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阿修羅はPTSD解離人格哀しみの象徴

$PTSD研究家翠雨の日記
哀しみに満ちた表情が
人気です。
これは
理不尽さに耐えている哀しみだから
 ―世の中には多いから
共感を呼ぶのだと思います。
阿修羅は
正義を司る神で
天にいましたが
力を司る神である
帝釈天が
阿修羅の娘を力ずくで奪ったので
 ―誘拐・監禁・凌辱
 光源氏みたいな奴です。
 源氏も帝釈天も
 人気がありますね。
 読む人が否認してるんです。
 聴くに耐えない話だからショック!
阿修羅は怒って
帝釈天に戦いを挑むことになったのです。
 ―普通の反応ですよね。
帝釈天がいけないのです。
しかしドラキュラに咬まれると
ドラキュラになります。
 ―被害者は容易に加害者になります。
 怒りがネックです。
正義の神なので
高い非暴力精神を
試されていたのでしょうね。
 ―天上界(理想の世界)ですから
 厳しいです。
PTSDになったら
阿修羅を思い出し
阿修羅を超えねば
ならないのです。
これが【殺仏殺祖】の考え方です。
 ―殺というと過激ですが
 夢用語なので
 超えるくらいの意味です。
それで3人分くらいは
人格が必要になるのです。
 ―下手するとバラバラの
【解離】になるでしょうね。
他の宗教にはありえない
こころのメカニズムです。

PTSD治療では、考えた方がよいのか考えないほうがよいのか

PTSDの自覚のある人が
自分のこと
家族のこと
あれこれ考えます。
考えようとしているのではなく
考えてしまうのです。
人間の意識は
ほんの一点
コントロールセンターみたいなもので
働き蜂みたいな部下が
「あーだ」
「こーだ」と
考え出します。
収拾がつかなくなり
「ま、いいっか」
「考えても仕方がないし…」と
結論づけます。
しかし
これではいつまでも
苦しみは消えないのですよね。
考えるべきか
考えないべきか
仏教は考えるなと言います。
 ―考えていたら
 瞑想できませんから。
西洋哲学は考えろと言います。
 ―我考う、ゆえに我ありがスタート
 おもうは考えると翻訳されているのが
 面白いですね。
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どうしろってんだ?ということに
なりますが
仏教哲学も
陰陽五行説も
二元論ではないので
考えるのでもなく
考えないのでもないのです。
仏教の言う
考えるなは
そういう意味であって
 ―放置するのではない。
それを瞑想というのです。
このコツを
いかにつかんでもらうか
それがこころのケアの極意でしょう。

四苦八苦がPTSD原因になる

仏教がとらえた
苦しみの分類です。
根本的な苦しみとして
生・老・病・死の四苦
プラス
愛別離苦
  – 愛する者と別離する苦しみ
怨憎会苦
  - 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
求不得苦
 - 求める物が得られない苦しみ
五蘊盛苦
   – あらゆる精神的な苦しみ
全部で8つです。
五蘊は般若心経にも出てくる
仏教の精神モデルです。
普通の人生に
PTSDの原因が転がってますが
予防はできるのです。
葬式仏教と揶揄されますが
ちょっと間違いながらも
PTSD予防を担っていると
思います。

震災ショックで『阿頼耶識の発見』こころのケアのお勉強

今日の朝日新聞は
仏教色が強いです。
何にもなくなっちゃったから
あるものは何でも使わねば
なりませんが
そういう意味を超えて
この本はいいと思います。
 ―例によって
  全部読むことはないので  ←買わなくてよい
  必要な部分だけ書きますがニコニコ
$PTSD研究家翠雨の日記
フロイトが無意識というところを
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唯識では
阿頼耶識と言います。
 
 ―あーらやしき
  蔵みたいなもの
学校では
★無意識の発見者はフロイトだとしょぼん
教え
★国家試験ではそのように答えないとしょぼん
点数がとれないのですが
『西遊記』で知られる
玄奘三蔵が
インドから中国に伝えた
仏教思想の根本ですから
フロイトより
★はるかに先に
★はるかに詳しく
★克服法まで
知っていたのですひらめき電球
人生で起こるどんなことも
心の中の出来事にすぎないと
考えます。
執着や嫉妬、怒り、絶望、失敗は
すべて
阿頼耶識の仕業です。
 ―PTSDの症状ですね。
しかし
阿頼耶識は
日々の意識によって創られた
結果なので
意識をどうにかすれば
阿頼耶識の暴走を
止めることができるのです。
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とはいうものの
自我(サル知恵)が
なかなか厄介です。
西遊記の面白いのは
『(自分にも)あるある…あせる』と
阿頼耶識が反応するからでしょう。
 ―どらえもんのノビタに人気があるのと
 同じ理屈です。

【画餅】と言うがユング心理学のイメージ療法は点心

PTSD研究家翠雨の日記女人天下90話
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
凡人は
餅は餅だと思っています。
しかし
幼い皇子は
どの餅かと聞いています。
『正法眼蔵』にある
餅ばあさんの話を
思い出しました。
普通は
絵に描いた餅は
食べられないと考えます。
【心不可得】という言葉を
  ―こころは
   とらえられない。
わかる範囲で解釈し
具体的に表現したものです。
餅は
点心の1つです。
心に点(とも)るものであり
間食とも言いますから
こころと現実の間にあるものです。
 ―ただの餅なら
  食事ではなく
  エサです。
食事と大げさな言い方をするのは
心理療法的な儀式だからです。
 ―日常がおおごとであり
 大事(だいじ)なのです。
餅ばあさんは聞きます。
「過去・現在・未来
 どのこころで食べるのか?」
どのこころで食べるかで
心身に与える影響が
全く違ってきます。
イメージ表現とは
まさに点心です。
おなかも満腹になります。
この理屈を
今のユング心理学は
失いつつあり
心理療法の現場が
混乱しています。

ユング心理学からみたこもりの僧が造るお花の【象徴】的意味

もうすぐ
お水取り
 ―東大寺修二会
 これで春が来ます桜
お坊さん達は
もう準備に入っておられます。
 ―こもりの僧ですよ。
 ひきこもりも上手にしたら
 万能なのですよ。
 (森田療法とかは
  ここから生まれたものです)
華厳経のお寺ですから
お花を作ります。
PTSD研究家翠雨の日記
しかめっ面して
坐禅したり
お経を読んでるだけじゃないんですね。
正法眼蔵には
『空華』なんて
ありますが
何も
絵空事のお花では
ありません。
こころのなかの
生きたお花の話です。  ←【変容の象徴】
目には見えないけど
儀式のことや
みんなのことを思いながら
手を動かすことで
心の中に
うまれるものが
確かにあります。
 ―心理療法の原形です。
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向かい合うものの
あいだに
お花があります。
 ―『借りぐらしのアリエッティ』
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 ―【一即多 多即一】は
  華厳経の教えです。
  

『親鸞と道元』PTSD克服における他力と自力

$PTSD研究家翠雨の日記
他力の親鸞
自力の道元

ですね。
道元は
菩提心を
 ―個性化しようとするこころ
 自己実現しようとするこころ
 変わろうとするこころ
起こせ!と言います。
それだけでよいと。
それが自力ですネ。
 ―人に起こしてもらうのでは
 ないのですひらめき電球
親鸞は
善人でも救われるのだから
悪人はもっと救われるはずだと言います。
これは都合よく解釈されると
とんでもないことに
なりますが
 ―実際
 恐ろしく勘違いが多いあせる
そもそも
悪人に見える人は
集合的無意識の
一般にはまだみえない悪習から
抜けようとする
途中段階だったりすることを
言っているのです。
 ―PTSDの人がそうですね。
 無意識のうちに気づかされて
 混乱しているのです。
 善人でもないし
 悪人でもない
 途中の段階です。
 (この中途半端さに
 耐えられないしんどさがあります。
 どっちかにしてくれと暴れます)
 
そして
他力というのは
100%の依存ではなく
100%の自力の果てに
沸いてくるものです。
だから辛くても
前を向いて
考え続けなければならないのです。
要するに
言っていることは
同じです。
身もふたもない話で
すみませんあせる

天神さまの飛梅伝説も道元の『梅華』もPTSD理論の【象徴】

お受験シーズンですね。
「東風吹かば
にほひおこせよ
梅の花
あるじなしとて
春な忘れそ」
菅原道真が
京都から福岡の大宰府に
左遷される前
自邸の梅に
別れを惜しんで詠んだ
うたですね。
不思議なことに
梅が
一夜で大宰府に飛んだとか叫び
  …
これは
凄い悔しくて悲しくて
淋しくて
やりきれない思いの
コンプレックス
しっかり感じ
歌にまで詠んで
こころに刻んだので
 ―芸術的表現は大事ですひらめき電球
梅を見れば
真空パックされた
コンプレックスが
活き活きと
蘇ったということでは
ないかと解釈します。
否応無しに
心が動かされるのが
無意識にある【象徴】です。
そして
少しずつこころを癒す
自己治癒力でもあるのです。
繊細な日本人は
傷つくことが多かったから
トラウマティックでありつつ
神さまにまで昇華した
存在に
1つのモデルとして
親和性を持ったのではないでしょうか?
また
後の時代の禅僧になりますが
道元は
『梅華』
「世間の呪縛から逃れたとか
偉そうなこと言ったって
梅の花が早春に開くということを ←自然の摂理
悟らなければ
ナンセンス!」と言っています。
要するに
華厳経のリセットの法則が
梅にはこめられているのです。
どんな状況にあっても
リセットできるという
自然の法則を
感じる力
ですね。
これは大事だと思いますニコニコ

がん緩和ケアにはモルヒネより坐禅

本日の
朝日新聞は
がんについて
たくさん
取り上げています。
【緩和ケア】は
身体的痛みと
こころの痛みと
霊的な痛みに
必要でしょうひらめき電球
$PTSD研究家翠雨の日記
朝日新聞の考え方は
モルヒネをもっと使え!ですが
本当に
こころのケアが
充分なら
モルヒネの使用量は
減る
んですよ。
 ―身体的痛みと
 精神的痛みが
 ごちゃごちゃになっているところが
 ありますから。
 こころの空白を埋めるのに
 買い物したりするのが
 人間のこころでしょ?
なんと
西洋の教会で
坐禅する人が増えててひらめき電球  
結果が出ています。
リラックスし
自分のこころと向き合うことができたら
絶望や孤独感は消えますから
結果的に
寿命も延びるのです。
 ―むしろこちらが寿命で
  モルヒネは縮める。
 
  朝日新聞は否定してますがね。
精神科の薬と同じでしょ?
★医師の処方なら副作用はない
★苦しみをまず軽減
そう謳ってますが
絶望するばかりでしょ?
そんなに薬売りたいですか?
って話ですニコニコ

光明皇后発願の写経みつかる

東大寺の大仏の
お膝元から
の二剣が発見され

光明皇后が
願掛けのために
持ち出したようだと

10月26日に
伝えられたばかりですが

奈良時代の仏教を研究し
昨年死去した
井上薫名誉教授の遺品から
見つかり
大阪大学に
寄贈されていたものも

PTSD研究家翠雨の日記

光明皇后の発願で始まった
写経の一部と分かりました。

右が経文、左が願文です。

やはり願掛けですね。

貧しい人たちのために
悲田院を作ったり
薬物研究をしたりした

慈悲の方で

唯識の寺にも
関係があったようですが
華厳的なお名前と生き方の方でも
ありますね。

道元の【発菩提心】を
想いました。
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