「発達障害児は象徴が使えない」?

典型的な自閉症など
もう存在しないが
 ―あるのは自閉症スペクトラムとか ←わざわざ広げた
  注意欠陥性多動性障害とか ←これも入れた
  そういうものばかり
子どもは
言葉が話せないから
遊びながら治療する。
 ―遊びが表現であり
  言葉であり  
  そのなかで癒しが起こる。  ←説明はない
だから
子どものどんな表現も
丁重に扱い
その意味に寄り添う。
例えば、こういう表現は多い。
PTSD研究家翠雨の日記
普通の子でも
ミニカーを並べることはあるが
この子は
プレイルームに来るたびに
まずこれを置く。
順番も間隔もいつも同じ
そして勝手に動かしたら
火がついたように悲しむだろう。
(わかってるから
 そういうことはしない)
この聖域を尊重しながら
寄り添っていると
子どもは
自由に遊びはじめる。  ←これがラポール
             (こころとこころに橋がかかって
               より自由に表現できるように
               なった状態)
そしてだんだん
ミニカーの並びが
遊びの勢いで
めちゃくちゃになっても
平気になり
そのうち
ミニカーを並べなくなる。
その頃には
幼稚園で普通に
お友達と遊べるようになっている。
今の臨床心理士は
子どもがミニカーを並べるのをみて
「自閉症」と診断するのみ
  ―あとは【療育】という名の
   経過観察
   【療育手帳】をもらって
    障害者として生きていく。
あるいは
お母さんに
「こどもさん
こだわりきつくないですか?
例えばミニカー一列に並べるとか…」と
質問する。
お母さんは驚いて
「そのとおりです」
占い師にだまされるみたいに
たちまち
信者になってしまう。
ツンツンしたテスター相手に
無駄な心理テストも
たくさん受ける。
 ―子どもはウンザリする…
★診断せず
変なカリスマ性が
発生しないようにするのが
正しいやり方
今は
★上から目線で
専門家面して
治さない。
下手したら薬漬けにされる。
ミニカーを一列に並べる理由は
永遠に不問である。
教科書にもうすぐ書かれるだろう。
「発達障害の子は【象徴】が使えない」

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