漱石」カテゴリーアーカイブ

夏目漱石『こころ』にもPTSD解離性豹変

朝日新聞が
100年ぶりに連載中ですが
今日の分に
「平生は
みんな善人なんです。
それが
いざという間際に
急に悪人に変わるんだから
恐ろしいのです。
だから油断できないんです」と
書かれています。
こころのなかにある
解離のメカニズムです。
トラウマをこじらせ
放置したら
そういう危険性があるんですよね。

博士号拒否した漱石とPTSD解離性STAP騒動

漱石はまた
入院中に
 ―持病の胃腸病をこじらせて。
 『こころ』で書いた
  前記事内容は
  経験からなのでしょう。
文部省から
「博士号を授与するから
出頭せよ」と言われ
受けるかどうかは
自分が決めることだから
まずは受ける意思があるかどうか
聞いてくるのが
筋だと怒り
 ―国が学問を序列化する
 制度が気に入らなかったらしい。
断りの手紙を書きますが
「発令したものは
辞退できない」と
送り付けてきたものを
強く拒否し
押し問答に終わったそうです。

世間の評価も
「痛快だ」「大人げない」と
二分され
一太極二陰陽的な
話ですね。
最後の作品は
未完の『明暗』でしたしね。

生きてたら
ネイチャーとか
博士論文のコピペ問題とか
製薬会社やJ-ADNIの
不正治験問題に
「変わらんね」と
言ったでしょうか。

夏目漱石『こころ』PTSD解離性心身症と自殺

朝日新聞で
100年ぶりに
連載されていますが
大正3年5月13日分には
「自分で病気に罹っていながら
気がつかないで
平気でいるのが
あの病の特色です」
 ―心身症
 何らかの修業をして
 身体に聴くようになった人は
 病院に行かずとも
 早期発見早期治癒するから
 拗れて死ぬようなことはない。
「何だかそれは
私にもわからないが
自殺する人はみんな
不自然な暴力を使うのでしょう」
 ―PTSDは理不尽な暴力が原因
「すると
殺されるのも
やはり不自然な暴力の
御蔭ですね」と
 ―この御蔭は
 陰陽の
 【陰】くらいの意味
 漱石の文章には
 独特の造語や言い回しが多い。
精神分析の
ESみたいなもので
 ―それ(it)としか呼びようがない
  無意識の圧力
心身症や
自殺がおこるけれど
それには無頓着な
 ―【否認】
 「先生」の話したこういう話に
 驚き、不安になりつつも
 
 「私」は
 「その場限りの
  浅い印象を与えただけで
 後は何のこだわりを
 私の頭にのこさなかった」
人間の姿を表現しています。
そう言えば
ES・自我・超自我のかかる場所は
教科書では
「私」と表記されていたりします。
圧力のバランスで
性格や行動が決まるわけですが
【解離】とは
そのバランスが悪く
ESが暴走するタイプでしたね。
精神分析を
かなり意識されていたのかな。
宮崎駿が真似たのは
『門』の主人公
崖の下の宗助とか
三部作で
 ―『崖の上のポニョ』
  『借りぐらしのアリエッティ』
  『コクリコ坂から』
こころの真実を表現するスタイルだけでは
 ―『三四郎』『それから』『門』
なかったようです。

朝日新聞で『こころ』復刻版スタート ~罪悪感PTSD自殺の物語

言わずと知れた
夏目漱石の
代表作ですが
誕生100年を記念して
4月20日から
朝日新聞に
当時の体裁で
連載されるそうです。
文体は大事で
このブログも
「言わずと知れた夏目漱石の代表作ですが、誕生100年を記念して、4月20日から朝日新聞に当時の体裁で連載されるそうです」とやると
読まれ方が変わるわけです。
 ―仏教書を読むときは
 なるべくそうしている。

宮崎駿は
夏目漱石の
3部作を真似て
 ―『三四郎』『それから』『門』
『崖の上のポニョ』
『借りぐらしのアリエッティ』
『コクリコ坂から』を
描きました。
『夢十夜』にも
「百年待ってください」って
出てきますよね。
明治の知識層が抱える
我執と


平成の知識層の抱える
我執には
表面的な違いはあっても
罪悪感PTSDでおかしくなるのは
同じことです。


こんなことばっかりしてたら
身を滅ぼすことになると
思います。

青空文庫アクセスランキング第一位は『こころ』のPTSD時代

ネット上の無料図書館です。
著作権の切れた作品ばかりなので
古典になりますが
一位が
『こころ』だというのは
興味深いです。
人々の興味関心は
こころであり
それは
漱石の時代となんら変わらないのです。
PTSD研究家翠雨の日記
PTSDを発症し
昇華した
漱石にならい
ジブリも
『崖の上のポニョ』
『借りぐらしのアリエッティ』
PTSD研究家翠雨の日記
そして
『コクリコ坂から』と
3部作で
PTSDを取り扱っています。

西洋文明の究極の象徴『モナリザ』は縁起が悪かった

ケネディ大統領は
西洋文明の究極の象徴であるから
この創作の理念を
継承してゆかねばならないと
言ったわけですが
$PTSD研究家翠雨の日記
漱石が
『モナリサ』という
小品のなかで
登場人物に
語らせている
印象
あまりよくないものです。
主人公は
古道具屋で
モナリザに出会い
「色具合が
現代を超越して
上昔(そのかみ)の空気の中に
黒く埋っている」のが気に入り
 ―近代を超えようとして
 PTSDになった人ですからね。
 温故知新の
 退行イメージをつかんだのでしょう。
ちょっと値切って
家に持って帰ります。
奥さんは
遠慮がちに
「気味の悪い顔です事ねえ」
「この女は何をするか分らない人相だ。  ←【解離】顔?
見ていると変な心持になるから     
掛けるのは廃(よ)すが好い」と
言います。
「御前の神経だ」と云って
聞かなかった主人公ですが
偶然落ちて
ガラスが割れたりしたこともあって
最後は
「この縁喜(えんぎ)の悪い画を
五銭で屑屋(くずや)に売り払った」
 ― 80銭で買いました。
役所で聞いても
ダビンチなんか誰も知らないし
開いた口をわざと
閉じたようにも取れる
口元が気になったようです。
 ―抑圧を感じたのでしょうか?
 この時代に生きた奥さんも
 【抑圧】を刺激されて
 何かしでかしそうな自分が
 怖かったのでしょう。 
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
西洋の
魂の【死と再生】の秘密に関する
象徴は
近代PTSDを乗り越えようとする
東洋人のこころには
響かないようです。

PTSD予防には『銀の匙』だけでよい

$PTSD研究家翠雨の日記
あれもこれもの世の中ですが
大切な本が
一冊あればいいと
宮崎駿は言います。
そして
漱石への想いがあるようです。
現代日本人の
PTSD問題は
漱石の時代に
創造的退行すると
よいように思います。
 ―脚下照顧の脚下は
 集合的無意識です。
 温故知新とも言いますね。
 ポニョも漱石に影響を
 受けています。
$PTSD研究家翠雨の日記
伝説的灘校講師も
漱石が認めた
一冊だけを
中学生に
3年間使用しました。
不安がる学生には
「すぐに役に立つものは
すぐ役に立たなくなる」

おっしゃったそうです。
合理化の時代は
確かによくないです。
抗精神病薬は
よく効くけど
すぐ効かなくなるそうですね。
 ―麻薬ですものね。
そしてそれだけでは
済まなくなります。
『銀の匙』は
日本語がきれいであるのも大事ですが
病弱で繊細な少年が
その繊細さを維持しているところに
意味があると思います。
 ―普通はキレます。
それができたら
PTSDを発症しないで
昇華できますから。
日本語が
ある程度正しく使えるのも
大事です。
伝わらないと
癒されませんから。

夏目漱石もPTSD

夏目漱石は
ロンドン留学して
精神不調を起こしたのでしたね。
 
カルチャーショックです。
 ―背が高くて
  足が長く 
  鼻が高い
  西洋人に
  圧倒されたのでしょうね。
  押しも強いしあせる
『古事記』は
中国の陰陽五行説と出会った
カルチャーショックで
書かれました。
大文豪の小説も
PTSDの治癒の軌跡です。
命がけの
創作は大事ですニコニコ

姜尚中は漱石など読書でのこころのケアを提唱

被災地から遠く離れた
土地に住んでいても
日本人は
多かれ少なかれ
サバイバーズ・ギルトなど
感じています。
無力感や
やり場のない感情は
漱石の
『三四郎』などにあると
おっしゃいます。
読むことも大事だし
感じたことを人と
語り合うことで
こころのケアができます。
★意見が同じなら
共感になりますし
★意見が違えば
自分の発見になりますね。
古典を中心に
 ―そもそも漱石は
 PTSD文学ですからひらめき電球
陰陽的に
思考を深める素材になります。
$PTSD研究家翠雨の日記
温故知新ですね。
ストレスに弱い人は
自分と違うというところに
反応してしまって
 ―解離してしまう。
 (自我が振り切れて)
  
魔境に入りがちなので
配慮が必要ですがね。
読書もこころのケアになると思います。
 ―すぐ答えがでないところが
  よいですね。
  震災前はそういうのは
  軽んじてきましたから
  反省の時期です。
  SSRIは安直の象徴ですね。
  

SMAP稲垣吾郎による『ぼっちゃま』夢十夜

$PTSD研究家翠雨の日記
稲垣吾郎が逮捕されたのは
ショッキングな出来事でしたね。
あれも急性ストレス障害
前後不覚になって
解離していたのでしょう。
スピッツのボーカリストも
罹患し治癒したのですから
 ―犯罪とは無縁に終始してます。
  普通はこちらです。
誰でも
急性ストレス障害を
起こすことがあるのを
この際
しっかり学ばねばなりません。
敗戦後の
旧家の坊ちゃんと
唯一の理解者の「ばあや」と
きたら
『坊ちゃん』平成版
でしょうね。
 ―昭和を見直します。
夢十夜の一話は
死にゆく女性が    ←アニマ
「百年待ってください」と
言います。
百年なんてあっという間に
くるようです。
親譲りの 無鉄砲で
学校の二階から飛び降りて
一週間ほど 腰を 抜 かすような
無闇は
PTSDを病んだ漱石のつかんだ
こころの闇です。
愛らしいですが
大人になるまでに
哲学性を更新させ
貫きゃいいというのは
卒業しないといけないですね。
滑稽さの中にある悲哀は
実は大人向けであるからのように
感じます。
時代は変わり
多くの人が
PTSDに苦しんでいます。