苦痛をどう受け止めるかは芸術でありPTSD予防である。

曽野綾子さんが
『人間にとって
成熟とは何か』で
治癒が難しいとされている
病気になった時
それを
人生のテーマや目的にしたら
よいのだと
書いている。
確かに
きれいごとではないから
愚痴や絶望も吐くことも
あるだろうけど
苦痛や悲しみを
どう受け止めるか
そこが
1つの立派で
偉大な芸術であり目的だと。
ニーチェの神髄も
そこだと思う。
キューブラー・ロスも
同じようなことを言っている。
ユングの学説も
この通り。
それぞれの先人の
性格の一部をあげつらって
理論を無価値化したり
「ニヒリズム」
「神はいない」
 ―部分思考は
 認知の歪み
ヒステリー的に
酔ったり
毒吐きに徹したり
人を煽って
自家中毒起こしたり
 ―妙な万能感に
 逃げ込めるが
 巻き込まれた人は悲惨
そこには
「受容」の視座がないのです。
受容は
してもらうだけのものでは
ありません。
むしろ自分のこころを
受容するのが
大事です。
 ―治療者でもない相手に
 求めるのは
 根本的間違い。
ラポールも
本人の
神と自我が
対話できるようになるのが
 ―自分のセルフを信じられるように
本来の意味です。
それができるなら
自己治療は可能なのです。

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