PTSD解離ネットストーカーによる濫訴宣言と支援者への嫌がらせ

ネットストーカーは
自身の病理に
意識的には無自覚だから
訴訟開始後も
こんな記事は削除せず
 ―妄想を織り交ぜた
  名誉棄損記事には変わりない。
無意識的には
自覚があるから
昨日紹介した記事は
削除しています。
しかし
ここに書かれているように
陰陽の病
ネットストーカーに絡まれたら
★支援者も迷惑行為に巻き込まれ
★濫訴される可能性があることを
 ― 途方もない
  時間と費用の浪費を意味します。
経験者として
ここに書き留めておきます。
しかし
こんな脅しに負けてはならないのです。
身の安全は確保しながらも
相手を注視し続けることが大切です。
 ―しないのは
  「選択的不注意」  
  
みなさんも
歴史的な証人として
2つのブログを見守って下さい。
 ―別に法廷にはお呼びしませんから
  ご安心をニコニコ

PTSD解離ネットストーカーによる濫訴宣言と支援者への嫌がらせ」への5件のフィードバック

  1. あ*

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    「ひとり暮らしの女性宅への住居侵入にご注意」「強姦・殺害に気を付けろ」は、
    一般論として、今の荒れた世相では、お互いに注意を喚起する必要があるでしょう。
    これは日本に限ったことでもありません。
    「ひとり暮らしの女性宅への住居侵入にご注意」「強姦・殺害に気を付けろ」という一般論まで
    「命を脅かすような脅迫的な文」と捉えるのは、無理があるように思います。
    「私の自宅住居等の個人情報を繰り返し掲載」については、裁判で明らかになるので、認知の歪みが自覚できる契機になると、ご本人にとってもプラスだと思いました。
    特に日本の心理職や精神科医には、病んだ人が多いように思います。既に米国で失敗しているアプローチについて、わざわざ翻訳書を出版していることから、そう思うようになりました。
    日本人は独自の道を行くしかないのです。例えば、S先生が、日本語には主語がないから日本人の多重人格障害では、交代人格に名前が付いていないが、多重人格はあると以前、お書きでした。そのことをは、それ以前に服部雄一先生の本でも読みました。私の元夫の母語も主語がない所為か、名前が付いているのは主人格=本名と、旧スペイン領カリフォルニアで活躍した小説の主人公の名前を詐称する交代人格だけで、あとは名前がありませんでした。名前が付いていないから「軽症」ということはありません。
    (続く)

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  2. あ*

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    主語がないことは共通ですが、あとは全然、違います。
    先日、息子が「『おやすみなさい』というのは命令形で上から目線ではないか?」と問うたので「そもそも誰に言っているのか?」という話になりました。母「おやすみなさい」、子「おやすみなさい」で、実際に寝るのは、子どもだけ…ということは、実は、子どもの「セルフ」に母子揃って「おやすみなさい」と語りかけているということでしょう。こういうことは、元夫の母語にはないことです。
    「がんばろう、日本」も「セルフ」に呼びかけているので、欧州の諸言語に翻訳すると何が言いたいの?…ということになります。
    そういうわけで、日本語を母語とする人たちは、S先生を真似してPTSD治療ができるでしょうが、ほかの言語を母語とすると同じようにはならないと推察されます。
    実は、随分前に(失礼ながら)S先生に英語の質問をお送りしてクリアなお返事があったら(当時はまだ離婚が成立していなかった)夫を何とか診ていただこうと思ったのですが、お返事はなく、諦めました。しかし、今になってみると、英語は夫の母語とは全然、違うし、もしS先生が夫の母語を理解できても、日本語と違って、直接に「セルフ」に自分や治療者が呼びかけ可能な日本語の利点はないので、現状、夫は、どうにもならないと判りました。
    話は戻って、スイスやフランスに留学しても、上述のような日本語の特徴を活かせないでは、臨床家としては留学して学んだ内容を活かせないで終わるのだと思いました。残念なことです。

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  3. 翠雨PTSD予防&治療心理学研究所

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    >あ*さん
    主張の3本柱の1つがコレらしいので、笑ってしまいます。こんなに甚だしい認知の歪みを抱え、人とまともに会話できない人がどうやってスクールカウンセラーをしているのか、私にはさっぱりわかりません。しかし、名前がついていないだけで、カウンセラーもどきの人格がいるのでしょう。裁判所にはどの人格で来るのか楽しみです。

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  4. 翠雨PTSD予防&治療心理学研究所

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    >あ*さん
    考えたこともなかったですが、「おやすみなさい」は深い言葉ですね。異文化交流でそれに気づくのは大切で、昔の精神分析家は日本語の意味を再発見しました。「甘え」「素直」等がそれに該当します。確かに今現在は翻訳だけで終わっている人が目立ちます。語学ができるだけなのに、そう言う人に限って上から目線で困ります。ドイツ語が読めるだけで心理学は知らないじゃないか、道元は西田は読んだのか?と言いたくなります。
    私ごとですが、クライエントさんに話しているとき、雷が鳴ったので、「ほら、雷もそう言ってるし」と笑って言ったことがありました。いい加減な話のようですが、私個人の感想ではなく、自然(その人のセルフ)からも聴こえてこないか?あなたも本当はそう思っていたのではないかと問うていることになっていたのかなぁと今思いました。
    いつもありがとうございます。

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