『チャングム』第五十話 三つ子のたましい百まで

幼い頃
チャングムは
仲良くなった
男の子たちと同じように
ウサギを捕まえ
寺子屋に行きました。
母は血相変えて
家に連れ帰り
足を鞭うちながら 
しかります。
「どうしていけないの?」
身分が低いから
女の子だからと
言われても納得いきません。
懲りないチャングムの足は
傷だらけです。
 
「そんなに勉強が好きかい?」と
訊く人には
夢見るような表情で
答えます。
「天っていう字は
どうして
ああいうふうに書くのか
日はどうしてあちらからのぼり
あちらにしずむのか
ウサギはどうして歩けないのか  ←凄い観察力ひらめき電球

不思議で
知りたくて…」
この疑問は
不思議であり ←思議のレヴェルを超えてる。
科学であり
チャングムの性格
運命でもあります。
 ―すべてが1つにまとまってます。
ウサギは跳ねることしか
できないんですね。
チャングムはいつも
何か閃いては走りだすクセがあり
指導教官に叱られてました。 ←走ってるとしか認識されない。
ウサギのように敏感です。
そして
天運の持ち主なのですね。
個人的なわがままや
自分勝手じゃなく
もっと大きな
自然や歴史の視座で
動かされている人間なのです。
父母も殺されそうになり
瀕死の状態から息を吹き返した
トラウマを抱え
身を隠して
生きていました。
チャングムもそれを
引き継いでいますが
集合的無意識は成長しますから
父母と同じように
トラウマをだましだまし
そこに適応するのではなく
昇華させる苦難の道を
選ばされているのです。
考えてそうしたのでは
ありません。
気がついたら
そうなっていたのです。
だから子どもの話は
おもしろいのです。

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