本日NHKでは
『蟹工船』を
とりあげるようです。
80年前の小説ですが
今とても支持されているのですね。
作者の小林多喜二は
【文学は社会を変えるもの】
という信念の持ち主でした。
劣悪な環境にあっても
人と人とのつながりあいが
いかに大切であるかが
描かれているようです。
『崖の上のポニョ』も
みんなが【一緒くた(一即多)】になって
ポニョを支援しました。
失業により
お金がなくなって
自殺者が増えたと
言われていますが、
そうではなくて
人の話をちゃんと【傾聴】しあい、
人として尊重しながら
支えあう
そういうことで
悪しき記録更新を食い止めることができることを
学びたいと思います。
まずは専門家が
人の話をちゃんと聞くことですね。
小学生のときに
ずいぶん習ってるはずなんですけどね。
「物語」カテゴリーアーカイブ
PTSD物語としての『眠れる森』
昨日の朝日新聞夕刊で
1998年の連続ドラマ
『眠れる森』のロケ地が
紹介されていました。
結婚を控えたヒロインが
ある森に向かいます。
子どもの頃受け取った手紙に
「15年後森であいましょう」と
書いてあったからです。
森ではキムタクがハンモックで
寝ています。
ヒロインは過去の記憶に悩み始めます。
両親は交通事故で亡くなったと
納得するのも
簡単なことではなかったのに
交通事故ではなく
殺人事件であり、
その現場に自分がいたという
記憶が故意に消されていたと
知ります…
キムタクは
記憶の操作がいつか
賞味期限を迎えることを知っていたのですね。
なかなかすごいPTSD物語です。
復習しましょう。
①両親の死はトラウマになる可能性がある。
②①の緩衝材として記憶の操作が起こることがある。
③その記憶操作には賞味期限がある。
④賞味期限がくると苦悩が始まる。
⑤苦悩を克服するのに伴走者が必要
現状は
①「考えても仕方がない」「忘れろ」とトラウマを否認される。
②記憶の操作による現実検討能力の低下や葛藤による
エネルギーの消耗の持続
③②の状態を『適応障害』『うつ病』『発達障碍』と誤診される。
④無意識の自己治癒システム作動と間違った治療の間で
こころの海は大荒れになる。
⑤入院により間違った支援がさらに強化される。
⑥絶望が深まる
…
この先は書けません…
PTSDの治癒モデル ~映画『リング』と能の接点
昨日の朝日新聞夕刊の記事に
広島で被爆し、12歳で亡くなった
佐々木禎子さんのご親族の方への
インタビューがありました。
禎子さんは【原爆の子の像】のモデルであり
白血病の病魔からの回復を願って折鶴を折り続けた
エピソードが小説や映画になっています。
しかし禎子さんの父親は
「原爆で亡くなったのは禎子だけじゃない。
それを忘れるな」とご家族に語っていたそうです。
私は
PTSDの普遍性について
いろいろ思いました。
まずは…
理不尽な不治の病に蝕まれたとき
人には祈りの気持ちが生まれ
それを表現しようとするんだなあ
ということです。
言葉でも音楽でも絵画でも手芸でも
いろいろありますが、
PTSD罹患者はみな
何か発信しているように
私には思えます。
そして
禎子さんの名前から
DVシェルターでお会いした
ある女性のことを思い出しました。
箱庭の砂の上に
いろんなものを置きながら
いろいろなことを語ってくれました。
出来上がった作品について
「生まれてきて
学校に行くようになって
恋をして、結婚して、
いろいろあってここにいるけど
また結婚したいな…。
でもこの井戸からサダコがでてくるかも…」
映画の『リング』のサダコのことを
イメージしているのだと思いますが、
『リング』のキャッチコピーは
「そのビデオを見ると、一週間後に死ぬ」
「サダコの遺体を井戸から引き上げて供養すれば呪いは解ける」
でした。
『ごく普通の日常の中で
PTSDに罹患し
精神的な死を体験しましたが
無意識にある普遍に触れたら
死から再生できる気がします。
でもちょっと怖いなあ。
一緒に見ていただけますか?』
というその人の無意識からの
メッセージだったような気がします。
これは【お能】なんかにもある
日本文化に普遍的なストーリーです。
お能では旅の僧が
話を聞いて成仏させるのが
お決まりのパターンですね。
続きを読む
村上春樹とPTSD
村上春樹は
1995年1月に起こった阪神・淡路大震災と
3月に起こった地下鉄サリン事件に
衝撃を受け、
同年8月には
『ねじまき鳥クロニクル 第3部』を
1997年には
地下鉄サリン事件の
被害者へのインタビューをまとめ
ノンフィクション『アンダーグラウンド』
を刊行しています。
村上春樹の作風の背後には
PTSDがあるようです。
病気になるのではなく
トラウマを作品として表現し
【昇華】することで
自身を護ったのです。
それまで内向的な作風で
社会に無関心な青年を描いてきた村上が
社会問題を真正面から題材にしたことで
周囲は驚きました。
村上の創作意欲はさらに
1999年の
『アンダーグラウンド』続編の『約束された場所で』
2000年には神戸の震災をテーマにした連作集
『神の子どもたちはみな踊る』を
彼に描かせました。
社会的な出来事を
題材に取るようになったことについて
村上自身は
「コミットメント(かかわり)
ということについて
最近よく考えるんです。
たとえば
小説を書くときでも
コミットメントということが
ぼくにとっては
ものすごく大事になってきた。
以前はデタッチメント(かかわりのなさ)
というのが
ぼくにとっては
大事なことだったんですが」
と語っている。
デタッチメントからコミットメントへ
PTSDに苦しむ人たちもまた
つながりを求めて
さまざまな表現をしています。
村上春樹爆発的流行は
潜在的PTSDの多さを
暗示していると思います。
PTSDの治癒モデル ~映画『リング』と能の接点
昨日の朝日新聞夕刊の記事に
広島で被爆し、12歳で亡くなった
佐々木禎子さんのご親族の方への
インタビューがありました。
禎子さんは【原爆の子の像】のモデルであり
白血病の病魔からの回復を願って折鶴を折り続けた
エピソードが小説や映画になっています。
しかし禎子さんの父親は
「原爆で亡くなったのは禎子だけじゃない。
それを忘れるな」とご家族に語っていたそうです。
私は
PTSDの普遍性について
いろいろ思いました。
まずは…
理不尽な不治の病に蝕まれたとき
人には祈りの気持ちが生まれ
それを表現しようとするんだなあ
ということです。
言葉でも音楽でも絵画でも手芸でも
いろいろありますが、
PTSD罹患者はみな
何か発信しているように
私には思えます。
そして
禎子さんの名前から
DVシェルターでお会いした
ある女性のことを思い出しました。
箱庭の砂の上に
いろんなものを置きながら
いろいろなことを語ってくれました。
出来上がった作品について
「生まれてきて
学校に行くようになって
恋をして、結婚して、
いろいろあってここにいるけど
また結婚したいな…。
でもこの井戸からサダコがでてくるかも…」
映画の『リング』のサダコのことを
イメージしているのだと思いますが、
『リング』のキャッチコピーは
「そのビデオを見ると、一週間後に死ぬ」
「サダコの遺体を井戸から引き上げて供養すれば呪いは解ける」
でした。
『ごく普通の日常の中で
PTSDに罹患し
精神的な死を体験しましたが
無意識にある普遍に触れたら
死から再生できる気がします。
でもちょっと怖いなあ。
一緒に見ていただけますか?』
というその人の無意識からの
メッセージだったような気がします。
これは【お能】なんかにもある
日本文化に普遍的なストーリーです。
お能では旅の僧が
話を聞いて成仏させるのが
お決まりのパターンですね。
玄侑宗久『阿修羅』【解離】の文学性
旅先のハワイで
妻の人格に異変が起こり
夫の苦悩が始まる。
解離性同一性障害(DID)と
診断され
主治医は妻の過去を遡及し始める。
玄侑宗久さんは
実際にPTSDの患者さんに会って
あまりに文学的な病いであることに
驚嘆されたそうです。
無意識に
「わたし」の都合でまとめられる人格と
そこからはみだし解離していく「わたし」たち
の物語を
何年かかっても書きたいと思ったとのことです。
玄侑さんは言います。
「現代は解離の時代である」
続きを読む
玄侑宗久『阿修羅』【解離】の文学性
朝日新聞連載小説は、『聖なる怠け者の冒険』→『獅子頭』
朝日新聞夕刊の
連載小説は
明日から
『獅子頭』です。
シーズトオと読むそうです。
(中国語です)
これも
PTSD物語です。
最近
PTSD物語が目立ちます。
世の中にそれだけ
PTSDが多いということでしょう。
うつ病の物語は
あまりみかけませんね。
病気として
あまり流行していないことの証では
ないでしょうか?
世間の人は
「うつ病って
治らないんでしょう」
って言いますからね。
うつ病は抗うつ剤が効くのをうつ病っていうわけで
臨床心理学を学ぶ院生時代に
「うつ病は必ず薬が効くから
絶対死のうとしないでください」
と言うのを常識として
習いました。
シーズトオの主人公も
多分最初落ち込むと思いますが
(あくまで予想です)
展開を見守りながら
克服について学びたいと思います。
終了した『聖なる怠け者の冒険』
読まなかったのですが
タイトルおもしろいですね。
PTSDの人はうつにも間違われるけど
怠け者とか仮病あつかいもされるから。
そしてポニョみたいな知的冒険が必要なのに
病人扱いされて指示やきめつけばかりで
聖なる方さえもが不適応扱いされてるし…
よかったら
読んで感想を聞かせてくださいね
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朝日新聞連載小説は、『聖なる怠け者の冒険』→『獅子頭』
朝日新聞夕刊の
連載小説は
明日から
『獅子頭』です。
シーズトオと読むそうです。
(中国語です)
これも
PTSD物語です。
最近
PTSD物語が目立ちます。
世の中にそれだけ
PTSDが多いということでしょう。
うつ病の物語は
あまりみかけませんね。
病気として
あまり流行していないことの証では
ないでしょうか?
世間の人は
「うつ病って
治らないんでしょう」
って言いますからね。
うつ病は抗うつ剤が効くのをうつ病っていうわけで
臨床心理学を学ぶ院生時代に
「うつ病は必ず薬が効くから
絶対死のうとしないでください」
と言うのを常識として
習いました。
シーズトオの主人公も
多分最初落ち込むと思いますが
(あくまで予想です)
展開を見守りながら
克服について学びたいと思います。
終了した『聖なる怠け者の冒険』
読まなかったのですが
タイトルおもしろいですね。
PTSDの人はうつにも間違われるけど
怠け者とか仮病あつかいもされるから。
そしてポニョみたいな知的冒険が必要なのに
病人扱いされて指示やきめつけばかりで
聖なる方さえもが不適応扱いされてるし…
よかったら
読んで感想を聞かせてくださいね
船越英一郎さんが、次に崖の上に追い詰めるものは?
亡くなった平野洋子さん
2007年8月夏ごろのお姿です。
2006年
自らの闘病生活の体験をもとにした
小説『梅一夜』で湯河原文学賞最優秀賞を
受賞しています。
湯河原温泉「旅荘 船越」の
女将兼経営者となったのはこの17年前
長時間にわたる重労働の無理がたたり、
パニック障害とうつ病を発症したと
いうことになっています。
受賞作について彼女は
「小説ですけれど、
「限りなくノンフィクションに近いフィクション」。
とくに病気の部分は、ほぼリアルに再現しています」
と語っています。
1つの貴重な症例として
私たちはここから学ばねばなりません。
しかしこう続きます。
「…でも普段の私を知っている方からは
『あなたが病気だなんて、ウソでしょ!?』って。
それほど、病名の認知度とは別に、
正しい情報は知られていないんです」
この素朴な疑問が
問題の核心だと思います。
まずはっきりしているのは
うつ病ではありえない
ということですね。
パニック障害という診断については
以下のように語っています。
「昔は「【不安神経症】と呼ばれていました。
突発的な動悸やめまいなどの発作に繰り返し襲われ、
再発への恐怖心にとらわれる精神障害のことです。
うつ病との併発率が高く、
そうなると自殺願望との闘いです。
医師によれば
「辛い病ですが、それ自体が悪化して死ぬことはない」
そうです。
でも実際は、
突然の発作に心臓はバクバク、
息はできない、勝手に涙が出てくるわで、
このまま死んでしまうのではないかと思うほどです」
うつ病と言っているのは
パニック障害と言っているものの
結果ですね。
うつ病は内因性の病であって
心因性の病ではありませんから
うつ病ではなく
うつ状態ですね。
これはこの方が間違っているとかいう
小さな問題ではなく
日本の精神科医の大半が
本当にまちがっていたり
まちがいには気づいているが
何かを守るために
(同僚か上司か家族か地位かプライドか…)
まちがいだと言わない、
その一方で
『車輪の下 平成日本版』が
描かれている
それが現状です。
闘病はまさに【自力】です。
「発作をおさえる薬を飲んで、
布団をかぶって寝るしかないのですが、
そこで「もうひとりの自分」との闘いがあるんです。
「お前のような価値のない人間は生きている資格がない。
さっさと死ね」という声が、
どこからともなく聞こえてくるのです」
「真面目で几帳面、完璧主義の
性格が災いしてるんです」と
性格のせいにしてみたりしますが、
「自分で自分がコントロールできなくなってしまうんです。
この病気の対処法は「薬」と「周囲の理解と支え」、
それから「完全な休養」です。
しかし
これらだけでは
どうにもならなかったのです。
船越英一郎さん
精神医療と心理療法を崖の上に追い詰めて
自白させてください。
松居一代さんの補佐により
正義感とクリーンな科学性の欠如
が逮捕される可能性大です。
そういえば…
松居さんにも
PTSDの克服歴がありますね。
PTSD克服者はPTSDで苦しむ人々を救う使命があります。
そのために結婚されたのです。
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