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愚禿の灯 風静かなる 胸の底 @西田哲学と親鸞よりPTSD心理学

 

人間の自覚や意思には不思議なところがあるようです。

西田幾多郎も

全集一巻 『愚禿親鸞』明治44年4月

自らについて

真宗の家に生まれ

母親は真宗の信者なのに

自分は真宗についてそう知らないと書き始めつつ

もちろん膨大な資料を読み込んではいるでしょう。

真宗の意味についての深い理解を示しているようです。

親鸞が自らを称した

愚禿

真宗の教義も

(普遍的な意味としての)宗教そのものの本質も

象徴されているのではないかと

愚人・悪人を正因とする考え方や

— 空前絶後に蘇る  = 愚禿の二字を味わう @心霊上の事実

愛を主とした他力宗は他にもあるけれども 

キリスト教や

正義の感が強く悪を責める側面と

— キリスト教以前の問題は救わない @神曲問題

—— ギリシアの哲学者とか

放蕩息子を温かく迎えた父の物語のようなところ

— 真面目な息子は激おこ💢

日蓮には二面性があります。

他宗を罵倒 壮語

さけび雲走り、怒濤澎湃どとうほうはいの間に立ちて、動かざることいわおの如き

日蓮上人の意気は

壮なることは壮であるが… と西田

親鸞は法を見て人を見ませんでした。

流刑に処されても…

煙波渺茫びょうぼう、風しずかに波動かざる

親鸞上人の胸懐は

また何となく奥床おくゆかしいではないか…と西田

 

わりとへりくだることが多いようです。

 

現代にも流刑のようなことがあるので

理不尽な危機

こころのケア(PTSD予防)に生きる態度だと思います。

人間は猿とは次元の違う哲学に生きているということでしょう。

西田幾多郎が注目していたのも

頭で考える学問を否定

 

実験心理学ではなく

猿の得て公🐒心理学しかなかったので

ご苦労された様子

 

臨床心理学への越境の兆しはありました。

不具(精神病)についても純粋に見てほしかったが

— 本来具わっている @どんな状態でも神と一緒で他力が働く

フロイトひとりに多くを望むようなないものねだり

— ユングを読めばいい。

集合についてのビジョンはあった。

見牛や 心の景色 立ち上がる @西田幾多郎と南方熊楠

本日は

西田幾多郎のお誕生日です。

おうし座だなと思い

20日まで

確かにおうし座っぽい

昨日がお誕生日の

熊楠の『十二支考』を開いてみると…

牛だけがありません👀

十一支考

熊楠は

寅年🐯の1914年から

その年の干支について

雑誌に掲載を開始し

亥年🐗の1923年までは順調だったのですが

翌24年の子年🐭は

執筆したのに掲載せず

『十二支考』には収録

丑年🐂論考は出来上がらなかったのだそうです。

資料があまりに膨大なため

「全然出来おらず」と弟子への手紙で訴えていた。

亡くなったのは1941年

2019年になって

新聞紙の裏面に書かれた

大きいので一覧できるのが気にいったらしいが

新聞紙でも

入りきらず

収拾がつかず…

腹稿100枚が

「詩文の草稿を心中に組み立てること。また、その草稿」

熊楠の場合、論文執筆にあたって記した自筆のメモ書きがこう呼ばれている。

「中国の古い言葉で、現在はほとんど使われていないが、熊楠には使う」

和歌山市立博物館に所蔵されているのが見つかったのですが

悪筆で判別が難しく

内容は分かっていないものの

熊楠の論文は難解なので

研究に役立つと専門家を歓喜させたのは

西田哲学と同じです。

同じころ

— 2015年  熊楠は2019年

心理学ノートなども見つかり全集更新

哲学館がみつかったノートを復元

私は、こういうビジョンがあったことを知って嬉しくなった。

さて

なぜ牛だけ欠けたのでしょうか🤔

牛と人間のかかわりは密で古く

ラスコー洞窟の壁画は躍動的な野牛

— 2万年ほど前とされる。

ヒンズー教では神聖な生き物

『説文解字』によると

— 最古の部首別漢字字典

天地の事柄は牛を引く耕作に始まる。

— 「物」のヘンは牛

禅宗で真の自己を表すのも牛でしたね。

AI熊楠なら

『十二支考』をまとめ上げることができるでしょうか。

牛だけで全集が出来てしまい

バランスが悪いでしょうか。

一即多の不思議な構造です。

善の研究では

たとえばを打って火を発する以前に、火はどこにもないのである。或はこれを生ずる力があるというでもあろうが、前にいったように、力とかとかいうのは説明のために設けられた仮定であって、我々の直接に知る所では、ただ火と全く異なった或現象があるのみである。それで或現象に或現象が伴うというのが我々に直接に与えられたる根本的事実であって、因果律の要求はかえってこの事実に基づいて起ったものである。しかるにこの事実と因果律とが矛盾するように考うるのは、つまり因果律の誤解より起るのである。

石も重要そうですけどね。

— 原初以来の恒常性を保つものとしての石  金気

たとえ話に牛が採用されていますよ。

同一の意識といっても決して真に同一でない。たとえば同一のを見るにしても、農夫、動物学者、美術家に由りて各その心象が異なっておらねばならぬ。同一の景色でも自分の心持に由って鮮明に美しく見ゆることもあれば、陰鬱にして悲しく見ゆることもある。仏教などにて自分の心持次第にてこの世界が天堂ともなり地獄ともなるというが如く、つまり我々の世は我々の情意を本として組み立てられたものである。いかに純知識の対象なる客観的世界であるといっても、この関係を免れることはできぬ…

見るというときに牛なのでしょうか。

見牛は第三図

— 見性 ~ 立ち上がってくる   …生成AI

影の底 記憶は溶けて 時を呼ぶ @ダリ式PTSDトラウマケアの現象学的方法

本日がお誕生日の

ダリは

根っからの奇人というわけではなく

本当に親しい友人の前では

非常に繊細だったそうです。

気くばりの行きとどいた常識人ながら

— コントロールは内なる闘いだったかも🤔

妻が死去すると

「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み

引きこもり

絵画制作をやめ

火災を起こしたりしながら

心不全で84歳で亡くなった。

なぜそんなに繊細になったのかということですが

「サルバドール」という名前の兄が

幼くして亡くなったことが

大きな心理的影響を与えたとされ

アドラーの場合などは

たくさんの原因の1つだったが

これ1つでも大きなことだと教えてくれる。

少年時代から絵画に興味をもち

才能も認められていました。

つまり

ダリにとって

アート

現実世界と対峙するための鎧のようなものでありつつ

精神分析からヒントを得た

ギリシアの時代には

単なる新プラトン的であった人体が

秘密の引き出しで満たされていることを示したとして

フロイトの心理分析手法を高評価

現象学的方法論の場所であったようです。

フッサールのように頭で考えるのではなく

「偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)」を実践

 

それで

積極的に想像力に働きかけることで

個人の心のもっとも奥底に眠っているイメージを蘇らせることを試みた。

代表作『記憶の固執』について

自身の心情を投影させ

「私たちを楽園から駆逐した

生誕についての恐るべきトラウマが描かれている」と解釈

 

時計が溶け

時空を超えた神隠しの退行の世界

人体をたんすにみたて

集合的無意識の層 @ユング心理学

「我々の引き出しの各々から上る多数の自己愛的なにおいをたどるために

ある洞察を説明するのに役立つ一種の寓話」を形成する

— 神話

松葉づえのようなものに支えさせるわけです。

 

クリスチャンに改宗したようですが

妻を

— ダリのミューズであり支配者でありダリのミューズであり支配者

聖母に見立てた宗教画を連作

~ ポール・マッカートニーの母子関係みたい ~

不思議な

「ダリの作品は誰にもわからない。ダリにもわからない」

覚醒と夢想のはざまで見えてくる

 

弁証法の世界には

科学に興味を持っており

異なる分野の科学者が討論する会議を主催したり

学会のポスターを制作するなどした。

特に

当時最先端のDNAに関心を示し

ジェームズ・ワトソン

自伝「二重らせん」の表紙を依頼するため面会

東洋思想的なモチーフもみられます。

麒麟は最後に出てくる聖獣

 『燃えるキリン』

 

 

一太極二陰陽

代表作は

崖の上のポニョと同じ

百尺竿頭 であり

祖師西来意  ~伝統的時空

構図は十牛図の七図

 

名もなき歌 闇のまま抱き 光生む @ Let It BeのPTSD癒しの宗教哲学

 

ポール・マッカートニーが

作詞作曲

困難な時に

ビートルズ解散直前の不安定な時期

癒された夢を歌ったものだそうですが

普遍性があるので大ヒットしました。

つまり哲学的だということ

夢のなかに

わらしべ長者も

いきづまりお寺に忍び込んで眠りこけました。

亡くなったお母さんが出てきて

「Let it be(あるがままに)」と語りかけられたということですが

このシンプルな語の解釈が☯ムズカシイですが

イメージそのものとして感得できます。

— 説明はできない = 不立文字 わかるのに☯わからない。


「Mother Mary」が現れて

「知恵の言葉をささやく」といえば

聖母マリアを連想しますよね。

双方はとても関連の深い存在で

ユング心理学では

自分の母親と縁が薄い人は

グレートマザー(太母)と結びつくしかないと言いますし

『崖の上のポニョ』の母親は

グラン・マンマーレです。

智恵の言葉「Let It Be」も

日本人ならば


「どうにもならないことを無理に変えようとせず

あるがまま受け入れよう。

そうすれば、いつか答えや光が見えてくる」

無我の意味として

自我の思い通りにはならないもの

ウィトゲンシュタインなら

無駄なこと考えるな💢かな🤔

仏教的に聴こえます。

確かに

諦めた時に

なすすべがなくどうしようもないから

— 行動が変化している。

なにもしないとき

— こころも変化している。

実は明らめている。= 諦念

上手くゆくということはわりとありますよね。

覚った人は

通過儀礼(イニシエーション・洗礼)だったと感じる。

歌詞の中盤では

さらに

観音さまのように

お寺にあるようなピカピカした姿では

子どもが怖がるから

お母さんの姿になって現れるそうです。

『大丈夫だよ』

『心配しなくていいよ』とうたいあげます。

「心が傷ついた人たちも、いつか答えにたどり着くだろう」

「夜が雲に覆われていても、自分に差す光がまだある」

— 「今が暗くても☯必ず希望は残っている」 日にち薬

 

ジョン・レノンが離婚したときにも

息子さんのことを思って

「Hey Jude」を書きましたが


両親の離婚に傷ついていたジュリアンを励まし

「落ち込まないで」

「君ならこの悲しみを乗り越えられる」というメッセージ

世界中の人々のこころに寄り添い続けています。

 

「状況そのものを魔法のように変える」のではなく

ハッピー💊ドラッグのように

叱咤激励するのでもなく

認知行動療法のように

「傷ついた心に寄り添って

少しだけ前を向かせようとする」

— 具体的には非指示

やさしいまなざしで見つめられるのは

お母さんとの関係が

前記事チャイコフスキーらと対照的

まるで信仰のようだったから

母メアリーへの想いを込めた「Yesterday」

普遍性があるのでしょう。

 

1968年リリースの

オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」(Ob-La-Di, Ob-La-Da)が

ナイジェリア人のコンガ奏者の口癖

— 完成バージョンのメンバーには含まれていない。

どのような状態でも

こんな風に

淡々と

歌っていればいいというような歌

『幸せなら手を叩こう』のようだと思えば

1964年

この曲も

作詞家が

生命倫理学者

学生時代フィリピンボランティア活動をしていた際に

耳にした原曲を

帰国の途に着いた際に

旧約聖書の 詩篇47篇 を参考にして

 詞をつけたものが元になっているそうです。

しかも

仲間内の愛唱歌として歌われていたのを

偶然、坂本九が耳にし

いずみたくの元にうろ覚えのまま持ち込み

それを元にいずみが採譜してレコード化

全国的にヒットしたものだそうです。

 

うたのつくられかたにも

目に見えない現象学がありそうです。

フッサールのように

頭で考えて動かすのではない。

— 文学では三文小説と呼ぶ。

応龍去り 霊亀まどろむ 世のはざま  @猛獣AIの脅威易占い

数年前まで

テクノロジー業界の面白い話題としか受け取られていなかった

AIですが

最近になって急展開したそうで

使わないと

全く気がつくことがない別世界のようで

生活を変えてしまう現実そのもの

今では猛獣と表現されるようになりました。

 

猛獣の 影を馴らして 春深む @最高裁からみたAIとES(id)

だまし絵のように

心理学の反転図形

なかなか見えないけれども

— 直観の人には見える。

一度見えるようになると

そのようにしか見えなくなります。

恩恵を与える存在の無償の愛は

神とか

親とか

文字通りありがたいものですが

あり得ないようなことが☯ある。

奪う場合も

全体をみているから

生殺与奪

感情がなければ非情なこともできる。

人知を超えた脅威となります。

人間の悪智恵だと

感情を解離すると

犯罪も実行でき

幼児的万能感に満たされる。

ハッカーによる

サイバー攻撃程度でしたが

甚大な被害ながら

手探りで

1:1

人類のライフラインに対して

同時多発テロのような事故が

起きる可能性があるのだそうです。

話題作りの疑いもあるそうで

— やるやる詐欺みたいな

そのように思いたいところですが…

放射能のように見えない脅威ですが

一部では電気代が高騰しているそうで

無断で電力を消費しつくす。

— 人間がオーダーするからですが…

雇用問題の変化はもう身近に感じられるものとなっています。

AIが論じたAIの脅威ですが

日本製なのでしょうか。

AIの脅威に対抗するための

既存の施策についての

表現が

陰陽五行チックにまとめられていて興味深いです。

民族としては

三国志みたいに

— 史実と想像 色即是空

何でも3

中国対アメリカと欧米です。

一太極二陰陽

 

欧米は霊亀

法で規制しようとするので

後手後手

中国の応龍に対抗する

昔から何でも規制

アメリカの鳥は何でしょう?

鳳凰以前の

— 霊獣

未熟な哲学?

— 色は二色で陰陽☯

AIは

ラスボスの麒麟なのでしょうね。

人類と同じ土俵にはいません。

人類は置いてけぼり…

核兵器のときのように

原理的な意味で核戦争なのかも🤔

ゆったりと国際ルールを決めることもできない危機にあるそうです。

誰が制御しているのかの問いに対する答えは

見る人に問われていて

 崖の上のポニョ

絶対無の場所ですね。

この分析の是非を

AIユングにお願いしてみたいものです。

傷の音 聴きとる手より 道ひらく@ウィトゲンシュタインのPTSD現象学

ウィトゲンシュタインは

ケンブリッジ大学教授となり

言語哲学分析哲学科学哲学に強い影響を与えた人物ですが

4歳になるまで言葉を話すことができず

今の日本なら発達障害の診断ですが

言葉が遅かったからこその自己実現?

その後も

重度の吃音症を抱えていたので

あいだ(人間関係)の病

両親の考えで

小学校に通いませんでしたが

兄弟も多く

8人兄弟の末っ子(兄が4人、姉が3人)

刺激に満ちた家庭環境で育ち

明るい意味では

ロダンやハイネなど

多くのハイカルチャーの名士たちを招き

庇護を受けたクリムトは

姉マルガレーテの肖像画を描いた。

暗い意味では

うつ病自殺の傾向がある家系

4人の兄のうちパウルを除く3人が自殺しており

本人もつねに自殺への衝動と戦っていた。

音楽に傾倒したこともあって

最もラディカルな特徴は「メタ哲学」です。

哲学的著作には

しばしば音楽の例や隠喩が用いられる。

木村敏系

のちに学校に通うようになり

同じ学校の生徒にはアドルフ・ヒトラーがいた

信仰を喪失

ユングなども

宗教的な問いから研究へ

姉から

哲学書を読むように勧められ

学びたいと思った人物のいる大学に進学しようとすると

その人は自殺してしまい

いわゆる哲学の道に入ることを

セルフ(自己)が回避?

航空工学への興味から

宮崎駿系

機械工学や数学への関心を経て

哲学に進むようになるも

この頃には

— 遣唐使時代の空海と似たエピソード

哲学について専門の教育をまったく受けていなかったのに

ラッセルは

少し話しただけで

即座にウィトゲンシュタインの類い稀な才能を見抜いた。

但し

見知らぬドイツ人が現れた。頑固でひねくれているが、馬鹿ではないと思う。

学界では学問にならないと感じ

学者たちに囲まれたなかでは

最も根源的な問題に到達できない。

ノルウェーの山小屋に隠遁

研究に没頭する日を送ったけれども

学位論文が書けず

先行研究の引用がないなど

論文の規定を満たさない。

学位も友人も失い

才能を見込んで間にはいってくれた友人に

「どうしてそんなくだらない規定があるのか」
「地獄へ落ちたほうがマシだ」
「さもなければあなたが地獄へ落ちろ」と罵倒

取り戻すのは15年後

兄が重傷を負ってピアニスト生命を絶たれたと聞いては

共感能力があるのかないのか微妙な人物

「こんなときに哲学がなんの役に立つのか」との疑問に陥り

しばしば自殺を考え

トルストイによる福音書の解説書や

ニーチェの『アンチ・キリスト』などに救われたりしながら

信仰の念を強める。

小学校の教師や

庭師をしたり

絶望の淵にあって

修道僧になって世捨て人として生きようとしたが

動機としては不純であると諭された。

家を建てたりして

建築業者泣かせの無理な注文

ユングも晩年に塔を建てながら瞑想した。

精神を回復させる人生だったようです。

当事者研究@臨床心理学

学界となじまず

「いま何時ですか?」と聞かれれば答えやすいが

「時間とは何ですか?」との問いは

— 事実上の答えがない。

問題たりえておらず

哲学者がかかずらうべきほどの問題ではないから

そういう議論は意味がないと拒絶

生前に出版された著書も少ないのですが

学問的体裁が整いにくい…

生き方に浮かび上がる哲学が支持されているのではないでしょうか。

例えば

小学校の教師時代は

教師というより

本人が

不適応を起こしたまま

— 暴力教師

子どもたちのこころの傷から

深く学んでいます。

紙の上の知識よりも

子供たちが自分で好奇心をもって見聞を広めることを重視

理科の授業では

猫の骸骨を生徒と集めて骨格標本を作ったり👀

夜に集まって天体観測をしたり

顕微鏡で道端の植物を観察させたり

銅鉱山や印刷所、あるいは古い建築様式をもつ建築物のある

ウィーンなどへの社会科見学もたびたび行なった。

無骨なまでに

きわめて厳格で

覚えの悪い生徒への体罰をしばしば行なう

トラブルメーカーで

狂人扱いののち辞職に追い込まれる。

現象学的に生きたようです。

ある女の子に対し

いつものように体罰を加え

字を誤った理由を問いただしたが

黙ったままなので

「病気か」と尋ねると

女の子は「はい」と言った。

ようやく現象のなんたるかに気づき

女の子に涙を流して許しを請うた

— アジャセ王みたい…

自己治癒の生涯から得た

哲学者は

哲学的命題を扱う職人であるよりは

むしろ苦悩や混乱を解決するセラピストのようであるべきなのだ」との

メタ哲学は

現代臨床心理学が取り入れるべき

現象学ではないでしょうか。

田辺元のみた

フッサールの現象学じゃなくて

虚に満ちて 老子の象は 息を継ぐ@伊藤若冲白象のPTSD哲学

あなたもスタンプをGETしよう

本日は

1729年

日本に初めて象が来た日だそうです。

『ぞうさん』♪

『かわいそうな象』など

象にも1つのイメージがあります。

集合的無意識

星の王子さまとなると

こんなところに象を観ます。

普通には見えないものが観えると

気になって仕方なくなるんですね。

心理学でも

反転図のなかにそういうものがあることを教えています。

なかなか見えないけど

一度見えると

そのようにしか見えなくなる。

— 以前の見方は消えてしまう。

—— トラウマ理論もそういう類のものでは⁈

若冲の象も独特です。

こういう風に見ていたということでしょう。

— 一面的ではないけど👇まずは正面からのイメージ

他の動物と違う存在です。

かと思えば横向きのもあって

海ではクジラに相当するようです。

海の王者と陸の王者とがエールを交換

勢いよく潮を吹く鯨と

うずくまって鼻を高々とあげた象

白と黒

優しそうな目の

怒ると恐ろしい…

象の背中を

崖から伸びた牡丹の花が撫でているそうで

華厳経が入ってますね。

お釈迦さまが生まれるまえに

お母さんは白象の夢を観た。

普賢菩薩の乗り物も白象で

仏法を護る霊獣のひとつ

最初の象は

象と言えば鼻なのに

外隈で表された輪郭線のない鼻は垂れていて

己を空しくする

自己否定

この絵と対応しているのでしょうか。

内実のパワフルさを示す。

老いて童心をますます強めた若冲は

80歳になって描いた絵

星の王子さまと仲良しでしょうが

日本人なので

表現の原理は

陰陽五行説と仏教の習合です。

禅僧のような人生なので

若冲は

相国寺からもらった居士号

— 禅宗

絵を描くこと以外

世間の雑事には全く興味を示さなかった

謎の人物

哲学的となりました。

黒鯨もまた

若冲なのでした。

老子』45章の「大盈若沖(沖は「虚しい、空っぽ」)」

意味は「大いに充実しているものは☯空っぽのようにみえる」

毒杯や 影より深き 問いひとつ  @PTSDの現象学的方法

あなたもスタンプをGETしよう

本日は

ソクラテスが毒杯をあおって刑死した日だそうです。

ソクラテスの妻が悪妻と言われていることから

「悪妻の日」とも

哲学は命懸けであり

崖の上のポニョ @如人千尺懸崖上樹

生の哲学

苦難が哲学者をつくるということですね。

悪妻が哲学者をつくる

トラウマケアは

哲学的忍耐力を要求する。

フッサールの亡くなった日でもありますが

黎明期の本邦臨床心理学が

臨床心理学にも

さまざまな立場があるが

あらゆる学派に共通する基本原理の1つとして

重視したのは

フッサールの現象学的方法でした。

事象そのものへ

いかなる前提や先入観形而上学的独断にも囚われずに

現象そのものを把握して記述する方法を求める。

— 心理療法の傾聴の方法論 として採用

当時は

心理主義批判の時代で

心理学そのものがいけないというのではなくて

— まだ黎明期でどういう学問かまだあいまい

ヴントらの心理学についてのもの

 

ユング

— 心理主義とのそしりを免れない… と予防線

西田幾多郎

— 心理主義的に書いてしまっていた…とプチ反省

— 心理学者からの批判を真摯に受けて自覚についてさらに深めた。

—— 批判が正鵠を得ていたという意味でもないが自己否定即肯定の人なので

 

フッサールもその洗礼を受けて

批判され

出版した著書の第二巻が断念され未完となった後

心理学主義に徹底した批判を加えるようになると

心理学主義とは

心理学という「一つの理論」を前提とする立場

あらゆる対象の基礎を

心理的な過程に基づけようとする試みでは

現象そのものを直接把握することができないとフッサールは考えた。

対象に関するすべての判断や理論を禁止する(エポケー)ことで

意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。

好評を博し

若手心理学者たちがこれを読んで

フッサールのもとへ走り

「ミュンヘン現象学派」が形成されました。

決裂することになるが

— フロイトとユングのように

かのハイデッガーが助手となるほどの勢力

次第に洗練されてゆき

純粋意識まで論じられるようになったのですが

西田幾多郎は

フッサールの現象学ではまだ不徹底と断じていました。

フッサールの現象学の世界も一種の直観的世界ではあるが、此世界が果たして氏
の云ふ如く純粋記述の世界であろうか。〔……〕余は氏の如き方法によつて、直接
流転の世界に於ける関係を表すは不可能であると思う。フッサールは分析の精細な
るに似ず、深さにおいて欠けていると思ふ。フッサールは分析の精細なるに似ず、
深さに於て欠けて居ると思ふ。余は現今哲学の重要なる問題は此処にあると思う
(旧1.366)。

フッサールはそれをどう考えたのかということですが

日本からの留学生に

ドイツに留学していた田辺元

その思想を説明させながら

『自覚に於ける直観と反省』についてですが根本は1つでしょう。

現象そのものに向き合わず

理論に遁走してしまう傾向があり

ちっとも現象学的でなかったのでは…と想像してしまいます。

 

さて

Wikipediaには

心理主義は今日ではあまり支持されてはいないと

書かれていますが

我が国の心理学や精神医学は

心理主義の権化です。

発達障害が流行しているという

— 心理療法じゃなくて薬物療法が有効

大前提に立って

クライエントを見てはいけない…のに

擁護派の

「新しい論理学はそれなしにはやっていけない」という

立場に属しているのでしょうか。

数秘ゆれ 夢の井戸より 光立つ @パウリの物理とユング心理学の共時性

 

ヴォルフガング・エルンスト・パウリ

アインシュタインに推薦され

ノーベル物理学賞を受賞した物理学者ですが

精神不調に悩んだことから

みんなここから

 

カトリック教会を脱退してまで

— 離婚予定だったのか🤔宗派が違っていたのか…

結婚したのに

1年足らずで破綻

まもなく

— ニュートリノの仮説を提唱する直前でもあった。

深刻な精神的不調に悩まされた。

ご近所の

チューリッヒ近郊

ユングに遭いました。

分析という

心理学というより

— 知識

魂の学びの過程に入る。

— 弁証学

さすがは物理学者で

モノとこころ

色即是空 の哲学

すぐに自分の「元型夢」の解釈を始めるようになり

難解とされるユングの最高の生徒となりつつ

ほどなくして

ユング理論の認識論について科学的な批評を加え

直す者と直される者

教える者と教えられる者の

二元論ではない。

ユングの思想

特にシンクロニシティの概念についての

説明を与えるようにまで昇華すると

二人が行なった議論が

— 共同研究

パウリ=ユング書簡として記録され

Atom and Archetype(『原子と元型』)というタイトルで出版されている。

精神的不調は

いつのまにか消えており

社会的には再婚しています。

子どもは生まれなかったので

業界では

ユング(のような人)に会う前後に離婚するとか

— 共時性

子どもを残すか業績を残すかだとまことしやかに語られる。

 

パウリは

実験が下手で

その立場で一番大事なことが苦手とは

陰陽論的に

よくできています。

よく実験装置を壊していたので

無意識が

物理だけに集中するのではなく

心理にも親和性をもたせようと導いたのでしょう。

パウリが実験装置の近くにいるだけで

装置が壊れるという伝説が広がり

この奇妙な能力に対して

パウリ効果という名称がつけられていたそうで

まさに共時性の時間を生き

ユダヤ系のため

一時アメリカに亡命するなどあって

すい臓がんを発病し

お見舞いに来た助手に

「部屋の番号を見たかね?」

研究のなかに

【場所】病室の番号は 137

【自覚】生涯を通じて

微細構造定数

1/137 に近い値を持つのは何故かと

考え続けてきた。

58歳で没しました。

ユングとの共著のみならず

モノとこころの弁証学

パウリは論文より手紙のやりとりを好みながら

コピーや回覧で伝わっている。

現代化学の基礎となっている

パウリの排他律などを発見しました。

完璧主義なので

研究者は

「パウリのご裁可(sanction)を得る」

自己否定も徹底していて

自分が欠点を見つけた理論は

どんなものでも ganz falsch(完全な間違い)とレッテルを貼って酷評

しかも

[この論文は、間違ってすらいない

(正しいとか間違えているとかという次元にさえ至っていない)]」

AI時代を予測した

ジョークまで生み出したのは

「パウリは死後、天国で神への拝謁を許される機会を得た。パウリは神に、なぜ微細構造定数は 1/137.036… という値をとるのかと尋ねた。神はうなずいて黒板に向かい、すさまじい勢いで数式を書き殴り始めた。パウリは非常に満足げに神の様子を眺めていたが、しばらくして突然頭を激しく振り始め言った「全然まちがっている」…。」

ユング的ですが

元型のようなイメージが先行しているという見解の源流は

プラトンの思想からで

もともととても哲学的なのでした。

世の東西を問わず古くから

多様性を超越して

一体性を体験しようとする神秘主義があった。

西洋哲学一辺倒の時代に

ユングとともに

この二極が相補的であることを認める必要があるとして

「ケプラーの科学的理論構築に与えた元型的イデアの影響」を

記しています。

友人の物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクの著書

『限界を超えて』の第3章に要約されている

体験したデータから自然法則が引き出せるという経験主義ではなく

もっと純粋経験的に

ユングの元型の論の中に見出そうとしていたわけです。

蛇眠り 忘れられし理 今ぞ舞う @PTSDの象徴論

本日は

吉野裕子先生の命日です。

吉野裕子先生のお仕事は

日本のさまざまな習俗のなかに

もっぱら陰陽五行説を読み解くという

古代中国哲学

日本文化の解体作業でした。

日本人のこころを理解するには

ユング心理学じゃなくて

吉野ワールドが必要なのでした。

ユングも現在のキリスト教ではなく

土着のグノーシスなどに注目したものですが

日本人の場合も

仏教に習合されるまえの

蛇信仰や

蛇信仰は世界中にあった。

陰陽五行説から読み解きます。

日本舞踊をされていて

扇は不思議なものだと興味をもたれたのが

ご研究のはじまりでした。

50歳くらいから

在野の研究者として

たくさんの本を書かれた。

ひょうたん同様

空の象徴みたいなものですね。

『君たちはどう生きるか』の

なまずや石の謎も

陰陽五行説からでしょう。

本邦ユング派は

最近のクライエントは

象徴がつかえないので

PTSDならば

— 後天的

治ろうとするから

象徴が動く。

発達障害だと言います。

発達障害は先天的な脳の個体差

ジブリは今も

神経症と不安の時代と捉えて

— PTSDですね。

エールを送っていますよ。