易陰陽五行説」カテゴリーアーカイブ

南方熊楠PTSD治療研究人生の凄み

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本日お誕生日の南方熊楠

1867-1941

植物学者として知られていますが

昭和天皇にご進講

このときだけはかしこまって紳士に見える(^^♪

文字通り博学で

『十二支考』など民俗学まであり

曼荼羅と称される。

ネイチャーなどに論文もあるが

どちらかといえばコレクター&記録魔で

― マッチ箱やキャラメルの箱などに保管

― 現代の研究者からするとモッタイナイ才能

― ありのまま描写して記録するのは心理療法的💡

生き方そのものの表現が曼荼羅

その研究を支えた

たぐいまれな語学力は

驚異的な記憶力と

神童と呼ばれた。

常軌を逸した読書生活ではぐくまれたものでしたが

本は買ってもらえなかったので

蔵書家の家で本を見せてもらい

帰宅後ひたすら記憶から書写

PTSDの自己治療法であったことは

異常なかんしゃくもちで

一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になるなど

奇行が多かった。

― どこをとっても奇人の生活

自他共に認めるところだったようです。

両親など周囲の人々は頭を抱え

本人も自分の気性に自覚があって

生物学などの学問に打ち込んでいると

柳田國男宛の書簡で書いている。

最終的には

柳田國男から

日本人の可能性の極限」と称され

現代では「知の巨人」と評されるまでに昇華した。

― まさに曼荼羅のような人生はお菓子にも👇

お菓子の箱も多かったので

― 漱石とも出会っているらしい

―― 甘いものが好きすぎるのは脳🧠に悪かったかも🤔

心理学モデルがまた秀逸💕

わたしたちの生きるこの世界は

物理学などによって知ることのできる「物不思議」という領域

心理学などによって研究可能な領域である「心不思議

そして両者が交わるところである「事不思議」という領域

更に

推論・予知、いわば第六感で知ることができるような領域である「理不思議」で成り立ってる。

これらは人智を超えて

もはや知ることが不可能な「大日如来の大不思議」によって包まれている。

「大不思議」には内も外もなく区別も対立もない。

それは「完全」であるとともに「無」である。

この図の中心に当たる部分を熊楠は「萃点」と名づけ

「萃点」からものごとを考えることが

問題解決の最も近道であるとした。

― 華厳を読んだ形跡はないが何かと華厳経を熟知したような表現が多い。

松尾芭蕉『おくのほそ道』PTSD予防不易流行の作法

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1689年の5月16日

旧暦3月27日

西行500回忌なのでこの日にした。

松尾芭蕉は

『おくのほそ道』の旅に出たそうです。

伊賀の生まれで

45歳にして

約450里(1768キロメートル)に及ぶ旅程を踏破する健脚

奥さんみち連れ戦術は

忍者説@集合的無意識 から浮かび上がった表現かも🤔

いわゆる八百屋お七の火事で

ここではボヤ(小火)と書いてあるのですが

芭蕉庵を焼失し

再建されたものの

隠棲の儚さを痛感したことも大きな要因でしょうが

このあと

「笠」を題材とする句が目立ち

実際に自ら竹を裂いて笠を自作

「笠作りの翁」と名乗ることもあった。

「笠」を最小の「庵」と考え

風雨から身を守るに侘び住まいの芭蕉庵も

旅の笠も同じという思想を抱き

旅の中に身を置くようになった。

こんな感じの話

応無所住而生其心🙏

それで家出や出家をする。

― おしゃかさんも西行も妻子を捨てた。

崇徳天皇の霊を慕って

菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊のうち

― 理不尽な苦労の人生から生まれた物語

最強とされている。

讃岐へ行脚した

表現しながらの鎮魂の旅

― 永遠の心理療法

西行をまねたのも

江戸時代のオカルト本

『雨月物語』には

怨霊となった崇徳院と対話する「白峰」という話がある。

PTSD物語がサイコホラーとしては最強ということ

「不易流行」ですよね。
表向きはそれぞれだが
変わらない部分がある。
易陰陽五行説やPTSD理論も同様

子どもの日も児童虐待DVお父さんPTSD生配信が止まらない件

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鯉の幟(のぼり)

幟は

何かの印や象徴

~ 宗教的な場所から始まりました。

お寺も陰陽五行説

― これは幕だけど

端午の節句ですね。

5月の最初の(端)午の日

武家の男の子には

登竜門を意識してほしいという

鯉が龍になるようなことがある。

― 妹たちはみんな一緒が楽しい ポニョだけが家出する

―― 一即多 海印三昧の華厳経

自己実現のことと思われ

事実

龍門は崖の上にありました。

親の願いが表現されています。

天下をとったようなお父さんは

実際は一度も成功していなかったらしい。

気づけば

物理的にも

タワーマンション

精神的にも高いところにいて

眠らずに

支離滅裂な配信をし続けているところをみると

クスリを止めてない…🤔

今日も

連日「最後に…」「最後に…」

やめるやめる詐欺は

解離性健忘によるものらしい。

児童虐待中

一家は楽しそうではないですね。

薬物は怖いです。

人はなんとなく未来を予感しているものらしい。

「エバーグリーンコンテンツ」&「バグる『解離の舞台』」神隠しの陰陽

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みどりと言えば

松の緑

常緑樹で

代表的なセルフの象徴です。

永遠・普遍とまではいかなくても

慣れ親しんだものが

せめて10年はそこにあり続けてくれれば

― もちろん少しずつ改良されてゆくでしょう

― 不易流行

こころが安定しますよね。

エバーグリーンコンテンツ

一方で

最近のお騒がせ騒動は

与沢翼さん広末涼子さんから再浮上の泰葉さん

時代を超えて

バズりながらバグる傾向のものです。

能舞台では

松の前に鏡があるから

大円鏡智

普通は直視できないのですが

ガマ油で床が滑って逃げるに逃げられず💦

解離していると

薬物(合法・違法は無関係)投下で派手になる。

作為体験の舞台となりますね。

みんな統合失調症を疑われるような

重症PTSD

歴代のバグる芸能人は

神隠しの世界の住人なのかもしれないと思いました。

『藪の中』みたいに

神隠しから帰ってきた人帰ってこなかった人の話が

集合的無意識のなかで伝説となる。

しかし窮すれば通ずで

与沢さんのパフォーマンスは永遠なのかも🤔

でもグリーンじゃないような…と書いていたら

勿体ない…

『オツベルと象』PTSD解離性特殊詐欺師の末路

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『オツベルと象』は

小賢しいオツベルが

賢治を気取って(?)

頭がいいつもり

やり手の悪党

象を騙して働かせ

オツベルの悪意など知らず

― 次元が違う世界のいきもの

何かをしてみることは楽しいものだから

純粋に楽しんでいた。

搾取しているうちに

楽しいことも

さすがに5倍となると苦痛でしかなく

月に苦しいよと言っているのを聞いて逆ギレ💢

― こころというものがない

殺害されたというお話です。

『注文の多い料理店』とよく似た筋がきで

喰うものは☯喰われるもの

数少ない生前発表の作品なので似ている

ちょっと『十牛図』的な構造も混ざり合っています。

話し手は牛飼いで

― インドなら象

まず象が消えそうだと言い

― 瀕死で断食瞑想

―― 食べられなくなり月(サンタマリアという名前)に相談

最後は

オツベルが消え

― 救済のために押し掛けた象たちの下敷きに?

象は仲間たちに保護されました。

― 十図は帰還

象が

白象なのは

意識の純粋性のたとえで

釈迦の生母は白象🐘の夢をみて懐妊

― なので象は月をサンタマリアと呼ぶのだろう

― ― ― 聖母マリア    @精霊の産まれ方

さらに瀕死の状態になったとき

純粋性のために理不尽な目に遭い復活する定め

百尺竿頭で究極の無我

救済されました。

手紙を書くにも道具がないと嘆けば

― なすすべもない( ノД`)シクシク…

赤い着物の童子がもってきてくれた。

― 治癒には特殊な表現が必要

中国語もわかりませんが多分こんな感じ(^^♪

最期の作品は本当に意味深い…

喫茶去PTSD治療論

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「喫茶去」は

「まあお茶でもお飲みなさい」くらいの意味だそうですが

クレーマーに対して

話を聴く姿勢を示して

気持ちを沈めてもらって

―― @易学  が済む

一件落着… みたいな

難しい話は抜きにして

お茶でも一杯飲みましょう。

楽に行きましょう」なんて解説には

おおもとの意味が垣間見えます。

もともとは禅語で

中国・唐時代の趙州従諗禅師

幼いころに出家

― 今なら児童虐待

厳しい禅の時代に

― 暴力的

簡単な言葉で解説することに成功した

公案考案の達人

文字通り

「お茶でも飲んで去れ」

叱咤激励?したものでした。

自分を訪ねてきた

ふたりの僧に

「前にここに来たことがあるのか?」と尋ねておきながら

「来たことがない」と答えた僧にも

「来たことがある」と答えた僧にも

「喫茶去」とお茶をすすめたとのことです。

文字通り

禅問答@現代語 ですね。

来たことがあるとかないとかは関係なくて

頓智

ここに来たなら

… ということはですね。絶対無の場所ってこと?

  一太極二陰陽

お茶でも飲んで

リラックスして瞑想

― 非日常的な思考

発想が刷新されるようなことでもあれば…

去るという場であることを示しています。

「ようこそ」「いらっしゃいませ」くらいの意味かな

ぶぶ漬けの意味はちょっと違うけど

発想はお寺仕込みなのかも🤔

この禅師

かなり偉いお坊さん

昔の人で

120歳まで生きたというのだから

お茶は健康によいようですね。

貴重な薬だったから

を飲むためだけにもできた。

― 一抹の翠🍵が世界平和にもつながるという壮大な理論

PTSDを薬で治そうという発想と真逆の喫茶去なのでした。

不眠の話 陰陽五行説編

中国は

道教の説では

庚申の夜

人の身体にいる虫が

三尸虫  さんしちゅう

睡眠中にひそかに昇天

至高神にその人の罪過を告げるのだそうです。

純朴な昔の人は信じたようで

今でも

よい人ほどちょっとした罪悪感に

― PTSDの素

苛まれるものです。

神さまには

― 自己 セルフ

もう届いてますからね。

当時の心理療法家が対応しました。

哲学が仕組み

怖がらせて

宗教が手当のマッチポンプかと思えば

癒す

そうではなく

僧などインテリ層も信じていたので

盛んな行事に発展した。

どちらも本気のようです。

処方箋は

虫封じ

逃がさないよう見張ること!

虫の形は

ある説とない説

 見える場合は二寸 毛が生えていて 最後は生前の姿そのままに変化

いい加減な俗信らしさなのか

陰☯陽で確信犯なのか🤔

とにかくみんなで寝ずの番です。

集団心理療法

それが奏功し?

恐れることもないものとなり

日本に来た時には

本当は謹慎して過ごすべきところ

なんとなく

武漢で恐ろしい病が発生して

日本ではなんだかんだ言いながらも

マスクして在宅ワークしたり

ネット会議も盛んなった過程に似ている。

平安の貴族は

詩歌管弦 物語 遊戯に興じて徹宵

中世の武家は

眠らずお酒をのみ炒り豆食べて談笑して夜あかしと

なんだか楽しそうです。

今でも庚申さんの縁日には

虫の縁?

夜店が出ますね。

話はもどり

庚申は六十干支の57番目

かのえ 火の兄 

申も火気

媒介するイメージとして虫を考案

その人は死んでも残る虫 

 石や鉄 天みたいな金気

告発 言う 言葉も金気 

どこまでも金気の虫を

見る  という火気でやっつけます。     

 火剋金 の呪術

申の七つから寅の七つ 7回

猿田彦は火の神格化を祀る

供物は7つ

三猿 も待機

 みない きかない いわない

それで、不眠はPTSD予防中に起きるとか

知っていても(得て公資格受験問題)知らん顔するんですね。

悪いことをして

告発されて

おはよう逮捕を恐れ

睡眠薬を呑むより

好きなお酒とナッツでもつまみながら

相談したり表現遊びをして対策を練った方が

予後がよいでしょう。

山も笑う春分@2025

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よいお天気です(^^♪

どこまでも見立ての文化です。

無我 = あなたの見ている現実はない

だから

頭をつかわない心理療法がこころに効く💡

こころでは見えているから

腑に落ちる

【十六団子の日】神さまを感じてPTSD予防

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3月16日は

お米づくりを始めるとよい日

― 陰陽五行説は暦でもある。

田の神が天から戻ってくるので

東北や北陸では昔から

お団子を16個供えて

お迎えしたのだそうです。

収穫を終えて10月16日には

お帰りになるので

またお供えします。

神去来

春秋 = 一年間

杵の音が合図になるそうで

聴覚が頼りのようです。

お米がうまくできるように

見守って👀くださるのですが

春には土のなかに長くいたために

足が白いから

白いものをお供えするとも

目が見えにくくなるので

声かけを丁寧にするのだそうです。

擬き遊びも芸が細かい

見るといっても

視力で見るものではないのでしょう。

 

仁明天皇は

初の平安京生まれ

6月16日に16個のお菓子を神前に供え

和菓子の日

疫病退散を祈願したそうですが

嘉祥喰いと呼ばれるように

お供えするというより

お供えはするのですが

16個も笑わず無言で食べるというものだったせいか

何かと健康に悪そうな

― 恵方巻と似ている?

迷信をつくった。

39歳で亡くなりました。

疑い深く

漱石は妄想

DV的なところも

幼少から病弱で

医学に傾倒するのはよいが

側近で人体実験😱をしていた。

― その犠牲の挙句の果てが迷信流布(>_<)

漱石とよく似ています。