1900年(明治33年)の
3月28日に
シルクロードの古代都市
楼蘭(ろうらん)が発見されたことから
「シルクロードの日」となったそうです。
シルクロードは夢のある場所ですが
死を意味する砂漠を
タクラマカン砂漠
タクラマカンとは
ウイグル語で「死」や「無限」などを意味する合成語で
昔は一度入ったら出られない死の砂漠と捉えられていた。
通過しなければなりません。
死と再生
ワレヲ学ブ者ハ死ス
何もない場所は
食べ物も水もない 砂や瓦礫 たまに💀しゃれこうべ
投影三昧で
通りかかったお坊さん(法顕)によれば
「砂漠の中はしばしば悪鬼、熱風現れ
これに遭えばみな死んで
一人も無事なものがいない。
空には飛ぶ鳥もなく
地には走る獣もいない。
見渡す限りの砂漠で行路を求めようとしても拠り所がなく
ただ死人の枯骨を標識とするのみである・・・」
幻覚すら見えます。
西遊記も孤独な三蔵法師の幻想
それは、まあこんなところだろうと作者が空想したもの
蜃気楼も見えるというものですが
遠くに水辺が見えるが
いくら歩いてもたどり着かない。
楼蘭の蜃気楼的なイメージは特に
人間のこころを惹きつけてやまないようです。
オアシスは50か所はあったのに
楼蘭をシルクロードの代表のように扱う。
楼蘭がルートの端にあった タクラマカン砂漠の南寄りルートは使われなくなり
北側ルートを使うようになっても 観光で注目され
小説として読まれ…
かつて確かに
遺跡がある。
砂漠の乾燥地帯で
木材や絹、お札からミイラまで残っているので
手がかりがわりとある。
繁栄した国なのに
特に仏教を篤く信仰していて
お坊さんが4千人もいたことが重要
突如として消え
オアシスとなった湖も
ロプノールという塩湖
― ロヒプノールの塩基解離定数と誤読しそう💦
蜃気楼のように
さまよえる湖と呼ばれた。
消えたり現れたりするからでしょう。
探検家ヘディンは
不思議でもなんでもなくて
地理によるものだと気づいて
湖に流れ込む川の川床に
砂などがたまると川筋が変わる。
「今はここにはないが
いずれロプノールはまたこの場所に戻ってくる」と明言できたのですが
さまよえるという意味が
明言は予言と感じられた。
いつのまにか変質してしまったのは
そういう幻想的な物語にしておかないと
人々の投影が破られてしまうからでしょう。
幻想に生きて
夢を見ていられない。
事実
中国からみた歴史書と欧米からみた書物は
地名も解釈も
欧米人によるある一冊には
クロライナ王国は
清朝@中国 末期に発見された
「中国の辺境の見捨てられた地域」で
思想的に豊かで栄えたが
攻め込まれてからは
― 駐屯していた異人種のミイラや貨幣がある。
―― 一時的に避難するつもりだった形跡にも見える。
傀儡国家として存在していた。
「現在は核実験の跡地」とあるそうで
チベットなど自治区を認めず
― 「新疆ウイグル自治区」の新疆は「新しい国土」
周辺もすべて中国と考えている中国は
ヨーロッパ人によって「発見された」という箇所は嫌だろう。
アメリカ原住民が住んでいた土地が
― インディアン虐待の時代劇(西部劇)は封印された。
コロンブスによって「発見された」というようなものだから。
歴史をさかのぼって捉えなおせば
ビミョーなお話になることって
辺境を意味する土地を巡る国際問題
よくある普遍的な問題みたいですね。
砂漠は
心理学的には
そういうことを映し出す
スクリーンみたいなものです。