2005の
尼崎JR脱線事故で
兵庫県伊丹市出身の
会社員(31)は
左脚を複雑骨折
「もう歩けないかもしれない」と医師に告げられましたが
2度の手術と
激痛に耐えながらのリハビリを重ねつつ
松葉杖をつきながら大学に通学
卒業の1年半前には
事故後に運ばれた病院の
看護師だった女性(37)と
結婚しました。
左足は
後遺症が残るものの
かかとが地面につかない。
日常生活に支障がない程度にまで回復しましたが
事故の記憶はなく
電車に乗れるようになるまでに
長い時間がかかったそうです。
ここまでの大惨事になると
PTSDと診断され
PTSDは発達障害等誤診されやすい。
心理療法を受けている人もいます。
一時は暴露法が流行ったりしましたが
不安を克服して
電車に乗れるようになれればよいという話ではなく
記憶を風化させず
考え続けることが重要のようです。