二順と雲紗は
昼は料理学校で
学び
夜は雲紗の両親
相手に
料理の研究・特訓を
続けています。
料理の勉強は
「舌・目・鼻・耳・腕
とにかく
全身をフル稼働して
味の加減を
調えていくもの
である」
と書かれています。
般若心経の
「眼鼻耳舌身(意)」
ですね。
(意)は【気】なのかな?
五行では
舌に通じるのは【心気】
口に通じるのは【脾気】
鼻に通じるのは【肺気】
耳に通じるのは【腎気】
目に通じるのは【肝気】
心は心
身体は身体
とバラバラでもなく
また
心と身体という
大まかな分類ではなく
細やかでありつつ
常に全体性を視野においた
視点が特徴的です。
五感をフル回転させながら
記憶をたどる作業は
(うまくできなかった料理を
一週間後もう一度作って
みます)
料理修行を
しているようであって
PTSD克服への過程
でもあるんですね。
日常で
自然に
PTSDを超えていく
ための
ヒントになるものが
いろいろと
暗示されています。
「獅子頭」カテゴリーアーカイブ
朝日新聞『獅子頭』第二十四話までにみられる東洋的PTSD克服スタイル
二順は
空中ブランコから
転落して
大怪我
&
舞台恐怖症
というPTSD
に陥ったのですが、
舞台への
恐怖感と
闘っているうちに
料理人の道に
転向していました。
転身のきっかけとなった
バイト先の
美人の娘さんの名は
『雲紗』
芸人から料理人に
生まれ変わったと
同時に
美人の黄先生のこと
忘れてます。
この流れも
興味深いです。
①空中から落下して雲紗と出会う
怪我の仕方は
何でもよかったはずだし
娘さんの名前も
何でもよかったはず
しかし
この2つを作者の無意識は
選択したのですね。
【如人千尺懸崖上樹】
『崖の上のポニョ』
『鷺とり』
と同じ
ある種の
【元型】が
あるように思います。
②黄先生から雲紗へ
アニマイメージの変化です。
(内なる女性イメージ)
彼の場合は
美人というのが
共通点です。
これは
光源氏も同じで
亡くなった母のイメージが
亡霊のように
つきまとい
恋愛のパターンを
決めています。
③芸を忘れて別天地に迎えられる
これは
禅の世界では有名な
【十牛図】という
悟りの過程を示した禅画の
流れそのものです。
簡単にご説明しますと
いなくなった牛を
不安な気持ちで探し
牛を見つけ
格闘し
一緒に家に帰ったのですが
そのうち牛が消え
なんと自分も消えて
なーんにもなくなって
ぜんぜん違う場所で
知らない人に出会って
ご挨拶していたという
不思議なストーリーです。
人が悟るときも
苦しみから解放されるときも
東洋では
こういう
ある種の【元型】が
あるのではないかと
私は思います。
これが
キリスト教文化のひとたちと
違う
我々の
エスニックな部分です。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十四話 輪廻転生のシンクロニシティ
これまでを
ふりかえりますと…
内陸部の
貧しい村で生まれた
二順が
大連の雑技学校
で芸人の卵として
生まれ変わり
地方公演で
空中ブランコから
落ちて
大怪我&舞台恐怖症
になり
地方公演で
食べた
獅子頭
(肉団子)の
味に導かれるように
料理修行の道を
いつのまにか
歩いていました。
輪廻転生の
本当の意味は
知りませんが
人間は
この一生のうちにも
心理学的には
何回も
生まれ変わっている
と考えたら
いろんなことが
わかりやすく
なるのでは
ないでしょうか?
それは
その場その場で
いい加減にしたらいい
という意味ではなく
むしろ
まったく
その反対で
今できる限りを
尽くすことで
そのときは
見えもせず
思いもよらなかった
道のようなものが
できていて
いつの間にか
そこを歩いていた。
というようなものでは
ないかと
思います。
二順は
バイト先の
料理店の
ご夫婦に
「養子になってもらってもいい」
と言われます。
新しい
お父さんと
お母さんも
できたのです。
料理学校入学の
決断で
芸に対する
複雑で苦しい思いを
完全に
断ち切ることが
できました。
シンクロニシティ
(意味ある偶然の
一致)
と呼ばれる
時空を超えた
秘儀で
PTSDが克服される
こともあるのです。
しかも
克服の場所は
この世の
ありふれた
特別ではない
日常です。
だから
あきらめては
いけないんです。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十四話までにみられる東洋的PTSD克服スタイル
二順は
空中ブランコから
転落して
大怪我
&
舞台恐怖症
というPTSD
に陥ったのですが、
舞台への
恐怖感と
闘っているうちに
料理人の道に
転向していました。
転身のきっかけとなった
バイト先の
美人の娘さんの名は
『雲紗』
芸人から料理人に
生まれ変わったと
同時に
美人の黄先生のこと
忘れてます。
この流れも
興味深いです。
①空中から落下して雲紗と出会う
怪我の仕方は
何でもよかったはずだし
娘さんの名前も
何でもよかったはず
しかし
この2つを作者の無意識は
選択したのですね。
【如人千尺懸崖上樹】
『崖の上のポニョ』
『鷺とり』
と同じ
ある種の
【元型】が
あるように思います。
②黄先生から雲紗へ
アニマイメージの変化です。
(内なる女性イメージ)
彼の場合は
美人というのが
共通点です。
これは
光源氏も同じで
亡くなった母のイメージが
亡霊のように
つきまとい
恋愛のパターンを
決めています。
③芸を忘れて別天地に迎えられる
これは
禅の世界では有名な
【十牛図】という
悟りの過程を示した禅画の
流れそのものです。
簡単にご説明しますと
いなくなった牛を
不安な気持ちで探し
牛を見つけ
格闘し
一緒に家に帰ったのですが
そのうち牛が消え
なんと自分も消えて
なーんにもなくなって
ぜんぜん違う場所で
知らない人に出会って
ご挨拶していたという
不思議なストーリーです。
人が悟るときも
苦しみから解放されるときも
東洋では
こういう
ある種の【元型】が
あるのではないかと
私は思います。
これが
キリスト教文化のひとたちと
違う
我々の
エスニックな部分です。
朝日新聞『獅子頭』第二十四話 輪廻転生のシンクロニシティ
これまでを
ふりかえりますと…
内陸部の
貧しい村で生まれた
二順が
大連の雑技学校
で芸人の卵として
生まれ変わり
地方公演で
空中ブランコから
落ちて
大怪我&舞台恐怖症
になり
地方公演で
食べた
獅子頭
(肉団子)の
味に導かれるように
料理修行の道を
いつのまにか
歩いていました。
輪廻転生の
本当の意味は
知りませんが
人間は
この一生のうちにも
心理学的には
何回も
生まれ変わっている
と考えたら
いろんなことが
わかりやすく
なるのでは
ないでしょうか?
それは
その場その場で
いい加減にしたらいい
という意味ではなく
むしろ
まったく
その反対で
今できる限りを
尽くすことで
そのときは
見えもせず
思いもよらなかった
道のようなものが
できていて
いつの間にか
そこを歩いていた。
というようなものでは
ないかと
思います。
二順は
バイト先の
料理店の
ご夫婦に
「養子になってもらってもいい」
と言われます。
新しい
お父さんと
お母さんも
できたのです。
料理学校入学の
決断で
芸に対する
複雑で苦しい思いを
完全に
断ち切ることが
できました。
シンクロニシティ
(意味ある偶然の
一致)
と呼ばれる
時空を超えた
秘儀で
PTSDが克服される
こともあるのです。
しかも
克服の場所は
この世の
ありふれた
特別ではない
日常です。
だから
あきらめては
いけないんです。
朝日新聞『獅子頭』第二十三話 PTSD克服法【昇華】の術
バイト先では
娘さんが
美人で
二順は簡単な
雑技ができるから
二人は人気者です。
「一年半という
時間は
ドライアイスのように
跡形もなく
空気に呑まれていった」
と書かれています。
二順のこころに
大きな変容
【昇華】が
起こったことを
意味しています。
はやりの
【解離】も
人間が
巨大なストレスから
自分を護るために
無意識的に
行うものですが
【昇華】も
同じく
こころを護るために
無意識的に
行われるものです。
そして
【解離】は
その人を自滅に追いやりますが
【昇華】は
その人を心底から
変容させることで
助けますし、
周囲のひとに
感動を与えるもので
大きな違いがあります。
要するに
二順は
舞台恐怖症を
【昇華】という
メカニズムで
克服したわけです。
PTSDに悩む人は
トラウマとなった事件そのものに
向き合い
超えていくことで
治癒する場合もありますが
二順のように
少し次元の違うところで
トラウマとなったものと
出会い直すことで
大きく成長していく
そんな方法もあります。
逃げるか逃げないか
ではなく
逃げているようで
逃げていないで
違う世界に抜ける
そんな方法です。
【一太極二陰陽】
のリセットの法則です。
有名事例は
古事記のスサノヲです。
心理療法の極意ですね。
少しずつ
【古事記】のファイルに
書き足していく
予定です
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十三話 PTSD克服法【昇華】の術
バイト先では
娘さんが
美人で
二順は簡単な
雑技ができるから
二人は人気者です。
「一年半という
時間は
ドライアイスのように
跡形もなく
空気に呑まれていった」
と書かれています。
二順のこころに
大きな変容
【昇華】が
起こったことを
意味しています。
はやりの
【解離】も
人間が
巨大なストレスから
自分を護るために
無意識的に
行うものですが
【昇華】も
同じく
こころを護るために
無意識的に
行われるものです。
そして
【解離】は
その人を自滅に追いやりますが
【昇華】は
その人を心底から
変容させることで
助けますし、
周囲のひとに
感動を与えるもので
大きな違いがあります。
要するに
二順は
舞台恐怖症を
【昇華】という
メカニズムで
克服したわけです。
PTSDに悩む人は
トラウマとなった事件そのものに
向き合い
超えていくことで
治癒する場合もありますが
二順のように
少し次元の違うところで
トラウマとなったものと
出会い直すことで
大きく成長していく
そんな方法もあります。
逃げるか逃げないか
ではなく
逃げているようで
逃げていないで
違う世界に抜ける
そんな方法です。
【一太極二陰陽】
のリセットの法則です。
有名事例は
古事記のスサノヲです。
心理療法の極意ですね。
少しずつ
【古事記】のファイルに
書き足していく
予定です
朝日新聞『獅子頭』第二十二話 秘密の実験
舞台恐怖症の
二順ですが
舞台への執着は
ゼロに近く
事故前の
遠征で食べて
感激した
獅子頭の
(肉団子)
味の再現に
憑かれて
無意識のうちに
1つの道ができて
います。
トラウマ以前の世界から
逃げるのか
(陰)
戻るのか
(陽)
そんな【二元論】で閉じた
世界で答えを出すのではなく
独自に思いついた
秘密のバイトを
(江南料理の店)
始めました。
PTSD克服においても
【一太極二陰陽】
のリセットの方法を
選択することが多いですし、
二順のように
ある種の実験メニューを
思いつき、
ひそかに
黙々と
続けながら
模索する人は
多いです。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十二話 秘密の実験
舞台恐怖症の
二順ですが
舞台への執着は
ゼロに近く
事故前の
遠征で食べて
感激した
獅子頭の
(肉団子)
味の再現に
憑かれて
無意識のうちに
1つの道ができて
います。
トラウマ以前の世界から
逃げるのか
(陰)
戻るのか
(陽)
そんな【二元論】で閉じた
世界で答えを出すのではなく
独自に思いついた
秘密のバイトを
(江南料理の店)
始めました。
PTSD克服においても
【一太極二陰陽】
のリセットの方法を
選択することが多いですし、
二順のように
ある種の実験メニューを
思いつき、
ひそかに
黙々と
続けながら
模索する人は
多いです。
朝日新聞『獅子頭』第二十一話 自分の頭で考える
舞台恐怖症が
治らなかった場合の
選択肢その1
父親のコネを
有効利用して
雑技学校の
厨房で働く。
父は
二順が
事故に会う前
出会って
感激した
獅子頭を
再現しようと
していたが、
食べたこともないものを
作るのは
困難で
四苦八苦していた。
二順は
想う。
たかが
獅子頭くらい
どうでもいい
じゃないか
されど
獅子頭くらい
当たり前に
作れても
いいじゃないか
たかが獅子頭
されど獅子頭
陰陽葛藤ですね。
あーでもない
こーでもない
と葛藤していたら
わけがわからなくなって
閃いたのは
『コックになれば
いいじゃん!』
大連方向へ
走って行きました。
【一太極二陰陽】の
構図
この物語にも
クッキリ!
ですね。
PTSDは
公案並みの
難題だけど
難しくても
自分の頭で
考えるのが
大事です。
続きを読む