18日午後
札幌市東区の社会福祉施設で
入所者の女子高校生が
職員の男性(55)の首を
カッターナイフで切りつけ
殺害しようとした疑いで逮捕されました。
経済的な理由や
虐待などで親と暮らせない子どもを
家庭的な環境で育てる
ファミリーホームということですから
入所者はPTSD予防中で
十分な配慮が必要ですね。
家庭的な環境は理想的ですが
昨日は日曜日でした。
トラウマ記憶が蘇ってきやすい環境でもあるので
(分析室のようになる)
PTSDの症状を発達障害と誤診して
コンサータなど飲ませると
悲劇を生みます。
突然、切りつけたりすることはないはずなので
似たような事件を予防するためにも
事例研究が必要でしょう。
「経済的な理由や
虐待などで親と暮らせない子どもを
家庭的な環境で育てる
ファミリーホームということですから」
子どもに良かれと思って考案されたと思うのですが、虐待された子どもにとっては逆効果だと考えるのはドラゴン🐲だけかな?
かたちだけ真似ると逆効果になるので、そこを覚悟して、なんとか工夫する必要があるのですが、PTSDを知らないと、良かれと思ってお互いに傷つけ合うことになるのでしょう。
事例研究から原因を探し出すのは気が遠くなる程難しいー単純にabuse, neglect, abandonment, shortage of human needsってカテゴライズされた中から選択できる原因だったら簡単に説明出来るのだろうけど……
ウイニペグのおじさんにCPTSDを教えてもらえばもらうほど、ドラゴン🐲のトラウマを説明し難くなって行く感じがするのは何故でしょう? 1つのインシデントを持ち出して来て「これがトラウマよ!」って言えたらどんなに楽な事か…って思っちゃうートラウマタイズするのってやっぱりpsych-social-bio-spiritual factors がこんがらがってるのがよぉ〜くわかりますねーもう、考えるの、つーかーれーたーって感じです
無数の事例研究のなかから、自分にピッタリのものを探そうとすると、あるはずがないので、徒労に終わります。
似たようなものがあると知って安心する人もいますが、ドラゴン🐲さんは、その段階ではないですからね。
そういう目的なら、ドラゴン🐲さんの事例研究をするのが一番です。
しかし、治療的とは言えないので、「考えるの、つーかーれーたーって感じ」になるのは正しいと思います。
記事に書いたのは、こういう間違いが起こりがちだから、注意しましょうという意味での失敗から学ぶ事例研究の大切さです。
”そういう目的なら、ドラゴン🐲さんの事例研究をするのが一番です。
しかし、治療的とは言えないので、「考えるの、つーかーれーたーって感じ」になるのは正しいと思います“
何故、原因を追求する事は治療的ではないのか教えて頂けますか?
ごく最近のやりとりで一度、一件落着した話題のような気がしますよ。
どこだったかな…。
説明(知的理解)と治癒は別物という話です。
「これがトラウマです」と摘示され、仮にそれが正しかったとして、「それが何か?」となる場合も多いですから。
やっぱりそこなんですね
メルも同じ事を終始言ってたのです
トラウマをお勉強することでドラゴン🐲のトラウマを客観視することは出来たという確信がありますーそのトラウマから流れ出す情動も客観視出来つつある途中ー人のトラウマ&そこからの情動は冷静に見つめる事は出来ても、いざ自分のに向き合うと未だにカプセルに戻ろうとする傾向があるーこれをどうすればいいのか….ープログレスは実感出来るのですー人と話す時も普通のフリはしてない事も自信があるーでも、中核トラウマに自分から近づく事が出来ないー近づけばまた同じ事が起きるのを知ってるから…..自分にウンザリするドラゴン🐲です
論文やブログはどうしても説明になるので、こういうことをきちんと書かないと、遠回りさせてしまう弊害があるとは思います。
書いてきたつもりではありますが、確率的に読まれないことが多いのかもしれません。
多分、ドラゴン🐲のcomprehension ability が低いのですーそれか、違う次元で読んでるのかもしれない
そういうことも含めて考えないといけないなぁと最近は考えています。
ドラゴン🐲 さんのように言語化して下さる領域に達した方は奇特なのですから。