本日は
ルターが
宗教改革の中心人物
ローマ・カトリック教会からの分離派である
プロテスタントを誕生させた。
結婚し
聖職者の結婚の前例をつくった日です。
独身主義を課していた。
1525年6月13日、マルティン・ルターが、ローマ・カトリック教会が聖職者や修道女に課した独身主義に反して元修道女のカタリナと結婚。この婚姻は、キリスト教の歴史と家庭観を大きく変える転換点となりました。 pic.twitter.com/YTLQA3mFuA
— 久延毘古皇紀ニ六八六年令和8年水無月夏越しの大祓 (@amtr1117) June 12, 2026
優秀な父親のもとで
一代にして身を起こし
上昇志向が強い。
厳格に育てられ
子どもたちにも
さらに上を目指すよう常に要求
— 今の時代なら児童虐待だったのかも🤔
ルターの神のイメージは
— ユングもここからこころを病んだ。
冷酷で厳格なものとなった。
法律家になるべく大学入学
哲学を学び
成績優秀で父の期待するエリート・コースに乗るかに見えましたが
ロースクールに入学した年に
死ぬような思いをし
草原で激しい雷雨にあい
落雷の恐怖に死すら予感
「聖アンナ、助けてください。修道士になりますから!」と叫んだ。
— この信仰を試された生涯
—— 信仰が義で神の思し召しという考え方
出家するように
両親は反対したが
父の同意すら得ずに大学を離れ
修道士に転進しました。
しかし
弱く小さな人間である自分が
ミサを通じて
巨大な神の前に直接立っていることに恐れすら覚えるようになり
これではどれだけ熱心に修道生活を送り祈りを捧げても
心の平安が得られないと感じ
聴罪司祭の励ましも
ルターの恐れを取り除くことはできなかった。
神を理性で捉えることは困難であるという理解に達します。
ここまでユングに酷似
哲学や
聖書注解の講座を受けもちながら
パウロの

モチーフはたくさん出てくる。
『ローマの信徒への手紙』における「神の義」の思想に出逢い
ようやく心の平安を得ることができ
この新しい「光」によって
福音と聖書を読み直し
人間の義化に関しての理解と自信を増していきました。


同時に
一般の人々の苦悩も同様と知っていたので
大学で教える傍ら
ルターは、信徒たちもまた罪と義化の苦悩を抱えていることをよく知っていた。そんなルターにとって当時、盛んにドイツ国内で販売が行われていた贖宥状の問題は見過ごすことができないように感じられた。
「聖書に書かれていないことは認めることができない」という
入信時から聖書を深く読みこんでいた。
信条のルターは
現在日本の宗教二世の献金のような制度に反対


ドイツ国内で大々的に贖宥状の販売が行われていた。
人々は説教師の周りに群がり
「人間が善行によって義となる」という発想を
証明しているかのようであった。
逮捕を恐れ
逃亡したりしながら自説を曲げず
破門されても
この時期から
父親の姓であった「ルダー(Luder)」を
「ルター(Luther)」と改めた。
聖書に書かれていないことに反対し
カトリック教会で
伝統として聖職者の独身が守られてきた。
数多くの修道者たちに
一般の人に対してバレンタインが行ったように
結婚を斡旋するようになりました。
自身も
41歳の時に15歳年下の元修道女と結婚し
三男三女をもうけ
ルターが暮らしていた修道院で
円満な家庭を築いた。
ルター派の総称
プロテスタントは抗議者ですね。
今のキリスト教にこの気概はあるのでしょうか。
さすがにこの生涯は
さまざまな病気に悩まされたもので
チフスや傷からの感染症と免疫力は低かったようですが
なぜか
知識がなかったペストには罹患しませんでした。
精神症状としては…
睡眠不足や極度の緊張による頭痛・耳鳴り・便秘
— とくに長く悩まされた耳鳴りは教義と関連があるような🤔
てんかんを疑われるけいれん
— ドストエフスキー型か
お城に身柄を隠匿し聖書翻訳に取り組んでいた頃には
極度の孤独感と翻訳作業という精神的疲労で
よく効いたのは
結婚後の食事くらいだそうです。
手料理を喜んで食べることによって体重が増えたが
直接の死因は
冠動脈硬化症による心筋梗塞
心理療法の源流である
宗教でも
こころの病は
知識で治るものではないことを
証明してくれていましたね。









































