ホフマン氏が
1906ー2008
麦から抽出した菌類の医療効果の実験中
偶然みつけたLSDは
最初の「被験者」
極微量のLSDが漏れ手に付いた。
極微量で
幻覚や恍惚状態に陥るので
開発された当初は
精神分析の一助として利用されていましたが
1960年代に
ヒッピーらの間で乱用が広まり
世界各国で禁止されました。
依存に陥らないように
効果的に薬を使うのは難しいようです。
フロイトも友人をコカイン中毒にしましたから。
ホフマン氏が
1906ー2008
麦から抽出した菌類の医療効果の実験中
偶然みつけたLSDは
最初の「被験者」
極微量のLSDが漏れ手に付いた。
極微量で
幻覚や恍惚状態に陥るので
開発された当初は
精神分析の一助として利用されていましたが
1960年代に
ヒッピーらの間で乱用が広まり
世界各国で禁止されました。
依存に陥らないように
効果的に薬を使うのは難しいようです。
フロイトも友人をコカイン中毒にしましたから。
『戦場のメリークリスマス』⑤の続きですが
漱石は
「甘え」がわからず
ストレスを感じると
癇癪を起こし
それでも収まらないときは
お腹をおさえて苦しみだし
薬を要求します。
呑んだ薬は不明ですが
この頃
ロシアと戦うために
正露丸がつくられたそうです。
元は征露丸
映画の夢十夜では
毎朝ひとつぶ
予防的に飲むように勧められていますが
強烈な殺菌作用がある正露丸だったなら
誤診と薬漬けの被害者だったのかもしれません。
甘いものを所望する様子は
アル中か薬中みたいです。
敏感関係妄想やDVを伴うのも似ていますが
PTSDですね。
お腹は大丈夫でしょうか?
無理やり断食させられて
饅頭より花が美味しいというシーンも
血を吐くような胃潰瘍でも
甘い物がやめられなかった
漱石を意識してのことでしょう。
生育歴から「甘え」を学習できず
どのように人と関わってよいのか全くわからない
お手伝いさんにかばわれる妻や
妻に大事にされる子どもたちに嫉妬して
DV化する漱石が
甘い物の依存症であったというのも
象徴的ですね。
「業腹」という言葉をよくつかいますが
癇癪を起こして暴れる様子は
まさに「業」「腹」だと感じられます。
乱暴なハラ軍曹も
原作はヴァン・デル・ポストですが
漱石がモデルかもしれません。
文英堂の高校英語教科書
「ニュー・エディション・ユニコーン
イングリッシュ・コミュニケーション3」に
豆腐ようについての不適切な記述が見つかり
問題になっています。
豆腐ようの食べ方を知らず
塊ごと口に入れた
英国人が
「まるでブルーチーズと
放射性廃棄物が混ざった物を食べてしまったかのよう」と
驚いてはき出し
「私はコレステロール値が高くてもいいから
豆腐ようを食べない方に賭けてみる」と書いた
旅行記を
わざわざ選ぶ教科書検定は
我が国のあり方を象徴していますね。
言い間違いには意味があると
フロイト先生は申しております。
PTSD予防教育を適切に行いましょう。
日本文化に対する風刺が満載です。
大島渚の感覚であり
正しいかどうかは別問題ですが
東洋と西洋の違いを知るのに役立つ
一理あり
相手ヘの思いを
ふいに暴露してしまったショックから
解離してしまう
精神科の大医(ヨノイ大尉)に対して
感情がなかったことにするために
相手を埋める
無意識の心的防衛機制【置き換え】
乱暴なハラ軍曹に
「侍はオカマなど怖くない」と言い切らせます。
精神分析的には
漱石の作品が
同性愛的であるとの指摘を意識してのことでしょう。
特に
『こころ』は
大文豪が
持ち上げられたイメージも真実究明の邪魔に
「こころ」についてあれこれ書こうとしたものの
結局1つしか書けず
それが
この作品における人間関係なのですから
誤解されてもしかたありません。
主人公は
海水浴に行きながら
同性の先生を
自殺するまでストーカー的に追い回すのですからね。
こういう大雑把な分類では
説明できない
【甘え】の世界があります。
日本人は
アスペルガーやADHDにはなれないでしょう。
夜中でも無問題(+_+)
ストレスになるから我慢はダメ(+_+)
「カレーを食べると汗かくからスポーツ」
おかわりしても無問題(+_+)
「シャリシャリ音がすれば音楽」…
音楽で太ることはない(+_+)
なかなか豪快なパンダさんですが
言うのは自由
だんだん太ってきているそうです。
よくある話ですね。
専門家が言っているから大丈夫とか
自然のものからできているから安全とか
アヘンも自然のものです。
言い訳をして考えないようにします。
治し方ですが
認知行動療法で
餃子・カレー・唐揚げ…とやめていっても
キリがないし
できたらできたで断食状態になってしまいます。
食事にとらわれなくなったと思えば
こういうのを受けなくてはならないハメになります。
なぜこういう風に考えるようになったのか
根本的に対応しなければいけませんね。
そうすると
最後に現れるのは
「トラウマ」=恐怖による
古典的条件づけなんですよ。
それは慣らすのではなく
理解されることで消えてゆくものです。
笹しか食べないパンダが
異物ばかり食べていることが話題にならないところにも
恐ろしい現実の否認が隠れています。
狂牛病の問題もその不自然さからではないかと言われています。
牛乳を無理強いしたり
向精神薬を呑ませたりの
無法もやめましょう。
『戦場のメリークリスマス』の続きですが
「気」という言葉をよく使っていて
陰陽五行説の「気」で
元気や気力、気合のようなものです。
気力で乗り切らせるのは問題もありますが
今は何でも「脳」の問題にすり替える。
お腹が強調されています。
凶暴な軍人の名前は「ハラ」
感情を抑圧しているようで
酔っ払うと太っ腹な「釈放」
規律を乱した場合
「切腹」や
同性愛レイプの捕虜
「断食」が命じられます。
集団責任で
軍人は武士ではないので
ましてや精神文化の違う外国人
切腹などできないので
却って苦しむ様子を
自殺に追い込みながら
幇助するという
マッチポンプとして描かれている。
西洋人捕虜は
自決させられるのは「時の運」であり
できなくても「卑怯者」ではないし
「恥」じゃないと諭します。
『菊と刀』なんかが意識されているのでしょう。
お灸と一緒で
断食も懲罰として使われることがありますが
本来はどちらも健康法
デビッド・ボウイに
「まんじゅうより花がおいしい」と言わせ
思想的に反論させています。
断食は我慢大会ではなく
意識が変容し
味覚も変わるのです。
懲罰に使うような軍人にはわからない秘密
デビッド・ボウイは
何度も死ぬような目に遭い
最初のトラウマエピソードを思い出しながら
弟を救えなかった罪悪感
非暴力のうちに死んでゆき
捕虜なので抵抗できないのですが
凶暴な日本の軍人は
敗戦で立場が変わり処刑されました。
多くの軍人は
生還して
PTSDに苦しむのですね。
『オバケのQ太郎』の
連載が開始した
1964年2月28日が
誕生日と設定されているそうです。
生みの親ですが
藤子・F・不二雄というペンネームや
一太極二陰陽を強調
太極Fに対して
藤子と不二雄
イザナギ・イザナミみたいな
男女(陰陽)名が派生
スタジオ・ゼロという
ゼロ=太極
制作会社名からして
陰陽五行説の掌の上です。
オバケは
一つの種族で
かつては人間と共生していたけれども
のんびり屋で
嘘をついたり
人を傷つけたりできないので
追いつめられて
その結果
解離して攻撃的になると
妖怪になる。
隠れ住むようになったという設定だそうです。
Q太郎の卵だけが
卵生!
他の兄弟と離れて
それで繊細となり
頭があまり働かなくなったのかも
ちょっと過食気味でもあり
家出しても食ストレスに耐えきれず
ポニョのようになれない。
でも
お陰で連載が可能となる。
竹藪に落とされ
竹は集合的無意識だが
かぐや姫は手入れされた竹林
大原家に居候するようになりました。
天人が修行のために落ちてくるイメージ?
連載当初は
毛が10本以上あったのが
次第に減って
「台風Q号」から
3本に落ち着いたそうです。
Wikipediaに
「大学では心理学を学んでいた
担当の井川浩が
「男は奇数女は偶数」という
フロイトの学説に基づき
毛を3本にする提案をしたことが直接のきっかけという[18]。」と
書いてありますが
「男は奇数 女は偶数」というのも
陰陽五行説そのものではないかと思いますよ。
三位一体 ≠ 一太極二陰陽
流行している
ヌケガラビトの恐ろしさを伝える
シズクですが
経験者なので
蘇ったので
PTSDについて説明できるまでに
理解できた。
過食症のほかに
アパシーも
やる気の解離
ひきこもりも
勇気の解離
その背後には
治ってはいけないとの思い込み
(病気でいることで
家族がバラバラにならないで済む)
醜貌恐怖も
客観性の解離とも言える。
ヌケガラビト(PTSD)であると
見抜きます。