PTSDと哲学に関する論文」カテゴリーアーカイブ

アドルノの批判対象PTSD否認薬漬け公認心理師ファシズム

本日お誕生日の

テオドール・アドルノ

Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund

1903‐1969

あまり理解されず

最終論考のような書物に至るまでの

デッサンのような

— ジョイスのような人なのかも🤔

『ミニマ・モラリア』のようなものしかなく

— アリストテレスの大道徳学をもじったもの

辛辣すぎ過激すぎるとして嫌悪されがち

批判されることが多いのは

ナチスがジャズを禁止すると

当時ナチスが頻繁に使用していた

「除去」「人種」「文化ボルシェビズム」といった言葉を

多用しながら酷評するなど

ナチズム側ではないかとか

— ハイデガーや西田幾多郎も同様に批判された宿命

哲学と言っても

頭ではなく

音楽で考えていたからではないかと思います。

ユングなどはイメージで考えるし

ジブリはアニメで表現する。

— 伝わる人には時空を超えて伝わってゆく1つのジャンル

文化と野蛮という視座から

アウシュヴィッツでガス室が稼働し始めた

1942年3月のドイツは

ロマン主義的で教養に満ちた豊かな文化と

ナチス・ヒトラー・ホロコーストのような独裁や惨事に満ちた野蛮が

共存していた。

— 批判的☯弁証法

ナチスそのものではなく

それに協力した一般人の心理的傾向を問題とし

権威主義的パーソナリティについて解明した

権威主義的態度を測定するための

ファシズムスケールの開発者って

凄くないですか?

20世紀における社会心理学研究の代表的人物です。

アドルノが

60年代の学生運動に感じた欺瞞や

ファシズムに類比しうる熱狂や別の権威主義の始まりであり

見せかけの抵抗であるとして

終始批判的

その抑圧構造の

強制的に支配されるのではなく

人々自身が進んで権威に従い

同調していく心のあり方

不自由さは

資本主義における文化が商品化され

思考停止と感性の麻痺を引き起こさせ

植え付けられ消費するよう強制されたものを

自ら選んでいると錯覚している。

公認心理師以後の現実を見れば

臨床心理学は黎明期からの夢を捨て

魂を売り

諸手を挙げて

薬漬け医療に迎合した。

理解されるのではないでしょうか。

そんな感性で書かれた臨床論文などすべてゴミくずです(>_<)

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」

「アウシュヴィッツ以後、文化はすべてゴミくずとなった」

黒澤明からジブリそして『国宝』

黒澤明さんは

『善の研究』出版の一年前に生まれ

あなたもスタンプをGETしよう

クロの日に亡くなったそうです。

子ども時代は

知能的に遅れていて 😲

傾倒するドストエフスキーの『白痴』を

てんかん症状が良くなった主人公は

人として描かれ

ポニョのように波乱を巻き起こす。

札幌に於いた『白痴』の映画化は長年の夢だった。

— 人魚姫を日本に於くとポニョ

当時も

発達障害のことを白痴と呼んでいた@昔の教科書  が

処刑される直前に釈放された後遺症で

てんかん性の白痴にかかってしまっていたというもの

— 流行の病は先天性か後天性か  <  天才のつくられかた

黒澤作品は

強い人間信頼と人生肯定を特徴とし

現実社会で困難な状況に追い込まれた主人公が

それを契機にして人間的に再生する姿を描くことが多いとされる。

— 自己実現モデル

泣き虫のいじめられっ子だったけれども

周囲の人たちに助けられ

ポニョを助けた人たちのなかに立派な人はひとりもいない。

ポニョを保育所に持ち込む宗介は

当時は教育上好ましくないと思われていた

— 厳格な父親も映画だけは一緒に見せていた。

—— 視座と行動が違う。

映画を観ていた黒澤だったかも

—しかも今はなき西部劇

—— 原住民いじめ

いつしか類まれな才能が開花

黒澤映画も人間のあるべき姿を願望として描いていると指摘されている。

言論弾圧に耐えながらも

戦時中は国家がフィルム配給制限

終戦直後はGHQの検閲により非合法作品として上映禁止

戦後の日本映画を代表し

国際的にも有名で影響力のある監督の一人となりました。

スター・ウォーズシリーズに影響を与えたとは…

既にジブリとの思想つながりを書いてきましたが

大抵の作品には共同執筆者がいた。

「僕一人で書いていると大変一面的になるおそれがある」から

複眼で書いて編集

— とんぼの目

鮮やかな色彩で細部まで描き込んだ絵コンテ自体が

芸術作品として成立し

作品発表のたびに画集が出版されたこと

生きる意味を探求するというテーマをくり返し描いたこと

ただし通常の社会批判映画のような

犠牲者に観客の同情を集めたり

大衆に連帯をうながすという物語の形式を極端に避け

主人公は大衆をあてにせず

個人的な解決方法を取ることが多い。

晩年期の作品が

家族や師弟など身辺に目を向け

自伝的な要素が強くなったことは

宮崎駿に連なり

特徴とされる

ダイナミックな映像表現

外国人も参加

劇的な物語構成

ヒューマニズムを基調とした主題は

話題の『国宝』の元型であるような気もします。

黒澤も

時間をかけて俳優が役柄や性格をしっかりと掴み

演技が自然に見えるまで周到に稽古を重ねた。

カメラの動きを観客に意識させないようにしたこと

『君たちはどう生きるか』のような純粋経験

解離についても書いていた!

— ドストエフスキーですからね(^^♪

採用試験(小論文)で

「日本映画の根本的欠陥を例示し

具体的にその矯正方法を述べよ」に対し

根本的欠陥は矯正しようがない」という趣旨の内容で合格

会社は大学卒を採用するつもりだったが本人は中卒

アカデミー賞名誉賞の受賞スピーチに至っても

「私はまだ映画がよく分かっていない」とは

どこまでも東洋思想的な監督でしたね。

作品数に圧倒されますが

ゆっくり鑑賞したいと思いました。

【田中一】さんが教授するPTSD解離性健忘&遁走という名の神隠し@『君たちはどう生きるか』

今年7月10日ごろ

島根・奥出雲町の山あいを走る国道沿いの植え込みで

激しい頭痛をともなって目覚めた男性は

『…⁈…』

自分はなぜここで倒れているのか🤔

ここはどこ🤔

…(そもそも)自分は誰🤔

記憶喪失状態にあることに気づき

半袖Tシャツに黒ズボン、サンダル

傍らにあったバッグはなぜか自分のものと思った。

— 携帯電話も身分証明書もなくサイフは空だけどポリ袋入りの現金60万円

紆余曲折ありましたが

警察に行くのもためらわれ

— 動物的カンはあたっていた…

野宿などしながら考えた末に

— 地元民と地域にある延命水に助けられるが生活困窮し

役所に相談するも逮捕されたりしたあと😱

— バッグの折り畳みナイフで銃刀法違反 ⇒不起訴処分

グループホームに入所し自立支援の対象となった。

一昨日ニュースに取り上げられたことで

本人が顔出しを決意

たくさんの情報が集まってきているそうです。

自立支援施設などでは仮名がつけられますが

特にDVシェルター

田中一というのは

無意識そのもののような名前で

八識田中刀を降ろして覚る@禅宗 のとおり👇だった\(◎o◎)/!

個性が命綱となったのでした。

事件に巻き込まれてモヒカンにされたという説もあったが

田中一さんは戸惑っていないし似合っていた。

— どんな人間であったかについて多少の記憶はあるものなのだろう。

そして

世間のひとたちも

解離について多くを学んでいます。

文明の機器も貢献するなか

役所とか警察の感覚って後手後手ですよね。

得て公🐒心理師もいるでしょうに

— 大叔父さまもこんな感じで失踪したまま哲学者のように

【日本の臨床心理学】伊藤仁斎から木村敏まで@西田哲学

本日がお誕生日の伊藤仁斎

本名のほかに通称や屋号があり

仁斎は号

死後につけられたのは古学先生

江戸時代前期の在野の

京都の堀川に古義堂(堀川学校)を開き

堀川の対岸にも私塾のある時代

本人が教えただけでも三千人

儒学者・思想家ですが

生前は講義と執筆に尽力し

公刊は死後のこと

その思想は

講義ノート(蔵書)は天理大学に所蔵のうえ公開され

跡地は国の史跡に指定されている。

— 西田幾多郎記念哲学館や鈴木大拙記念館みたいな普遍性

かの『論語』を

「最上至極宇宙第一の書」とみなし👀

こういう宇宙的心理観

そのではなく

いわゆる哲学くささ

— 客観的でよそよそしい理屈

に価値があると評価する

人間的で血液の通った心情を信頼

『善の研究』のようなものだったと思えば

日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求したという。

要するに哲学というより心理学

ユングの自己実現みたいな話

— 哲学者なのに心理学みたいに書いちゃったよ…と自戒

西田幾多郎も

古義堂を訪れ

江戸初期の学者は

日本の事物を論じるにしても宋儒の学を基礎として考えていたのではないかと

書いているのでした。

古義堂を訪う記」「続 思索と体験」以後 

次章の『アブセンス・オブ・マインド』では

自らが経験した

軽い(誰にでも起こる)解離現象について

うっかりさん

書いていました。

仁斎の頃は

今でも東洋医学などでは

儒医一本などと考えられていたのですが

哲学 即 臨床心理学

ごく最近までは心理業界もその延長線上にありました。

哲学 即 臨床心理学

河合隼雄なきあとの心理学側は…ひどいものですね(>_<)

哲学はどこ行った?

最近の病院の哲学は?

何をかいわんや(>_<)

京都の「床」も崩れる

大自然のなかで暮らしたいと思ったことはあるかとお訊ねですが

あなたもスタンプをGETしよう

『君たちはどう生きるか』の構想は

ハイジ👀の時代から始まっていた!と今知りました…

— ほぼ焼き直し

スイスを超えてアフリカに百尺竿頭

— ふつうはユング研究所を目指す(ブラックジョークです🤭)

ジブリが生まれた…

そのうち書きます今日は書かない…

人類は

大自然のなかで暮らしていると痛感させてくれる昨今の自然現象ですが

ありえないことが起きているように感じます

それも含めて大自然なのでしょう。 

— やはり 自然=神さま

京都では床が崩れたとか…

床は見るものだった(>_<)

続報によると

料理旅館の🤔川床が突然崩れて

増水のためではないかと言われている。

川の中に男女6人が投げ出されましたが

5人は自力で川から脱出

70代女性が一時取り残され

40代の男性従業員が救助

大けがをされるようなことはなかったとのことで

男性従業員は病院に運ばれたが

足を打撲するなどの軽傷

こころの方が問題になるようです。

女性は命に別状はなかったが

気分不良で病院に搬送された。

京都の病院では

お手当あるかな🤔

臨床心理学の

臨床は

死の床に臨む という意味

死にゆく人々の不安をなだめるのが

昔の司祭のお仕事

神隠しにあった人を

即身成仏させるのが

(本来的な)心理職の仕事

精神科医が薬漬けにして妨害するのを

援助するために仕掛けられた網にかかったのが

— 医師の方針に意見することは法律で禁止されている💡

—— こんな法律見たことないわ!

得て公🐒心理士たち🐒🐒🐒🐒🐒

木村敏先生の涙雨じゃないですか🤔

鶴見俊輔のPTSD事例と『君たちはどう生きるか』

本日7月20日は

千と千尋の神隠しが公開された日です。

夏休みということもあるでしょうが

なかば課題図書のような扱い

華厳と陰陽五行説の習合で

海の日周辺がふさわしいのかもしれません。

明治天皇が

はじめて

軍艦ではなく灯台視察船で

御用邸に戻られた史実から

振り返ってみれば

迷い込んだ神隠しの構造は

八百万の神々が住む

無人の

タブーの場所で

集合的無意識そのものでした。

草原だった場所が

大河に変わって

船から降りてくる怪物のような者達を目にするのは

『君たちはどう生きるか』の神隠しと同じ

悪夢が消えることを願って自分が消滅しそうになるというのは

— 鬼滅の相

昨日の河合隼雄の子ども時代の恐怖と同じものです。

それが

過去のトラウマ記憶に助けられるという

時間論もおもしろいですね。

— 過去 ⇒ 現在 ⇒ 未来 じゃない

そして

両親が

罰として豚の姿に変えられるのは

ニーチェの教える

動物以下にも超人にもなる

感官の説明そのものでした。

また本日は

鶴見俊輔が亡くなった日でもありました。

神隠しの伝説の人になった

ゴリゴリのクリスチャンの母親と一緒にいると

父親は海外での講演旅行などで不在がち

母親から「しかられつづけのくらし」

どうしようもなくなるということで

11歳には不良少年化し

— 万引き集団をつくり小学校をサボって歓楽街に出入りして女給やダンサーと交際

12歳にはうつ病を発症

睡眠薬を飲んで道路に倒れる自殺未遂を繰り返し

精神病院に3度入院[

高校は退学・編入を繰り返し…

アメリカにわたり

戦時中なので苦学して

資金凍結で

図書館で働かなくてはならなくなったり

逮捕されて

収容所で卒論を書いたりするうち

病弱になり…

帰国後

教授職についても

ピカイチに優秀

病弱のうえに

精神病院に入退院するようになり

休職どころではない

今度は

「親父のもとに出入りしていたら

自分がだめになると思って」

家を出ます。

ポニョが家出する

集合的無意識はどこまで脅威か

脳梗塞になっても

発話と筆記が困難

旺盛に読書を続け思索し続けたのも

脳は考えることをやめさせたかったのか🤔

河合隼雄と重なりますね。

神隠しの場所には

鬼籍

いろんな偉人がいます。

この人と吉野源三郎のつながりを2年前聴いたけど

— 要するに思想がひとつづきと言いたい

—— 三蔵法師じゃないけどみんな死にそうに苦労して伝えてくれた。

失念してしまった…

夏の水辺のPTSDと神隠し

水辺の事故のニュースが

無意識 に関するお話

耳に入ってくると

まもなく世界と1つになる人類の時空

目👁の話の意味

さっきやっとわかったのデス🎶

集合的無意識には

PTSDに関する情報がたくさんあることがわかります。

自殺 ≒ 自殺行為  紙(解離)一重

神隠しのいろいろは

— スーパー☆ボランティアのおじいさんはよくご存じ

神秘主義に親和性がある

「きのう昼、子どもの水中メガネを買いに行ってから帰ってこない…」ですが

情報が錯そうしていて

『藪の中』

「買い物に行って」

認知症っぽい普通の話

「子供用の水中メガネを買いに行って」

なぜ子供用?

「子供と水中メガネを買いに行って」と

大人の方がはぐれた?

神隠しの世界です。

バラバラな話をよく傾聴しなければ

— 頭が良すぎて神隠しとなった先祖とか雷のように降ってきた塔とか

真実は見えてこない。

眞人と夏子の神隠しの原因は超リアリストのこの人👆家族思いのつもり

モチーフは同じ

いじめPTSDが天神さまになったから6月26日は雷記念日

あなたもスタンプをGETしよう

雨ごいをしていたら

そもそもここから呪術的な信仰の世界ですが…

現代のタイも摩訶不思議

— 猫年@干支 はないし🤔

落雷があり

因果関係はないと考えるのが現代人

人が何人か亡くなったのが

アメブロさんは

落雷の瞬間を見たことがあるかとお訊ねですが

見ていた天皇は体調不良に陥りまもなく死亡(>_<)

記念日とは…(>_<)

人は恐れを感じたときに

例えば

蛇は

気味が悪いと嫌う一方で

神にもなる

— 蛇信仰

虐めるか

影(自分にないものを生きている)の問題からの嫉妬

崇めるかという

極端な行動をしがちなのだそうですが

菅原道真は

学問の才能に優れ

宇多天皇の御代に厚い信任を得て

右大臣にまで出世

無実の罪で陥れられ

太宰府に左遷され亡くなったあと

悪い人たちにも

罪悪感というものはあるようで

道真の死後

悪人たちの周辺で異変が相次ぎ

張本人は39歳で死亡

その妹と醍醐天皇との間に生まれた皇太子も21歳で死亡

その娘の息子は5歳で死亡

自然災害や疫病も流行

天皇の住まいに

清涼殿や紫宸殿

落雷があって死者が出ると

天皇も崩御

地方ではクーデター(乱)と負の連鎖祭り

天神さまとして祀られるようになりました。

「学問の神様」として認識されるように

天神さまはヘソを狙いますから

迷信ではなく心霊上の事実です。

恐ろしいのです。

ジョイスの神話『ユリシーズ』と『君たちはどう生きるか』

本日6月16日は

ジェイムズ・ジョイスの

小説『ユリシーズ』の日なので

1904年6月16日の

一日の間に起こった出来事を描写したもの

ブルームは主人公の名前

西洋の時代劇

ブルームの日として

前後の一週間はブルームズデイ・フェスティバル

ダブリンでは

多くの人たちが

小説ゆかりの場所に出かけて

『 Bloomsday』『Lá Bloom』

登場人物の行動をまねながら

扮装し本と一体化しようとする様子は

― 架空  空即是色☯色即是空

まるで 巡礼(聖地巡り)

お祝いします。

最初は酷評された作品であり

☯絶賛に転じ神格化

1904年6月16日に

妻と最初にデートしたこと

現実の話

小説に変容したもの

架空の話  空に架かるは色即是空

しかも全く別の話

神話めいていると思えば

ホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにした

英雄オデュッセウス(ラテン語形の英語化がユリシーズ)を

冴えない主人公ブルームに置き換え 👈華🌸厳経?

― (後述お化けのような)真逆の性格や立場

18の章も対応させながら

― 計画表(スキーマ)を作成しているから自覚的

たった一日の出来事にしている。

― 実際は20年の辛苦

「神話的方法」で

命名はT・S・エリオット

小説のプロットを神話と対応させる

人格変容には気が遠くなるような時間がかかるが

人が変わるトキというのは一瞬       ~宗助とトキさんの自力と他力

― 一即多

例えばポニョの自己実現も数日の話で

本名はブリュンヒルド@ゲルマンの北欧神話の英雄譚

プルーストの『失われた時を求めて』同様

20世紀を代表する大長編小説

無意識の理論に忠実に表現されています。

意識の流れの技法@ウィリアム・ジェイムズの心理学概念

「人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく

動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」

駄洒落・パロディ引用などを含む実験的な文章

物語の前半は

1人の人物に焦点をあてた「内的独白」で

― 漱石も猫の独り言からヒットするが明☯暗で頓挫落命

意識に去来する想念を切れ目なく直接的に映し出し

後半では

語りの視点が複数化・非個人化

固有の文体が消失

歴史的なグラデーションがキメラ的に入り込み

― 神隠しに関する集合的無意識の記憶

最後の章が

他者の声で終わるのは

「語り手」ではなく「編成者」のような視座

『君たちはどう生きるか』の時間軸と重なっており

ジョイスが

「非常に多くの謎を詰め込んだので

教授たちは何世紀も渡り

私の意図をめぐって議論することになるだろう」と語ったとおり

難解だと評される要因の1つになっています。

駄作だとか

認知症になったのではという

酷評も

ユリシーズの当初の評価と同じでしょう。

宮崎駿が

同名の小説に影響を受け

時間をかけて自らの神話として描きなおしたように

ユリシーズも

時間をかけて

行為的直観的に書きあげたもののようです。

子どものとき『ユリシーズの冒険』を読んで

オデュッセウスのラテン名「ユリシーズ」が記憶に刻まれ

学生時代には「私の好きな英雄」と題して作文

友人に「文芸上の唯一のオールラウンド・キャラクター」は

キリストでもファウストでもハムレットでもなく

オデュッセウスだと力説するようになり

小説にしたいと思い立ちますが

何度も頓挫しながら

― 産みの苦しみ

完成させたものです。

この手法は

心理療法とよく似ています。

最初から問題の全体像がつかめるものではなく

― ましてやどうしたらよいかなど

―― わかっているとすれば☯たいてい間違っている。

やって ⇒ みる  ことを繰り返しながら

― 波打ち際の砂に置いてみるように

時間をかけて観察する

哲学的忍耐力を要する時間

節分も

ユリシーズのように

神話と逆の扮装をして遊ぶ

ブルームの日みたいなもので

似たような異文化をもつ外国人も自然に共有しているから

神隠しのメッカみたいなものかな🤔

首都が一番長くあった京都

お江戸の心理学と幽霊(イメージ)と夢記など

我が国にも

江戸時代には

宣教師が教える

英語学校で

― 現在の有名私大

西洋の心理学を学ぶ人も出てくる少し前

心理学のようなものがあったらしく

― 神学@キリスト教 っぽい

手島堵庵という人は

1718‐1786

6月12日生まれだそうです。

石田梅岩を開祖とする

倫理学の一派で

平民のための平易で実践的な道徳

― 宗教・思想を身近な例を使って平易に説いた。

―― 現代でも企業が好む道徳らしい。

人間を真の人間たらしめる性質を

「あるがまま」の姿において把握しようとしたのは

純粋経験の考え方や

明恵のあるべきようわに通じます。

阿留辺畿夜宇

あるべきように(しましょう)ではなく

― ふつうの道徳とか倫理

あるべきようは(どのようですか)?と自分に問い続ける。

 一太極二陰陽 

高僧も哲学者も悩んで大きくなった。

夢分析はユング派の専売特許じゃない💡

円山応挙の産まれた日でもありますね。

1733‐1795

「足のない幽霊」を描き始めた画家という

実際はもっと前からある。

なぜなら

鬼👹同様

陰陽五行説からつくられたイメージだから

伝説があり

伝説になる生きざまが天才の特徴

「応挙の幽霊」は

たくさんのお寺に奉じられ

お寺は

難しいような☯楽しいような

怖いような☯優しいような

不思議な場所

落語にもなるなど

応挙は

左甚五郎のように名人として神格化されていましたが…

― 多分、崇めて考察するのは当時の流行🤔

令和版⁈

― 本質はきちんと伝承されていると思うのデス

象徴性があります。