C.G,ユング」カテゴリーアーカイブ

宗の径 ユングの影と WE結ぶ Along the path of the sacred, Jung’s shadow joins the turning of WE.

 

本日は

1798年(寛政10年)

本居宣長の『古事記伝』全44巻が完成した日で

 

ユングのお誕生日です。

 

 

牧師の家に生まれて

宗教的不可解に苦しんだ

ユングが考案した心理学は

今でも臨床心理学の最終貯蔵庫だけど

東洋やアフリカとの関係も触れはした。

古事記風に書き直される必要があります。

 

 

 

あなたもスタンプをGETしよう

妖怪学あたりから…⁈

 

 

本日は

WEターン鑑賞しておもしろかった🤭

百聞は一見に如かず

霧晴れて 場所と種の 声ひらく@田辺元の西田批判の今

 

 

 

二元論を手放すトキ:場所の統合としての日本的思索

Ⅰ 通り過ぎたあとに気づく変容

三日間、思索の森をさまよい、ふと気づいたことがある。 気がめいっていたはずなのに、その重さがいつのまにか消えていた。 まるで、霧の中を通り抜けて、振り返ったときに初めて「霧だった」とわかるような感覚だ。

臨床心理学では、こうした“通り過ぎたあとに気づく”瞬間がしばしば起こる。 クライエントが語る主訴の背後に、もっと深い層が静かに動いている。 その動きは、意識の表層ではなく、無意識の底で起こる—— そして、変化はいつも「気づいたときにはすでに起こっている」。

この構造を哲学の言葉で捉えようとすると、 西田幾多郎の「場所」という概念が静かに立ち上がってくる。

Ⅱ 西田幾多郎の『場所』という深層

場所とは、意識の働きを超えた“変容の場”である。 個人の経験と歴史の流れが、まだ分かれる前の状態で触れ合っている深層。 臨床で起こる変容が、しばしば“通り過ぎたあとに気づく”形で現れるのは、 変化がこの深層の「場所」で起こるからだ。

場所は、 「個人の内面」でも 「社会の外側」でもなく、 その両方がまだ分かれる前の、もっと根源的なにある。

Ⅲ 場所の内部に潜む歴史の層

しかし、場所は純粋な内面だけではない。 そこには、

  • 家族の歴史
  • 文化の物語
  • 国家の神話
  • 社会の価値観

こうした“歴史的な層”が折り重なっている。

臨床でクライエントが語る物語の中には、 その人自身の経験だけでなく、 その人が属する共同体の歴史が、 しばしば無意識のかたちで流れ込んでいる。

西田はこの層を「場所の自己限定」として捉えたが、 その歴史的具体性を十分に展開したわけではなかった。

悲哀として表現された事例は深く理解されている。

Ⅳ 田辺元の『種』は場所の否定ではなく深まりである

そこで田辺元は、 この歴史的・共同体的な層を「種」として前面に押し出した。

種とは、 個人が属する民族・文化・国家の層であり、 その人の行動や価値観を形づくる“歴史の力”である。

田辺は、西田の場所があまりに形而上学的で、 歴史の具体性が十分に語られていないと感じた。 しかし、種は場所の外側にある対立概念ではない。

むしろ、 場所の内部に潜在していた歴史的層を、 田辺があえて強調したもの と読むことができる。

場所が「深層の統合」であるなら、 種はその統合の中に含まれる「歴史の力」である。

Ⅴ 国民国家論と共同体論の“表層性”

今年の大会で提示された 「田辺元の『種の論理』と尾高朝雄の『類の論理』  ―日本における国民国家論の意義と限界―」 という発表は、 学術的意義を認めつつも、 私がいま立っている深層の地点から見ると、 種と類の本来の哲学的射程—— すなわち、 個人の精神と歴史の力がまだ分かれる前の層 には届いていないように感じられた。

国民国家論は、 制度・政策・社会構造といった「表層」を扱う。 しかし、場所と種が扱うのは、 その表層を生み出すもっと深い精神的・歴史的構造である。

Ⅵ 深層に立つ者だけが感じる構造的なズレ

WEターンの議論も、 共同体の再構築という社会的課題を扱うがゆえに、 場所と種の深層構造とは異なるレベルに位置づけられる。

これは批判ではなく、 議論が立っている「場所」の違い」 として理解するべきものだろう。

哲学が扱うべき深層は、 制度や政策のレベルではなく、 個人の精神が歴史と触れ合う根源的な場である。

その場では、 場所と種は対立するのではなく、 ひとつの深い構造の異なる側面として響き合う。

Ⅶ 場所と種の統合としての日本的思索の可能性

臨床心理学の事例が、 個人の語りから普遍的構造を浮かび上がらせるように、 西田と田辺の思想も、 その深層において互いを照らし合う。

私はこの三日間の思索の中で、 「どちらが正しいか」という問いを手放し、 場所と種の両方を抱える地点へと静かに移動した。

その地点から見える風景は、 これまでとはまったく異なるものである。

Ⅷ 今年の大会を深層から見守るということ

今年の大会を見守るにあたり、 私はこの深層の場所から、 西田哲学の現在地と未来を静かに観察したいと思う。

そこでは、 制度や共同体の議論を超えた、 精神の変容と歴史の力の交差点が、 新たな思索の可能性として開かれている。

西田が嘆いたこの声に耳を澄ますなら、 いま私たちが向かうべき場所は、 もはや枝葉の論争ではなく、 その声が指し示した根源の場なのだと感じる。

見えぬ処 心ひそかに 息を継ぐ @公認心理士化する西田哲学

 

心の広がりをめぐって──河合隼雄西田幾多郎が眺めていたもの

河合隼雄の誕生日にあたり、あらためて彼の仕事を振り返ると、日本の臨床心理学がいかに“制度として”形を与えられてきたかが見えてくる。
心理学を学ぶ場がほとんど存在しなかった時代に、臨床心理士という資格をつくり、国家資格化の道筋を描こうとした。その努力は、彼の死後、公認心理師という形で結実した。

しかし同時に、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流に巻き込まれつつある。
この問題は、実は西田幾多郎が『善の研究』で自ら反省したこととも響き合う。
ちょうど今週末、西田哲学会が開催される。
河合隼雄の誕生日と哲学会の時期が重なる今、臨床心理学と哲学が共有するこの問題を、あらためて考えてみたい。

1 河合隼雄の功績と、日本の臨床心理学が置かれていた状況

河合隼雄の仕事を振り返るとき、まず驚かされるのは、彼が活動を始めた当時の日本には、臨床心理学を体系的に学ぶ場がほとんど存在しなかったという事実である。心理学といえば、大学では実験心理学が中心であり、哲学や教育学の一部として扱われることが多かった。西田幾多郎が東京大学で学んだ心理学も、まさにこの「実験心理学」の時代である。

そうした状況のなかで、河合隼雄は臨床心理学を「学問として」「職能として」成立させるための基盤づくりに尽力した。ユング研究所での研鑽を経て、日本にも精神分析や分析心理学のような、しっかりとした訓練体系を持つ専門職を根づかせたいと考えたのである。

そのために、まず民間資格として臨床心理士制度を立ち上げた。これは、制度としては暫定的なものであったが、当時の日本においては画期的な試みであり、臨床心理学を「専門職」として社会に認知させる大きな役割を果たした。河合自身は、いずれ国家資格として整備されるべきだと考えていたが、民間資格を国家資格に格上げする制度は存在せず、道筋は容易ではなかった。

それでも、臨床心理士制度は日本の臨床心理学の発展に大きく寄与し、河合隼雄の死後、公認心理師という国家資格が誕生することになる。制度としての形は変わったものの、臨床心理学を社会に根づかせるという河合の構想は、一定の形で実現したと言えるだろう。

しかし、ここで一つの問いが生まれる。 河合隼雄が目指した臨床心理学の姿と、現在の公認心理師制度が示す方向性は、本当に同じものなのだろうか。 そして、臨床心理学が制度化される過程で、私たちは何を得て、何を見失ったのだろうか。

この問いは、臨床心理学の制度史を振り返るだけではなく、哲学側からの「心理主義」への警鐘とも深く関わっている。

 

2 心理主義の問題──宗教・心理療法・哲学の境界が曖昧になる時代

臨床心理学の制度が整えられ、専門職として社会的地位を得ていく過程は、確かに大きな前進であった。しかし、その一方で、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流の中に置かれるようになった。心理主義とは、宗教・倫理・哲学・社会の問題までもが、すべて「個人の内面の問題」として処理されてしまう傾向を指す。

この問題は、宗教哲学の側からも警鐘が鳴らされている。 たとえば、宗教が本来持っていた共同体的・儀礼的・歴史的な側面が弱まり、個人の内面へと収縮していく現象が指摘されている。宗教が「心の癒し」へと変質し、精神科医や臨床心理士が、かつて宗教者が担っていた役割を代替するような状況が生まれているというのである。

心理療法の出自が宗教と深く関わっていることはよく知られている。 しかし、現代の心理療法は、宗教的な由来を否定するかのように、個人の内面の問題としてのみ心を扱おうとする。宗教と心理療法が互いに近づきながら☯同時に互いの由来を否定し合うという、奇妙なねじれが生じている。

この心理主義の時代において、臨床心理学は「心の専門家」として社会的期待を集める一方で、心を取り巻く文化的・歴史的・共同体的な文脈を見失いかねない危うさを抱えている。 心を個人の内側だけに閉じ込めてしまうと、心が本来持っている広がり──身体、歴史、共同体、宗教、文化──が見えなくなる。

この問題は、臨床心理学だけの問題ではない。 哲学の側にも、同じ危うさが存在している。

3 西田哲学との共通問題──心理主義への反省と、心理学との接点

臨床心理学が心理主義の潮流に巻き込まれているという問題は、実は哲学の側にも同じように存在している。西田幾多郎は『善の研究』を著した後、自らの思索が「心理主義に傾いていた」と反省している。 心の働きを哲学的に捉えようとしたとき、どうしても「個人の内面」に焦点が集まりすぎてしまう危険がある。その危険を、西田は早い段階で自覚していた。

西田が参照していた当時の心理学は、実験心理学が中心であり、心を科学的に測定しようとする試みが主流であった。西田はその内容を紹介し、若干の意見を加えるにとどめているが、心理学を哲学の基礎として積極的に取り込むことはしなかった。 しかし、心理学を完全に拒絶したわけでもない。むしろ、西田は心理学が扱う「感官」や「意識の働き」に強い関心を寄せていた。

近年、哲学館で修復が進められている西田の心理学ノートを読むと、彼が眺めていた心理学の全体像が少しずつ明らかになってきた。そこには、個人的意識を超えて、国家や文明の差異までも含む「人類それ自体(humanity itself)」の相を捉えようとする記述がある。 これは、ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代の空気を感じさせる。西田が「歴史的身体」と呼んだものと、ユングの集合的無意識のモデルは、異なる言語でありながら、どこかで響き合っているように思われる。

道元が譬え話として「古鏡」「火炉」「無縫塔」などのイメージを用いて、言語化しがたい感官の働きを示そうとしたように、西田もまた、個人の心を超えた広がりを捉えようとしていた。 その広がりは、心理主義が心を個人の内側に閉じ込めてしまうとき、最も見失われやすい部分である。

西田哲学会でも、近年は西田の思想をより深く理解するために、心理学との関係を視野に入れる試みが増えている。西田が生きた時代の心理学を丁寧に読み直し、哲学と心理学の接点を探る動きがある。 しかし、文献を並べて表面的に一致する部分を探すだけでは、西田の思索の内側には届かない。 西田と同じ時代に生き、ほぼ同じ問題を見つめていたユングの心理学を手がかりにすることで、初めて西田の「心の広がり」が立体的に理解できるのではないかと私は考えている。

臨床心理学と西田哲学は、どちらも「心」を扱う学問でありながら、心理主義に傾くと実態を見失うという共通の危うさを抱えている。 その危うさを乗り越えるためには、心を個人の内側だけに閉じ込めず、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で捉え直す必要がある。

4 ユングとの同時代性──心の“広がり”を取り戻すために

西田幾多郎とユングは、互いに直接の交流があったわけではない。しかし、彼らが生きた時代の空気には、共通する問題意識があったように思われる。 それは、心を個人の内側だけに閉じ込めず、歴史・文化・共同体・宗教・身体といった広がりの中で捉え直そうとする試みである。

ユングは、個人的無意識の背後に、民族や文明の差異をも含む「集合的無意識」を構想した。 西田は、「歴史的身体」という概念を通して、個人の心が歴史的・文化的な文脈の中で形成されることを示そうとした。 両者は異なる言語を用いながら、心の構造を“個人の内側”に限定しないという点で、深い共通性を持っている。

心理主義が心を内面へと収縮させるとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 心が「個人の感情や認知の問題」に矮小化されると、心が本来持っている歴史的・文化的・宗教的な層が切り落とされてしまう。 その結果、心はかえって理解しにくくなる。 心を狭く捉えるほど、心の実態は遠ざかるのである。

臨床心理学が制度化され、専門職として確立されることは重要である。しかし、制度が整うほど、心が「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として扱われやすくなる危険もある。 哲学の側でも、心を論理や概念の枠組みで捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危うさがある。

だからこそ、今あらためて、西田とユングが見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。 心は、個人の内側だけに存在するのではなく、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった層の中で生きている。 その広がりを取り戻すことが、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵になる。

西田哲学会が心理学との関係を再評価し始めていることは、こうした広がりを取り戻すための重要な一歩である。 臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。

5 心理主義を超えるために──臨床心理学と哲学が見失わないための視点

河合隼雄が臨床心理学の制度化に尽力したこと、そして西田幾多郎が心理主義への傾きを自ら反省したことは、いずれも「心をどう捉えるか」という根本的な問いに向き合った結果である。 臨床心理学と哲学は、異なる方法を用いながら、同じ問いの周囲を歩いてきたと言える。

心理主義が心を個人の内側へと収縮させるとき、心の実態はかえって見えなくなる。 心は、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で生きている。 その広がりを切り落としてしまうと、心は「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として矮小化され、臨床心理学も哲学も、本来の対象を見失う危険がある。

その危うさを乗り越えるためには、心を広い文脈の中で捉え直す視点が必要である。 ここで、河合隼雄と西田幾多郎の思索が、静かに響き合う。

二人に直接の交流はなかった。 しかし、彼らが眺めていたもの──心の構造の広がり、個人を超えた歴史的・文化的な層、宗教的な深み──は、驚くほど似ている。 ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代に、西田は「歴史的身体」という概念を通して、心が個人の内側だけに閉じないことを示そうとした。

臨床心理学と哲学が心理主義に傾くとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 だからこそ、今あらためて、河合隼雄と西田幾多郎が見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。

臨床心理学は、制度として整備されるほど、心を技法や測定の対象として扱いやすくなる。 哲学は、概念や論理の枠組みで心を捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危険がある。 どちらも、心理主義の時代には、心の実態を見失いやすい。

しかし、臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。 河合隼雄の構想と西田の反省は、そのための静かな道標となる。

心は、個人の内側だけにあるのではない。 心は、世界の広がりの中で生きている。 その広がりを取り戻すことこそ、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵となる。

無骨より 学の灯立つ 明治風 @宇井伯寿と西田幾多郎

 

無我は

批判者の解釈に沿うと

霊魂は存在しないという意味

お釈迦さま以来信じられてきた心理学です。

幸福の科学系だから

大川隆法の復活を信じる。

邪見とおっしゃるのですね。

そして

前任者がオカルトっぽかっただけで

宇井伯寿はオカルト系じゃないです。

そしてオカルトは悪くない。

— 井上円了とかユングとか

—— 無理に科学にしようとしたフロイトこそ批判される。

文献学者ですが

既にあるものを研究

中学校時代に

ストライキで退校になってから

別の中学校を経て

東大に進んだのは

本科

西田幾多郎とよく似て

東大選科なので塩対応され苦学

ストイックです。

どちらも明治生まれで

愛知と石川も近いですね。

大拙もいた。

似ているように見える京都は

案外、合わなかったそうです。

そういう目に見えるものじゃなくて

人格に影響を与える場所というものがありそうです。

若いトキの気質とか

三つ子の魂百までみたいな

 

自我亡き後ですが

生まれて死ぬまでの

仮の「我」(五蘊の集合体)は日常的に存在

Wikipediaによると

  • 長男:格生(ただお) – 農学博士。北海道大学農学部教授
  • 次男:信生(のぶお) – 理学博士。群馬大学内分泌研究所教授
  • 三男:昌生(まさお) – 獣医師
  • 四男:治生(はるお) – 理学博士。広島大学理学部教授
  • 五男:理生(みちお) – 薬理学者。親族としてみた宇井伯壽の回想を記している。
  • ほかに夭逝した女子が一人いる

生命力が強そうなお名前シリーズで

最後の女の子は西田風ですね。

哲学の始まりは人生の悲哀

— こころのケアから

心霊上の事実として記録される。

 

 

方位磁石 魂の北を 指し続け@アインシュタイン天才脳のつくられかた

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アインシュタインは

高IQの天才として知られているわけですが

IQテストの結果は残されていないが

脳組織の研究により

— 本人が反対していたのにどうしても知りたかった?

160〜190とされる。

 

言葉を話しはじめるのが遅く

3~5歳ごろまではほとんど話さなかった。

学校になじめず

内向的で

体を動かすことや

言葉でコミュニケーションを取ることは苦手

苦労したそうです。

 

言葉が遅いのを

理解しているが

言葉に乗せて表現することが困難

両親は心配しつつも

よく観察していたようで

エジソンの母親のように

父親が与えた方位磁石と

針の動きを見て科学に興味を持った。

— 宇宙を直観?

母親が習わせたバイオリンが

学校での成績が振るわず

勉強が向いていないのではないかと考えた。

最初は興味がなかったが

モーツァルトを聴いて

— モーツァルトを分析すると何かわかるかもしれないと思う。

自分も弾いてみたいと思うと猛練習しだした。

— 内向性の強い子どもあるある

天才を開花させる素地となったようです。

興味のある分野は突き詰めて考える傾向があり

独学で難解な学問を学ぶなど

将来有名な物理学者となる片りんを見せていた。

今の時代ならば

言語発達のアンバランスさが異常視されるのでしょうが

発達障害の時代

脳の働きはよく

脳の構造自体に特筆すべき点はなかったが

「グリア細胞」が多かった。

ニューロン以外の神経系細胞で

神経細胞を支持しつつ

栄養供給・情報伝達の調節・免疫防御などを担う細胞群

野生の思考が優位だったようで

レヴィ=ストロース

思考のレヴェルに

— 頭の中で扱っている情報の抽象度や複雑さが高すぎて

言語という道具の側が追いついていない

— 年齢相応の語彙や文法では「うまく表現できない」状態

未熟というより

負荷がかかっている状態です。

両親は

感覚モードとして

視覚イメージとして考え

— 方位磁石

身体リズムとしてとらえる傾向を見抜いていた。

— ピアノよりバイオリン

—— 母親はピアニスト

ユングのタイプ論でも

思考と感覚は真逆の方向

イメージ優位の人が

意外にも

まずは数字に興味をもつことは多いのですが

 

アインシュタインも

河合隼雄とか

西田幾多郎とか

だんだんと哲学的思考になってゆき

思想についても

人類を宇宙に連れてゆきました。

相対性理論には

— @時間と空間

特殊相対性理論」と「一般相対性理論」とがある。

— 重力のある☯なし

—— 重力=時空の歪み

 

宗教のように

— おおもとの教え

応用されて

科学が分化発展したが

光に関する理論の方が功績らしく

— LEDライトや半導体技術で現実にも生かされている。

花とも融合

— 植物学者が発表した花粉の動きを数式化

熊楠の裏側?

華厳的曼荼羅世界

— 花を飾る =華厳

 

平和についても考え

友だちとともに

核兵器や戦争の廃絶を訴える呼びかけ

ユングも戦争の夢をみた

 

理論や理論が生まれた過程について言葉にもしました。

自己実現に関する秘密

言葉も残しています。

神はサイコロを振らない

失敗をしたことがない人間は挑戦をしたことがない人間である

6歳の子どもに説明できないようでは理解しているとはいえない

アインシュタインのようなひとなら

無名だったので

認められるのが遅れた。

批判されないと思うけど

もはや必要がなく

ありのままで

ロックスター☄なんてよばれないほうがよいですね。

 

光輪や 無意識の底 神は乗る @UFOとWEターンの現象学

あなたもスタンプをGETしよう

 

UFOは存在するか☯存在しないか…🤔といえば

存在するとユングは言いました。

ただし

架空に於いてです。

色即是空 空即是色

物理的実在の有無ではなく
集合的無意識に於いて

 

 

ユングがUFOを“集合無意識の象徴”と見たのも、このズレを示唆していたのかも。

ユングは

UFO(空飛ぶ円盤)を

集合無意識の象徴(またはその投影)として解釈しました。

『空飛ぶ円盤 ― 空に現れるものの現代神話』

Flying Saucers: A Modern

Myth of Things Seen in the Skies

人類の投影によると

冷戦期の

核の脅威や分裂した世界情勢という

不安定な時代背景があり

人々の意識が脅かされるなか

 

集合無意識が

補償的に「全体性」のイメージを空に投影した。

— 世界の自己表現

UFOの円盤状の形は

マンダラ(mandala)で

古代から普遍的に見られる

「全体性・統合・自己(Self)の象徴」

宇宙人ではなく

商業化されたエイリアン船イメージでも

神のイメージでもなく

モノとして

物とこころ

色即是空

乗り物としてのUFOや

神は乗り物を必要とする。

光などを観るのは

伝統的な宗教体験(特に神や天使の顕現)と共通

神(セルフ)のアーキタイプ(元型)と重なります。
救済と恐怖の☯両義性

時代は変わっても

人間というものは

原初的なイメージ(primordial images)を

宗教家でなくても自然に「観る」

根源的に宗教的な存在なのですね。

個人の経験を超え

人類共通の深層に刻まれたもの

さて

令和のUFOですが…🤔

哲の芽を 死の恐れより 育む地 @デカンショ節と西田哲学

 

河合 隼雄先生は

日本にユング心理学を輸入しながら

箱庭療法を広めた人です。

その中核は

日本文化に関することなので

元文化庁長官にして

文化功労者

その過程で

臨床心理学の黎明期で

学べる大学もほとんどなかったし

本屋さんにも数冊しか置いていなかった。

心理療法ができる場所も限られていた。

 

日本心理臨床学会を設立し

臨床心理士制度や

レヴェルの高い資格を目指していたので

— 医師会は猛反発

公認心理師には反対したと思われる。

— 医師の指導に従って働くよう法律で定められている。

スクールカウンセラー制度の確立に尽力しました。

その精神は現在皆無で

不登校も発達障害も増え

いじめ問題もひどくなり

子どもの死因第一が自殺という国になった。

臨床心理学者になるべくして生まれたような人物で

丹波篠山生まれ

死後に

公認心理師🐒(通称得て公)が

芝居(治療ゴッコという死亡遊戯)するようになるなど知る由もなく…

 

デカルト・カント・ショーペンハウエルで半年暮らし

あとの半年は夢見て暮らすのが

臨床心理学を学ぶ王道

死の恐怖に導かれ

幼少期より

について考えていて

死ぬと全く何もなくなってしまうということが耐え難い恐怖

目を閉じ耳をふさぎ

死がどのようなものか知ろうとし

そのように知ろうとしている自分がなくなってしまうのだと気づき

慄然とすることもあった。

~ アドラーやユングに近い召命

泣き虫なのに

兄の証言では

繊細で

どんぐりころころ…♪最後の行方を心配して

靴下がはけない・しもやけがかゆい・好きな先生が転任だと

 

理屈で相手を言いくるめることが得意で

人の心を見透かす能力を備えており

母親は「隼雄はこわい」とつぶやく

言い負かされたりすると

相手を涙目で☯睨み返すようなことがあったそうです。

一太極二陰陽に落ち着く。

 

日本嫌悪症に罹って

日本以外の文化にカブレた時期があるのは

そして最後は歴史的身体に戻る。

司馬遼太郎と似ています。

と思えば…

なにやら間違ったイメージも流布されているようで

司馬懿や竜馬と同じ

もはや伝説の人ですね。

 

 

 

河合先生が

こんなことをおっしゃるハズはないでしょう!

 

教育分析を受けるという発想が消えたのも大問題です。

だから大量にPTSDになって

当事者経由で専門家になる人が増えているのかな🤔

 

これはAI時代に気をつけるべきところですね。

 

河合先生は

箱庭は

非言語的な表現が多い日本人に向いていると考えていたそうです。

枠があることの大切さに気付いた

精神科医中井久夫

風景構成法を考案

山中康裕ら精神科医が箱庭療法を

病院に導入するようになった時代もあった…( = =) トオイメ目

木村敏問題と同じ憂き目に…

河合先生も宗教や哲学から学びなおすことが臨床心理学の未来の課題だと書いておられる。

想えば

2004に高松塚古墳の壁画がカビだらけになっている事実を

文化庁が隠蔽していたことが明らかになったショックで

文化庁長官だったので

国内各地で関係者に謝罪し

8月に公式謝罪会見

2006年8月脳梗塞の発作を起こして倒れ

植物人間で眠ったまま

2007年7月に亡くなったのも

臨床心理学の未来を予言したものだったのかもしれません。

せっかく革命を起こしたのに

その精神が失われている。

お能がお好きだったようだから

物の怪になって降りてきてほしい。

あなたもスタンプをGETしよう

影寄りて 手を差しのべて 傷を負う @自閉プライドデーの今

 

レインボーフラッグではないかと思えば

LGBTQ関連でした。

 

最近の傾向でしょうか。

実子誘拐やDV問題で家裁に革命を起こした

男女参画グループが黒幕?

ハコモノ施策の置き土産

— 建築用語の箱物つくっておきましょう。以上!みたいな🤔

—— 悪しき場所論@中身のない哲学

 

治療より存在を認めるという方向です。

大昔は差別されるか☯崇められるか

— 蛇信仰と同じ

フロイトはどちらも病気とし

DSMでは抗議により変更されたりしました。

— 圧力に弱い権威

どちらもひどい人権侵害は相当緩和され

LGBTQの方には

権利意識が強すぎるという見方はあれど

これはPTSD当事者あるある

LGBT理解増進法」の施行から3年となるのを前に

理解増進法に基づく初の「基本計画」が6月16日に閣議決定されたが

性的マイノリティーの当事者らはご不満

— 罰則のない理念法だからって(>_<)

楽しそうなコミュニティに

非LGBTQの人も受け入れられるなど

進化も見られます。

 

一方

自閉プライドデー(Autistic Pride Day)の方は

形骸化し

定着しなかったのではないでしょうか。

頭で考えた心理学はうまくいかない。

自閉症は本来

 

1940年代〜

 Leo Kannerや

Hans Aspergerらが

自閉症を記述した頃

医学的・精神医学的な「障害・疾患」として扱われました。

日本では

心理療法の文脈で

侵襲的ではない昔ながらの遊びの方法のなかで

河合隼雄や

木村敏は

天国で涙ぐんでいる⁈

扱われる古き良き時代がありました。

 

1990年代に入り

 インターネットの普及で

自閉症当事者同士が繋がり

Neurodiversity(神経多様性)運動が生まれ

脳の特性の違いとして

「人間の自然な多様性(biodiversityのようなもの)」として

肯定的に捉える視点が広がったのが

Autistic Pride Dayの始まりです。

 

しかし

打ち上げ花火のようなもので…

自閉症スペクトラムは

PTSDですが

百花繚乱

LGBTQにしても

流行のネガタイプが多く

ポーの一族みたいな

タレント型のLGBTQとは違い

人間関係が非常に困難なことを特徴とする人たちで

施設においても

職員の頭痛の種です。

 

この日を前に

スタッフが餓死してしまうという痛ましい事件が報道されたのは

LGBTQのひとたちのように

キラキラしていたことで命を落としたのです。

— 影の問題を忘れていませんか?

キラキラさせなくてはいけないとか

キラキラしてはいけないという表層的な議論ではありません。

おおもとに還って学びなおす必要があるのです。

 

意味のある偶然の一致ではないでしょうか。

共時性@ユング

存在が認められ活き活きとするためにも

個性化 自己実現

病理を否認しない

心理療法的立場に立ち返るべき時だと思うのです。

抗ふ身 病みても祈る 風の音@ルターに学ぶPTSD心理療法

本日は

ルター

宗教改革の中心人物

ローマ・カトリック教会からの分離派である

プロテスタントを誕生させた。

結婚し

聖職者の結婚の前例をつくった日です。

ローマ・カトリック教会

独身主義を課していた。

優秀な父親のもとで

一代にして身を起こし

上昇志向が強い。

厳格に育てられ

子どもたちにも

さらに上を目指すよう常に要求

— 今の時代なら児童虐待だったのかも🤔

ルターの神のイメージは

— ユングもここからこころを病んだ。

冷酷で厳格なものとなった。

法律家になるべく大学入学

哲学を学び

成績優秀で父の期待するエリート・コースに乗るかに見えましたが

ロースクールに入学した年に

死ぬような思いをし

草原で激しい雷雨にあい

落雷の恐怖に死すら予感

「聖アンナ、助けてください。修道士になりますから!」と叫んだ。

— この信仰を試された生涯

—— 信仰が義で神の思し召しという考え方

出家するように

両親は反対したが

父の同意すら得ずに大学を離れ

修道士に転進しました。

しかし

弱く小さな人間である自分が

ミサを通じて

巨大な神の前に直接立っていることに恐れすら覚えるようになり

これではどれだけ熱心に修道生活を送り祈りを捧げても

心の平安が得られないと感じ

聴罪司祭の励ましも

ルターの恐れを取り除くことはできなかった。

神を理性で捉えることは困難であるという理解に達します。

ここまでユングに酷似

哲学や

聖書注解の講座を受けもちながら

パウロ

モチーフはたくさん出てくる。

 

ローマの信徒への手紙』における「神の義」の思想に出逢い

ようやく心の平安を得ることができ

この新しい「光」によって

福音と聖書を読み直し

人間の義化に関しての理解と自信を増していきました。

同時に

一般の人々の苦悩も同様と知っていたので

大学で教える傍ら

司祭として信徒の告解を聞いていた。

ルターは、信徒たちもまた罪と義化の苦悩を抱えていることをよく知っていた。そんなルターにとって当時、盛んにドイツ国内で販売が行われていた贖宥状の問題は見過ごすことができないように感じられた。

聖書に書かれていないことは認めることができない」という

入信時から聖書を深く読みこんでいた。

信条のルターは

現在日本の宗教二世の献金のような制度に反対

ドイツ国内で大々的に贖宥状の販売が行われていた。

人々は説教師の周りに群がり

「人間が善行によって義となる」という発想を

証明しているかのようであった。

逮捕を恐れ

逃亡したりしながら自説を曲げず

破門されても

この時期から

父親の姓であった「ルダー(Luder)」を

「ルター(Luther)」と改めた。

聖書に書かれていないことに反対し

カトリック教会で

伝統として聖職者の独身が守られてきた。

数多くの修道者たちに

一般の人に対してバレンタインが行ったように

結婚を斡旋するようになりました。

自身も

41歳の時に15歳年下の元修道女と結婚し

三男三女をもうけ

ルターが暮らしていた修道院で

円満な家庭を築いた。

 

ルター派の総称

プロテスタントは抗議者ですね。

今のキリスト教にこの気概はあるのでしょうか。

 

さすがにこの生涯は

さまざまな病気に悩まされたもので

チフスや傷からの感染症と免疫力は低かったようですが

なぜか

知識がなかったペストには罹患しませんでした。

精神症状としては…

睡眠不足や極度の緊張による頭痛・耳鳴り・便秘

— とくに長く悩まされた耳鳴りは教義と関連があるような🤔

てんかんを疑われるけいれん

— ドストエフスキー型か

 

お城に身柄を隠匿し聖書翻訳に取り組んでいた頃には

極度の孤独感と翻訳作業という精神的疲労で

一過性の幻視幻聴が起こりました。

よく効いたのは

結婚後の食事くらいだそうです。

手料理を喜んで食べることによって体重が増えたが

尿管結石狭心症

幾度の心臓発作痔疾

めまい、下肢の潰瘍痛風尿閉に苦しめられ

直接の死因は

冠動脈硬化症による心筋梗塞

心理療法の源流である

宗教でも

こころの病は

知識で治るものではないことを

証明してくれていましたね。

 

影の足 ふと消ゆる日の 心かな@応挙も影の現象学

本日は

円山 応挙のお誕生日です。

たくさんの作品を遺しているのに

幽霊の絵が有名な

幽霊といえば応挙

謎を解き明かしてみたいと思います。

なぜ足がないと言うのか🤔

 

洋の東西を問わず

また水域・陸域を問わず

世界に広く類似の記載があるということは

西洋でも

人間の肉体が死んでもが死なずに

現世でうろついたり

家宝を守ったり

現世への未練から現世にとどまったりする話は多くあり

霊が他人や動物にのりうつることもあるといわれる

— 心霊上の事実

—— 色即是空 空即是色

普遍的無意識に棲息する生き物であるということですが

幽霊という名前で

お化けではなく👻

 

女性であること

お化け👻で

漫画になると

男の子になるのがユニーク

同一概念では漫画になっても普遍

足がないところが

日本の幽霊の特徴です。

 

幽霊の定義は

① 死んだ者が成仏できず姿を現したもの

② 死者のが現れたもの と

トラウマのようなものなので

旅の僧が傾聴してなだめたり

そうそう都合よく通りかかったりするものでもないので

お寺で一律に施餓鬼供養などを行ったり

琵琶法師の歌や怪談を聴いたり

戦争PTSDと呼ばれるように

~ 平家武者の亡霊が典型で執着を解消して安心すれば姿を消す ~

目に見えないので負の連鎖し続けることがあるので

琴線をチェックでき

類似のトラウマならカタルシスが起きる。

 

イタコさんに相談に行ったりしてきました。

ヒステリー患者さんには

— 常時じゃないから職業にはできない。

口寄せをし出すトキがある。

— なぜそんなこと知ってるの!というような話をし出す。

 

応挙の幽霊は

象徴となり

イメージをつくってしまったので

幽霊というものは

格別おそろしいので

大勢で大笑いするPTSD予防が必要

落語「応挙の幽霊」を生みました。

負の?連鎖

さすがは落語☯で

応挙を左甚五郎のような神格化された名人とし

宗教哲学性を際立たせた。

美の基準が秀逸🤔

「応挙の幽霊の絵は他の絵師とは違う。とても美人だ」

— ブサかわ(☯言葉)じゃなくてかわいらしいじゃなくて怖いらしい(コワかわ)🤔

 

まさに生き物であるわけですが

死に切れておらず

生死のまんなかをさまよう存在ながら

活動?している。

写生派の応挙が

写実的でない幽霊を描き

UFOはユングに存在分析されたが

存在を認められるようになったのが

秋に初公判の田久保元市長や

ネッシーの偽造の場合は…

ユニークです。

人間の祖先が猿と聞くと

— 進化論

クリスチャンは怒るが

日本人は愉快と感じる。

猿の惑星にしてしまったのは困るが…

— 得て公🐒心理士が落とし穴つくる精神の世界

ホンモノの幽霊の絵には凄みがあるそうですが

芸能人は写真より美人と言われたりしますが

「応挙の幽霊は掛け軸から出て来る。

左甚五郎の彫った龍が夜な夜な水を飲みに行くのと同じだ」と描写される。

 

実は

作者が明確な幽霊図はなく

落款が見えにくくなっていたり

— 落款が明確なほど有名でなかったり

弟子が写生したものだったり

偽物だったり… これが一番多い😮

100年前の絵師も描いていたりするのですが

浄瑠璃本「花山院きさきあらそひ」(1673)以降

挿絵に

足のない幽霊(藤壺の怨霊)が描かれているとされている。

この人の作品群は

— ちょっと鮮明すぎる気もする。

アニメのモデルになっているかも🤔

同じく元禄期の土佐光起小町亡霊図

幽霊は

膝までは確実にあります。

これで

香炉の煙説や

時間なかった説は霧消

— しかしネガとして意味をもたせている気もする🤔

足がないと書かれる秘密はこのあたりにあるのでしょうか。

脚がないではなく

ちなみに

足は足首から下

脚は腿から下を指すことが多く

イメージにも明確な差があります。

「足手まとい」「逃げ足が早い」「客足が落ちた」など

人に対する表現には「足」

「雨脚が強くなる」「船脚が速い」など

人以外には「脚」が使われる。

フロイトのそれとしかいいようのないものかな🤔

— ID ES

雨が降る。

誰が降らせる? IT?

 

この絵師は

御用絵師で

一族の

戦死により途絶えた

要職を復興するという悲願を

85年ぶりに復興させ

「土佐家中興の祖」と呼ばれる。

宗教哲学に通じ

息子に継がせ

自らは剃髪、法名を常昭とし法眼となった。

秘伝の

ユングの集合的無意識の図のように

あるいは

禅寺の拈華微笑のように

描画法を遺しているのですが

死の前年に『本朝画法大伝』を書き残す。

中国の画論に通じ

「異国(中国)の画は文の如く

本朝(日本)の画はの如し」と評しています。

吉野裕子先生が

お書きになっていた

幽霊の特徴が

鬼同様

陰陽五行説にあてはめて決められ

集合的無意識に根づいた。

— 共通感覚や常識になった。

絵師たちの間では

どのように共有されていたのかの実際を垣間見るようです。

Xのタイムラインみたいな?

 

干支の動物が陰に隠れてしまうのは

この絵師の作品にも

鶉の絵に猫が飛びかかったという伝承がある。

 

植物の復讐でしょうか🤔

元祖は植物の輪廻なのに

動物ばかり脚光を浴びている。

謎の分化発展@🧠がはじまりました。

さらに探索を続けたいと思います。