いろいろ書いてて気づいた。
PTSDは
★精神科では【うつ病】周辺の診断名
★心理療法では【知的障害】か【適応障害】あるいは【人格障害】の見立て
★世間では【仮病】【怠惰】【わがまま】【どうしようもない性格】との切捨て
になりやすい
…
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いろいろ書いてて気づいた。
PTSDは
★精神科では【うつ病】周辺の診断名
★心理療法では【知的障害】か【適応障害】あるいは【人格障害】の見立て
★世間では【仮病】【怠惰】【わがまま】【どうしようもない性格】との切捨て
になりやすい
…
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いろいろ書いてて気づいた。
PTSDは
★精神科では【うつ病】周辺の診断名
★心理療法では【知的障害】か【適応障害】あるいは【人格障害】の見立て
★世間では【仮病】【怠惰】【わがまま】【どうしようもない性格】との切捨て
になりやすい
…
うつ病の診断もなんか変ですよね。
うつ病も増えすぎてます。
内因性の病なのに。日本人はなんか悪いもんでも食べてるんですか?
薬が効かないそうですが、そんなのうつ病って呼べるんですか。
唯一の判断基準でしょう。
薬屋さん研究をさぼってるんですか?
違うでしょう。
毎年新薬が開発されてるでしょう。
私も心理検査で治験に参加させてもらいましたよ。
圧巻は①好きなことはできるけど
②嫌なことはできない
昔スチューデントアパシーって呼ばれた人たちがいたけど、それは
①バイトやサークル活動はできるけど②正業(勉強)はまったくできない。
それを【解離】っていうのでしょう。
昔はアパシー(無気力)と名づけるセンスがあった。
今は、【新型うつ病】とか【バイポーラ】とかでたらめもほどほどにしてほしい。
解離が起こるほどのストレスを経験したのでしょう。
DV・虐待・いじめ +周囲や専門家からの二次被害…
充分でしょう。
そんなので病気になるのは弱い?
いい加減にしてください。
そんなことを言えるあなたは【解離】していますよ!
順教尼は
絶望の淵で
小鳥の親子の姿に
はっとしました。
ひらめいたのです。
そこからは一直線です。
庭で掃除をしていて
山で芝刈りをしていて
悟ったお坊さんもいるそうです。
こんな環境で続けられるだろうか
誰もが思うようです。
でも後から思えば
必要なものは必ず与えられた
一本道が敷かれていたとわかるそうです。
病即自己実現です。
知恵が足りないための適応障碍と診断されると
回復の過程が混乱します。
しかし、そのような例が多いです。
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大石順教尼の生涯はドラマにもなっています。
たまたまTV大阪で観ました。
昔放映されたドラマシリーズのなかにそれはあり
若き日の市原悦子さんが順教尼を演じていました。
『わが母は聖母なりき』
だったか、そんなタイトルだったように記憶しています。
『あかんたれ』という丁稚奉公の苦労を昇華したようなお話から
このシリーズの放映を知り
なんとなく観ていましたが、
今思えば
世の中には暴力や理不尽なことが多く
PTSDに罹患する可能性は相当高いけれど
そして、なかなか理解されず
よけいにいじめられたりすることもあるけれど
あきらめなければ必ず道が開けるとのメッセージだったのかもしれません。
PTSDに罹患すると人生はドラマチックにならざるを得ないのでしょう。
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順教尼の話の続きです…
事件から3年後の巡業中のある日
鳥篭の中のカナリヤを見て心を打たれました。
親鳥が雛に口で餌を運んでいる姿です。
凡人にはなんということもない光景です。
しかし傷つき絶望の淵にある順教尼の目にはこう映りました。
『鳥は手が無くても一所懸命生きている!』
順教尼は、筆を口にくわえ
書画の苦しい修行をし
学問をし
明治45年(1912)には日本画家の山口草平と結婚し一男一女の母となりました。
関東大震災に遭遇したり、夫と離婚したりしますが
昭和に入った頃から「堀江事件」の犠牲者等の冥福を祈るために仏道生活に入りました。
そして自身と同じように身体に障碍をもつ女性の収容と教育を始めました。
昭和8年(1933)には、出家・得度し
昭和11年(1936)には、勧修寺境内に身体障害者福祉相談所を開設、昭和26年(1951)に仏光院を建立しました。
書画では昭和30年(1955)日展に入選し
昭和37年(1962)、日本人初の世界身体障害者芸術協会の会員に選ばれています。
身体障害者の心の母、慈母観音と慕われた生涯でした。
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大石順教尼は日本中を震撼させた話題の事件の被害者です。
しかし、身障者となった自身の姿を見世物として
寄席や地方巡業で生計を立てながら
両親を養ったそうです。
なんということでしょう。
PTSDを癒されるどころか
傷口に塩を塗られるような日々ではないですか。
現在のPTSD罹患者の境遇もさしたる違いはないと思います。
確かに臨床心理学などというものがあり
トラウマやPTSDというものが周知のものとなりはしましたが
またDVシェルターなんてものもないことはありませんが
そのPTSDの孤独と苦しみは順教尼のそれとなんら変わりがありません。
PTSDだけでもつらすぎるのに
まともな治療が施されるどころか
誤解され
殆どキワモノ扱いされることも珍しくありません。
平成の世にも見世物としての順教尼がたくさんおられます。
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先に、大石順教尼について紹介しましたが
根本問題はDVです。
順教尼は、明治21年の大阪・道頓堀の生まれで
15歳で芸妓への道を選び、「山梅楼」の中川万次郎という人の養女となりました。
悲劇はその山梅楼で明治38年6月21日に起こりました。
養父となった万次郎は、妻の駆け落ちから酒に溺れて狂乱し、殺傷事件を起こしたのです。
被害者は、逃げた妻の母親、弟、妹、養女にしていた二人の芸妓の5人です。
日本中を震撼させたこの恐ろしい悲劇で、順教尼ただ一人一命を取り留めました。
しかし17歳にして両腕を切断され、顔にも切り傷を受けました。見えないので見落とされがちですが、こころの傷(トラウマ)も並大抵のレヴェルではなかったでしょう。
芸の道を志したつもりが、PTSD克服への生涯へと変換させられました。
この道は一本道です。
渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。 ニーチェ
どんなに怖くても不安でも、生きるためには渡りきるしかないんです。
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うつ病の診断もなんか変ですよね。
うつ病も増えすぎてます。
内因性の病なのに。日本人はなんか悪いもんでも食べてるんですか?
薬が効かないそうですが、そんなのうつ病って呼べるんですか。
唯一の判断基準でしょう。
薬屋さん研究をさぼってるんですか?
違うでしょう。
毎年新薬が開発されてるでしょう。
私も心理検査で治験に参加させてもらいましたよ。
圧巻は①好きなことはできるけど
②嫌なことはできない
昔スチューデントアパシーって呼ばれた人たちがいたけど、それは
①バイトやサークル活動はできるけど②正業(勉強)はまったくできない。
それを【解離】っていうのでしょう。
昔はアパシー(無気力)と名づけるセンスがあった。
今は、【新型うつ病】とか【バイポーラ】とかでたらめもほどほどにしてほしい。
解離が起こるほどのストレスを経験したのでしょう。
DV・虐待・いじめ +周囲や専門家からの二次被害…
充分でしょう。
そんなので病気になるのは弱い?
いい加減にしてください。
そんなことを言えるあなたは【解離】していますよ!
筆を口にくわえて書画を描いた大石順教尼(1888~1968)の作品や遺品を展示した記念館が、和歌山県九度山に開館したそうである。
口筆で書画を描くようになったのは、17歳の時、養父による一家6人殺傷事件にまきこまれ、両腕を失ったためである。この時、舞踊家としての輝かしい未来への夢も打ち砕かれている。
両腕を失うことは、身体的な痛み以上に心の痛みを伴っただろう。
事件の衝撃や理不尽さを17歳の少女が受け止めることは容易ではなかっただろう。
遺された書画も、PTSDの克服について我々にさまざまな示唆を与えてくれると思われるが、
順教尼の一番の功績は、【身体障碍者の母】と呼ばれていることにあると私は思う。
事件というものがPTSDという苦しみや孤独を生むことを身をもって知ったことが、
彼女を僧籍へと向かわせ、障碍をもつひとたちへのこころの支援をさせたのではないかと思うからである。
残念ながらPTSDへの無理解や無支援は存在する。
しかし、順教尼の遭遇された事件や生涯から学ぶ人が増えたらなあと夢想している。
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