JR脱線事故から13年でも残るこころの後遺症としてのPTSD

2005の

尼崎JR脱線事故で

兵庫県伊丹市出身の

会社員(31)は

左脚を複雑骨折

「もう歩けないかもしれない」と医師に告げられましたが

2度の手術と

激痛に耐えながらのリハビリを重ねつつ

松葉杖をつきながら大学に通学

卒業の1年半前には

事故後に運ばれた病院の

看護師だった女性(37)と

結婚しました。

 

左足は

後遺症が残るものの

かかとが地面につかない。

日常生活に支障がない程度にまで回復しましたが

 

事故の記憶はなく

電車に乗れるようになるまでに

長い時間がかかったそうです。

 

 

 

ここまでの大惨事になると

 

「PTSD予防」の画像検索結果

 

PTSDと診断され

PTSDは発達障害等誤診されやすい。

「JR事故PTSD」の画像検索結果

 

心理療法を受けている人もいます。

 

一時は暴露法が流行ったりしましたが

不安を克服して

電車に乗れるようになれればよいという話ではなく

記憶を風化させず

考え続けることが重要のようです。

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