正法眼蔵」カテゴリーアーカイブ

お江戸の心理学と幽霊(イメージ)と夢記など

我が国にも

江戸時代には

宣教師が教える

英語学校で

― 現在の有名私大

西洋の心理学を学ぶ人も出てきた頃

心理学のようなものがあったらしく

― 神学@キリスト教 っぽい

手島堵庵という人は

1718‐1786

6月12日生まれだそうです。

石田梅岩を開祖とする

倫理学の一派で

平民のための平易で実践的な道徳

― 宗教・思想を身近な例を使って平易に説いた。

―― 現代でも企業が好む道徳らしい。

人間を真の人間たらしめる性質を

「あるがまま」の姿において把握しようとしたのは

純粋経験の考え方や

明恵のあるべきようわに通じます。

阿留辺畿夜宇

あるべきように(しましょう)ではなく

― ふつうの道徳とか倫理

あるべきようは(どのようですか)?と自分に問い続ける。

 一太極二陰陽 

高僧も哲学者も悩んで大きくなった。

夢分析はユング派の専売特許じゃない💡

円山応挙の産まれた日でもありますね。

1733‐1795

「足のない幽霊」を描き始めた画家という

実際はもっと前からある。

なぜなら

鬼👹同様

陰陽五行説からつくられたイメージだから

伝説があり

伝説になる生きざまが天才の特徴

「応挙の幽霊」は

たくさんのお寺に奉じられ

お寺は

難しいような☯楽しいような

怖いような☯優しいような

不思議な場所

落語にもなるなど

応挙は

左甚五郎のように名人として神格化されていましたが…

― 多分、崇めて考察するのは当時の流行🤔

令和版⁈

― 本質はきちんと伝承されていると思うのデス

象徴性があります。

伝教大師忌【山家会】

本日6月4日は

最澄の命日です。

旧暦だから実際は6月26日

伝教大師ですが

高祖智顗(ちぎ)

天台教学を

― 仏教全体の教義体系  @唐

日本に伝え

比叡山を開いて教え弘めた。

― 比叡山を鬼から守るのは陰陽五行説

天台宗では

日本仏教の母山 

⇒ ここから様々な開祖や教えが展開

開祖として

現代に至るまで尊崇される存在です。

2021年の

6月4日には

入寂後1200年の大遠忌法要が執り行われた。

天台宗のイメージは

① 仏教なので

すべての人に

平等に

仏性があるというのが大前提で

虫にもあるとおとぎ話やジブリは見る。

あなたもスタンプをGETしよう

自己実現のが存在する  = 法 

② そのは日本文化にあるとして

座禅・念仏・護摩供・巡礼・写経だけではなく

― 瞑想の方法いろいろ

茶道、華道から

― 〇〇道

絵画、彫刻などの芸術

日常の生活に至るまで

― 何かと工夫しつくり表現するもの

真実を探し求める心(心)があれば

そのままそれが悟りに至る道であると書いてある。

― もっとも明確なのは法華経とのこと

一隅を照らすのようです。

比叡山延暦寺の不滅の法灯のように

― 1200年以上灯り続けているシンボル(象徴)

置かれた場所で

できることを精一杯やることが

― ありがとう・お疲れさまと声をかける・困っている人にさりげなく手を貸す

やがて周りを明るくし

社会全体を照らす力になるという教え

より善く生きるという哲学ですね。

華厳の滝PTSD解離投身自殺事件(1903)

物騒な事件が続き

― 自然界も呼応⁈

連鎖しないことを祈るばかりですが

本日5月22日は

華厳の滝で投身自殺があった日です。

1903(明治36)年

藤村操(16)君は

前日に

制服制帽のまま失踪

― 木箱@机 に遺産等についての指示書

今の日光市にある旅館に宿泊し

実家に既遂した事実を知らせる手紙を投函

―「世界に益なき身の生きてかひなきを悟りたれば、華厳の滝に投じて身を果たす」

当日

華厳滝で

傍らの木にナイフで遺書を残して投身自殺

― 命とひきかえに智った真理は周辺に書きつけてある

―― わたしたちが読めるようにという慈悲

お釈迦さまの前世を思わせる最期

突き刺してあった黒いこうもり傘は…⁈

旧制一高の学生らしく

その遺書も

巌頭之感」と難解で

ポニョの心境

特急けごん🚅もない時代ですから

華厳の海印三昧を目指したのでしょう。

日光だし

― 古事記☀

当時の学生

PTSDの負の連鎖としての後追い自殺

― 警察の尽力でほとんどが未遂に終わった。

4年間で

この地で

― 自殺の名所と称されるようになった。

自殺を図った者は185名(内既遂が40名)

― 本人の遺体は後追い自殺の捜索中にみつかった。

マスコミ

エリート学生である

「煩悶青年」の自殺は

― 当時ショーペンハウアーや悲観主義的厭世観が流行していたらしい

国家の損失として

社会問題に

知識人に

在学中の岩波茂雄の人生の転機になった。

英語を教えていた漱石は

直前の授業中に叱っていたという事実があり

― 「君の英文学の考え方は間違っている」

―― すごい議論🤩次元が違う

そのことでノイローゼになったのではないかともいわれていて

― 根本原因は別

小説や書簡のなかで考え続けていた。

― 藤村の妹と教え子の結婚式には出席している。

吾輩は猫である』に

打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。

草枕』には具体的な所感を書いている。

波紋を広げました。

遺書ですが

悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

『ハムレット』の

原書で読んでいたらしい。

― ダンテを読む『借りぐらしのアリエッティ』の主人公もここから⁈

そして漱石と英文学の考え方について議論する読解力

― 私は英単語すら覚えられなかったですよ…💦

正式題名は「デンマークの王子ハムレットの悲劇」

父王を毒殺して王位に就き母を妃とした叔父に復讐する物語だから

『アジャセ王の物語』の西洋版で

ギリシャ版はフロイトがとりあげた『ギリシア悲劇』

「父王の死」と「母の早い再婚」とで憂いに沈む王子が

亡霊に会いに行き真実を知り行動していくというのは

神隠し

『君たちはどう生きるか』の主人公のようだし

ホレーショは親友で

主人公は

この間に知りえた真実を

語りついでくれるよう親友に託して死んでゆきます。

ここは雪山童子的

不可解を理由とする自殺のようですが

自殺の理由こそが未だ不可解です。

難解

頭がよい少年なので

俊才とされるから

初めての挫折⁈

あしもと(常識)に激震…

そういえば

『君たちはどう生きるか』の大叔父も

頭が良くて本を読み過ぎて失踪した@神隠し とされる。

わからなさに耐えられなかったということでしょうか🤔

これから知ってゆくこととも思えず…⁈

― 飛び級なので一番若く20歳の学生もたくさんいたのに…

もうすぐ善の研究みたいなものが出るとも思えず⁈

吉野源三郎が

『君たちはどう生きるか』を出版した

理由の1つではあるかもしれません。

出版後

岩波茂雄からの誘いで

岩波書店に入店

即身成仏・死と再生の意味を間違えた?

我が国におけるPTSD問題の普遍性は

この人たちの思索のあたりにあるのでしょうね。

西田幾多郎と南方熊楠PTSD解脱のための現象学

5月19日は

西田幾多郎先生のお誕生日です。

なんと

フィヒテと同じ日💡

― 子フィヒテも哲学者

生まれながらの自殺を決心するほどの貧困に苦しむも

教会でゲルマン神話を聴いたことや

― 読解力が天才的というのが命綱

   無意識の図書館

前記事の熊楠のような記憶力に救われ

― 聴きそびれた人に教えることが仕事になり始める。

著名な哲学者になった人物です。

人がどんな哲学を選ぶかはその人間がどんな人間かによる」という言葉が有名。

― この生涯もPTSD予防からの自己実現の一事例

死別を経験し

誰にも避けられないことながら

肉親(姉・弟・娘2人・長男)の立て続けの死

学校には一貫して不適応

規則ずくめの校風に反抗し退学処分

翌年に東大に入るも選科だったので冷遇

負けずに勉強して教職を得ても

学校内での内紛で失職するなどして

在職校を点々とした。

父の事業失敗による破産等

妻と一度離縁

多くの苦難を味わったあと

そのたびに海にでかけて鎮魂

思索の集大成が

大拙に勧められた座禅を生涯徹底

― 西田の遺骸を前に号泣するほど深い関わりがあった。

『善の研究』として結晶しました。

苦難のことがどこにも書かれていないのが重要

― それが昇華という現象

― 善 とは  自己実現@ユング のこと

旧制高校の生徒らの

とても難解な心理学風の講義ノート

代表的な必読書となり

吉野源三郎らも影響を受けたものと推測されます。

2つの『君たちはどう生きるか』は

― 一太極二陰陽

善の研究から派生したものではないかと

座禅に打ち込み始めた時期に

円相図を好んで描いたり

曼荼羅なので

心理療法としても

哲学以外の物理・生物・文学など幅広い分野で

学問の神髄を掴み取ろうとしていたことは

昨日お誕生日の熊楠とよく似ていますね。

 3歳ちがい 

萃点と純粋経験

表現は違うけれども

2人は同じものをみていたのではないでしょうか。

そして

その見方が重要で

憑かれたように寝食忘れて没頭するくらい

今の心理学のいう

現象学とか

観察などというのは

かなり不徹底なのだと思います。

本当の意味では観察していないから

 「なんだか」「このあたりが」「何らかの」「うずらの卵のような」~「ゴルフボールみたいな」

(観察できないけど)「〇〇にちがいない」

いつまでも妄想世界に住んで

― 解脱 できない

苦しむことになる。

― 解放されない

南方熊楠PTSD治療研究人生の凄み

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本日お誕生日の南方熊楠

1867-1941

植物学者として知られていますが

昭和天皇にご進講

このときだけはかしこまって紳士に見える(^^♪

文字通り博学で

『十二支考』など民俗学まであり

曼荼羅と称される。

ネイチャーなどに論文もあるが

どちらかといえばコレクター&記録魔で

― マッチ箱やキャラメルの箱などに保管

― 現代の研究者からするとモッタイナイ才能

― ありのまま描写して記録するのは心理療法的💡

生き方そのものの表現が曼荼羅

その研究を支えた

たぐいまれな語学力は

驚異的な記憶力と

神童と呼ばれた。

常軌を逸した読書生活ではぐくまれたものでしたが

本は買ってもらえなかったので

蔵書家の家で本を見せてもらい

帰宅後ひたすら記憶から書写

PTSDの自己治療法であったことは

異常なかんしゃくもちで

一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になるなど

奇行が多かった。

― どこをとっても奇人の生活

自他共に認めるところだったようです。

両親など周囲の人々は頭を抱え

本人も自分の気性に自覚があって

生物学などの学問に打ち込んでいると

柳田國男宛の書簡で書いている。

最終的には

柳田國男から

日本人の可能性の極限」と称され

現代では「知の巨人」と評されるまでに昇華した。

― まさに曼荼羅のような人生はお菓子にも👇

お菓子の箱も多かったので

― 漱石とも出会っているらしい

―― 甘いものが好きすぎるのは脳🧠に悪かったかも🤔

心理学モデルがまた秀逸💕

わたしたちの生きるこの世界は

物理学などによって知ることのできる「物不思議」という領域

心理学などによって研究可能な領域である「心不思議

そして両者が交わるところである「事不思議」という領域

更に

推論・予知、いわば第六感で知ることができるような領域である「理不思議」で成り立ってる。

これらは人智を超えて

もはや知ることが不可能な「大日如来の大不思議」によって包まれている。

「大不思議」には内も外もなく区別も対立もない。

それは「完全」であるとともに「無」である。

この図の中心に当たる部分を熊楠は「萃点」と名づけ

「萃点」からものごとを考えることが

問題解決の最も近道であるとした。

― 華厳を読んだ形跡はないが何かと華厳経を熟知したような表現が多い。

『昭和枯れすすき』PTSD物語の昇華と『愛の賛歌』

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昭和天皇のお誕生日ですね。

天長節

大ヒットした曲ですが

当時の日本人は何に共鳴していたのかとふと…🤔

よくわからない曲ながら

心中が頭をよぎる状況であることだけはわかる。

今風に言えば心のケアが必要なトキ

あいまいな方が投影しやすいということかな🤔

『愛の賛歌』ではないかと評価されています。

エディット・ピアフ?

えっ?どこが⁇ということですが…

この曲をモチーフにした映画は

『君たちはどう生きるか』みたいにインスパイア―されて誕生

ヤクザな妹(19)と刑事の兄の物語です。

陰陽的に絶妙な取り合わせ

2人は

機能不全家族で

あんぱんまんの作者や『君たちはどう生きるか』の主人公少年の経験は

大人でもつらいもので

アルコール中毒になり事故死してしまった2人の父親

孤児同然となり

青森から上京

なんと龍飛岬👀

のちにこんな人も出る(^^♪

まさに枯木の龍吟

ちなみに本日は第3位

12年が平穏にすぎますが

兄は刑事に

妹は洋裁学校に通い自立間際

根本問題がそのままなので

天災(トラウマ)は忘れたころにやってくる。

― おまわりさんも

妹がぐれ始めます。

妹は学校をやめて

スチューデントアパシー

兄が一番困ることを専業にしており

刑事なのに

妹の異変にすら気づけない。

兄は事件の人間関係に

犯罪を犯すまでにいろんなことがある。

自分の両親や現在の自分と妹の関係を見るようになります。

それは普遍的な問題のようで

― 運命に流されても真逆のことをして阻止しようとしてもうまくいかない。

同僚も同じことを吐露し嘆いていた。

無意識のうちに

たましいの課題を達成するために刑事という職を選択していたのでしょうが

絶望を経て

兄は状況証拠から妹が信じられなくなり

― 証拠もないのに

(自分の事件ではないのに)逮捕し

― 大事な妹が他人に逮捕されるのは忍びない…

警察に突き出したあとに

真犯人が現れた。

こころから謝罪し

2人は神戸に行くというお話です。

の戸 とか  異国情緒ある街ということで

別天地の比喩でしょう。

「幽霊の正体みたり枯れ尾花」

「古木の龍吟」ということで

枯木でなければ悟れない

やはり

ヒットした曲については『愛の賛歌』説が有力でしょうか。

特に

美輪明宏が歌うのは

神への愛

奇遇?👇

『オツベルと象』PTSD解離性特殊詐欺師の末路

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『オツベルと象』は

小賢しいオツベルが

賢治を気取って(?)

頭がいいつもり

やり手の悪党

象を騙して働かせ

オツベルの悪意など知らず

― 次元が違う世界のいきもの

何かをしてみることは楽しいものだから

純粋に楽しんでいた。

搾取しているうちに

楽しいことも

さすがに5倍となると苦痛でしかなく

月に苦しいよと言っているのを聞いて逆ギレ💢

― こころというものがない

殺害されたというお話です。

『注文の多い料理店』とよく似た筋がきで

喰うものは☯喰われるもの

数少ない生前発表の作品なので似ている

ちょっと『十牛図』的な構造も混ざり合っています。

話し手は牛飼いで

― インドなら象

まず象が消えそうだと言い

― 瀕死で断食瞑想

―― 食べられなくなり月(サンタマリアという名前)に相談

最後は

オツベルが消え

― 救済のために押し掛けた象たちの下敷きに?

象は仲間たちに保護されました。

― 十図は帰還

象が

白象なのは

意識の純粋性のたとえで

釈迦の生母は白象🐘の夢をみて懐妊

― なので象は月をサンタマリアと呼ぶのだろう

― ― ― 聖母マリア    @精霊の産まれ方

さらに瀕死の状態になったとき

純粋性のために理不尽な目に遭い復活する定め

百尺竿頭で究極の無我

救済されました。

手紙を書くにも道具がないと嘆けば

― なすすべもない( ノД`)シクシク…

赤い着物の童子がもってきてくれた。

― 治癒には特殊な表現が必要

中国語もわかりませんが多分こんな感じ(^^♪

最期の作品は本当に意味深い…

与沢翼さん覚せい剤やめる宣言で逮捕待ちの禁断症状

仕事で大成功しても

「秒速で1億円稼ぐ男」

「ネオヒルズ族」として名を馳せた実業家

何かが足りないと

漠然としたソレが明白なものとなってしまい… というのが本投稿の趣旨

空しいだけのようで

「仕事をやめてタイに来てから

『覚せい剤』にどっぷりはまっていました」と告白

もれなくついてくる超健康法

監獄ごはんの前に

覚せい剤による強制断食のために相当やせて

冒頭のような姿ではないらしい…

逮捕を待ちながら

現状については「本当にターニングポイント」とし

「タイの刑務所に行く必要があればしっかりと行ってきます」

「まずは日本で逮捕ですかね」

断薬中だそうです。

「4月頭にやめて2週間経ちました」

「覚せい剤を辞めきるために

SNSに書きました。

ここで書くと自分への抑止力になると思ったからです」

「私の場合特殊な動機だったので

一切必要ない状況です」と語っていた矢先に

冒頭のソレが明らかになってしまい

― 新たな動機ができた…

独りでいると気が狂いそうだとのことでスリップの危機です。

何がきっかけになるかわからないもののようで

仕事が奇跡的にうまくいくのも

仕事をやめるのも

背後に潜んでいるPTSD問題をノックするだけのもの

…   「このように運命は扉をたたく」らしい

― ― 🚓☀おはよう逮捕☀🚓だとおまわりさんが襲名

子どもたちが好きなエナジードリンクなども薬物依存の入口だそうですよ。

そのまえにスイーツもありましたね。

― 漱石のDVは凄まじかったらしい。

要するに

気が動転する体質だと

解離体質

前後不覚となり

禅語不覚とはお利巧PC💡

浅瀬で溺れるという話ですね。

喫茶去PTSD治療論

あなたもスタンプをGETしよう

「喫茶去」は

「まあお茶でもお飲みなさい」くらいの意味だそうですが

クレーマーに対して

話を聴く姿勢を示して

気持ちを沈めてもらって

―― @易学  が済む

一件落着… みたいな

難しい話は抜きにして

お茶でも一杯飲みましょう。

楽に行きましょう」なんて解説には

おおもとの意味が垣間見えます。

もともとは禅語で

中国・唐時代の趙州従諗禅師

幼いころに出家

― 今なら児童虐待

厳しい禅の時代に

― 暴力的

簡単な言葉で解説することに成功した

公案考案の達人

文字通り

「お茶でも飲んで去れ」

叱咤激励?したものでした。

自分を訪ねてきた

ふたりの僧に

「前にここに来たことがあるのか?」と尋ねておきながら

「来たことがない」と答えた僧にも

「来たことがある」と答えた僧にも

「喫茶去」とお茶をすすめたとのことです。

文字通り

禅問答@現代語 ですね。

来たことがあるとかないとかは関係なくて

頓智

ここに来たなら

… ということはですね。絶対無の場所ってこと?

  一太極二陰陽

お茶でも飲んで

リラックスして瞑想

― 非日常的な思考

発想が刷新されるようなことでもあれば…

去るという場であることを示しています。

「ようこそ」「いらっしゃいませ」くらいの意味かな

ぶぶ漬けの意味はちょっと違うけど

発想はお寺仕込みなのかも🤔

この禅師

かなり偉いお坊さん

昔の人で

120歳まで生きたというのだから

お茶は健康によいようですね。

貴重な薬だったから

を飲むためだけにもできた。

― 一抹の翠🍵が世界平和にもつながるという壮大な理論

PTSDを薬で治そうという発想と真逆の喫茶去なのでした。

『あんぱん』も『君たちはどう生きるか』やなせたかしとみやざきはやお

あなたもスタンプをGETしよう

あんぱんと言えばあんぱんまん

子ども時代をつづった一冊だそうですが

敬愛する父の死

母との別れ

引き取られたおじ宅での兄弟の差… とは

眞人の悲哀とそっくりです。

普遍的なPTSD事情

こうしてみるともあんぱんまんと一緒

やさしいエッセイが

イラストの版画の陰影☯と不思議と重なる

ものがなしい一冊だそうですが

読んだ人は

涙腺😿が崩壊するとのこと

あんぱんまんの与えてくれるあんこは

やなせたかしさんが得られなかった

親の愛かもと書いています。

眞人も

若い日の実母と神隠しの世界で逢う

― 父母未生以前の面目

そして

なんと今の朝ドラあんぱんなんですね。

去っていく実母(生き別れ)

― 眞人は死別

お父さんを病気で亡くし

一年も経たないのに

お母さんに棄てられたのだとか。

本の中の『母とのわかれ』という詩がベース

眞人の哀しさはもらい婚で複雑化しますが

特に戦時中は家を守るためにふつうにあったらしい。

― お父さんの名前は戦時中よくあった勝一

―― 勝つことしか考えていない超リアリスト

――― 軍需産業であったことは作者のトラウマ

新しいお母さんについて疎開先の家へ

― 実母の妹だからよく似ていてこころは複雑骨折…

― これは複雑なきもちの投影

似たような養子縁組問題で

一族単位で考えると

夫が亡くなると居にくいから再婚するが

子どもは置いていくのが普通だったらしい。

当事者の心中には複雑なものがあったことがわかります。

弟の死について書いた

もう一緒にシーソーできない哀しみを深めた詩

①哀しみは癒すのではなく深める

― この過程で哲学的忍耐力が身につく =自我強化

②すると癒える。

③だから表現は大事

『シーソー』では

普通の子どもは楽しいと思うところ

絶対平等になることはない

哀しい遊びと感じるのですね。

PTSDは哲学の始まり

この本には哀しみが詰まっているとのことです。

トラウマの缶詰