西田哲学」カテゴリーアーカイブ

西田幾多郎の善とユングの自己実現② 同世代人

ユングの自己実現
(個性化の過程)
理論ばかり

もてはやされてましたが
(ちょっと過去ニコニコ

同じ時代に
同じようなことを
ちゃんと言っておられたのです。

ユングは
1875-1961
に生き

西田幾多郎は
1870-1945
に生きた人です。

かたやスイスで
かたや日本で
同じようなことを
同じ時代に
語っていたのです。
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西田幾多郎の善とユングの自己実現①  西田の善

善とは
自己の
発展完成
self-realization
であるということが
できる。

即ち
我々の精神が
種々の能力を
発展し円満なる発達を
遂げる
のが
最上の善である。

竹は竹、
松は松と
各自その天賦を
充分に発揮するように

人間が人間の
天性自然を発揮するのが
人間の善である。
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西田幾多郎の善とユングの自己実現⑤ PTSD克服=善

「ありのまま」
とか
「あなたはそのままで
いい」
とか
言いますが
そして
耳障りはいいですが

「ありのまま」にも
大きく
二種類あって

たいていは
普遍的無意識
(集合的無意識)
そのままの
人間なんですね。
集合的無意識は
その集合においては
宗教と言っても
差し障りがないくらい
当たり前の
常識のことです。

しかし
未来から見ると
全く非常識このうえない
ものなのです。
PTSDに罹患すると
誰でも
未来からの視線を
もってしまう
のです。
持てた
というべきか
持ってしまった
というべきか
前者だと
思いますが
苦難の道です。
しかし
それを
個性化の過程
(自己実現)
と言います。
【昇華】の物語です。
かぐや姫の昇天の
物語です。

西田幾多郎の善とユングの自己実現④ 普遍的無意識と二次被害の関係

群生する
しばしば
厄介者扱いされるほど
繁殖力の高い

これが
ユングのいう
普遍的無意識
(集合的無意識)
です。
ありのままの
自然の恐ろしさです。

PTSDだけでも
辛いのに
うそつき扱いしたり
先天性の
不治の病扱いしたりして
まともに話を聞いてあげないことで
おこる
二次被害の
加害者とは
集合的無意識に
他なりません。

二次被害防止の
困難さは
ここにあるのです。

西田幾多郎の善とユングの自己実現③ かぐや姫

竹は竹、
松は松と
各自その天賦を
充分に発揮するように、
人間が人間の
天性自然を発揮するのが
人間の善である。
群生する
しばしば
厄介者扱いされるほど
繁殖力の高い
ですが
そのなかにも
ほのかに
光るものがあり

愛情を注ぎながら
見つめていたら
神々しさが増し
月そのものと
同一になるような
そんなものが
人間には
あるということを
『竹取物語』は
示して
いるのだと思います。

西田幾多郎の善とユングの自己実現② 同世代人

ユングの自己実現
(個性化の過程)
理論ばかり
もてはやされてましたが
(ちょっと過去ニコニコ
同じ時代に
同じようなことを
ちゃんと言っておられたのです。
ユングは
1875-1961
に生き
西田幾多郎は
1870-1945
に生きた人です。
かたやスイスで
かたや日本で
同じようなことを
同じ時代に
語っていたのです。

西田幾多郎の善とユングの自己実現①  西田の善

善とは
自己の
発展完成
self-realization
であるということが
できる。
即ち
我々の精神が
種々の能力を
発展し円満なる発達を
遂げる
のが
最上の善である。
竹は竹、
松は松と
各自その天賦を
充分に発揮するように

人間が人間の
天性自然を発揮するのが
人間の善である。