映画「エス」は
1月19日より東京・アップリンク吉祥寺で公開
監督が
自身の犯した罪と向き合った作品だそうです。
気鋭のディレクターとして注目を浴びていたが
2011年
不正アクセス禁止違反容疑などで逮捕された。
― 知人女性のメールアドレスを無断で使用し電子メールを送信
留置所にいたころではなく
留置所で過ごした30日余りは
罪や償いについて考えるようにはなったが
― なりすましのどこが悪いのだと思っていた。 ⇒後述
厳しく苦しいだけで
更生とは程遠かった。
逮捕により多くの大切なものを失ってしまい
社会に出てから
逮捕をされてから12年間。
いろいろな現実問題に直面してゆく心情を
本人ではなく
関わる人間たちから浮かび上がらせる手法がとられています。
思いをこじらせた挙句、別の男性と結婚した女性
新作に主役として出演するはずだった崖っぷちの俳優
絆がもっとも深い先輩
そこで浮かび上がるのは
やはりどこまでも人間関係の問題だということでしょう。
何が「一番戸惑ったかというと人との向き合い方なんです」
舞台役者であり
出会い系サイトのサクラとしては優秀だったけれども
事件の伏線
「当時の自分の感覚は麻痺していたというか……」
最初は
他人になりすます行為が悪いこととはわかっていて
相手を騙していると思うと当然、心が痛んだが
続けていくうちに『悪いこと』という意識は
もう頭の端っこの方に追いやられてしまって。
罪の意識もどんどん希薄になっていってしまった。
罪の意識を薄くするものに報酬もあった。
好奇心を煽るようなメールを書けば書くほど運営サイドには喜ばれ
多くのお金が自分にも入ってくる。
喜ばれることでなんかこちらもうれしくなって
罪の意識がどんどん薄れていくところがありました。
逮捕されたときは
なりすますことが
そんなに悪いことだとは思っていない状態になってしまっていました。
他人になりすますことが『楽しい』『面白い』になってしまっていました。
向き合う自分がなく
自分の近しい人間は大切だけど
それ以外はどうなってもいい。
自分のメールで相手が
どうなっても知ったことではないといった気持ちがどこかにあった。
そんな汚らわしい精神の持ち主は
人間じゃないと思われてしまうのではないかと不安だった。
自分自身と向き合う勇気がなかった。
心の弱さを認めたくなかった。
個人としては
誰ひとりに対してもまともに話すことができず
気をつかわせないように明るく振舞おうとすると
ほんとうに反省しているのかと相手を怒らせてしまい
今度は神妙な面持ちにすると
もう切り替えて前に進んだらと言われ…
パニックになってしまったと言います。
いつからか、人を会うときは、ほとんど舞台に自ら立つような気分
練習し朝から今日はこんな感じでいこうと決めていくけど…
そもそも
自分は笑っていい人間なのか笑ってはいけない人間なのか…
映画になったきっかけは
留置所の看守さんで
わりと雑談をするものらしい。
PTSD予防の貢献者で
自殺や
向精神薬の使用を
― ホリエモンでも必要だったという。
減らしている影役者だったりして
映画監督であることが
留置所中にわかり
気をつかっているうちに
話が盛り上がるのは良くないと思い
下げるようなことを言ったことが裏目に出たり
カメラマンの若い入所者を勇気づけようとして…
映画化すると口を滑らせてしまったのだそうです。
作為体験のような状態
監獄事件版『es』もありました。