラ・ゲイの機長が
たくさん出るのでしょうね。
「核兵器の使用を
道徳的に解釈したり
正当化したりしようと
していない点が
私は特にうれしかった」
館長さんは
そう書き遺しています。
これは
できるかな?