吉本騒動は
タレント活動の大変さを教えてくれていますが
何も考えずにおちゃらけているように見えますが
脚本家がおり
労使関係があり
扶養家族もいる
一国民なのです。
独立前の玉置浩二さんも
個性化にあたり
いろんなストレスを抱えるうちに
(みんなと同じようにしていれば
抱えなくて済むストレス危機)
人間不信に陥り
家に帰らなくなり
人との会話を拒絶するようになって
精神病院に入院する事を勧められたそうです。
ヒドイ話ですね。
ますます人間不信になりそうですが
最期に行ってみるか…と思うくらい
他に方法もなく
追いつめられていたのでしょう。
そして
あまりのひどさに
3日で脱走
この頃が
所謂『百尺竿頭一歩進めよ』状態だったようで
スサノヲの物語のように
物事が好転し始めます。
幼少期の心象風景を思い出すことで
完成したアルバムについて
幼少期に溺死したので
母親は精神に異常をきたし
父親は自殺してしまったという
よく一緒に遊んでいた
2歳下の幼児に捧げたアルバムと発言
自伝本
『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』には
「このアルバムは
彼が幼い頃から抱えていたトラウマを
音楽に昇華させた作品でもあった」と
表記されています。
PTSDからの自己実現には
1分20分から
もれなくついてくるみたいですよ。
PTSDの正体をよく学びつつ
玉置浩二さんの事例を参考に
脱出の極意をつかんでください
『RAG FAIR・土屋礼央、発声障害を告白「歌い方を忘れちゃったみたい」』
– Ameba News [アメーバニュース]
https://news.ameba.jp/entry/20190805-517/
というのが出ました。
全部が全部、PTSD症状ですね。
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興味深いです。ありがとうございます♪
スポーツ選手版は「イップス」と、根本的なことを知りながら、こんな記事書くんですね(・∀・)ニヤニヤ
おはようございます
「個性化にあたり
いろんなストレスを抱えるうちに
(みんなと同じようにしていれば
抱えなくて済むストレス危機)
人間不信に陥り….」
「みんなと同じ様にしていれば抱えなくて済むストレス」ー ドラゴン
は自らこのストレスを抱え込もうとしてしまいがちなのですー何故でしょう?
魂の世界にも(感性?)、細かな人種みたいなのがあるのかなと思います。
①ドラゴンママの言う通りにしていれば、楽だし、人生上手くゆく人種
②ドラゴンママの言う通りはストレスだけど耐えられるし、なんとか生きてゆける人種
③ドラゴンママの言う通りはストレスで破滅してしまう人種
④ドラゴンママの言う通りはストレスなので適応すべき別のルールを模索しなければならないと気づいた人種
今思いついたので(思いつきで話している)
④も細分化されそうです。
⓪もあるかな…。ここには生まれられないと覚り、自ら淘汰されてしまう人種
みんなちがってみんないいのですが…。
問題は、人種間の差別や誹謗中傷ですね。
今の法律では、ちょうちょを追いかけて国境を超えてしまった場合、ちょうちょは罰せられませんが、ちょうちょを追いかけるような人間は苦労するらしいのです。
後の時代には、あの頃の原始人たちの法律は野蛮だった…ということになると思います。
今、アラブのお姫さまたちが逃亡中らしく、そんなことを思いました(^_-)-☆
「問題は、人種間の差別や誹謗中傷ですね。
今の法律では、ちょうちょを追いかけて国境を超えてしまった場合、ちょうちょは罰せられませんが、ちょうちょを追いかけるような人間は苦労するらしいのです。」
このフレーズ、今確かに壁にぶち当たっているところです
ただ今、自分の身を日本へ逆輸入してる状態なのです
オンライン上で出会った方々と話し合いをしていく中で、更に自分の異質感を感じる事があるーそれはかねてより解っていた事なのだけどそのエイリアン感に敏感に反応してる時がありますーこの部分はまだ昇華されていないのだと最近つくづく思いますーでも、こうやってお話出来るのだから多少は良くなっているのかもしれませんけどね
悪くはなくて(差別する人がいけない)、いい風が吹いているんですよ。
諦めずに出口を探し対話されてきたので、神さまからのご褒美で
そう言えば、「舶来もの」が好きで、同じものでも「逆輸入」だと(知ってか知らずか?)歓迎する国民らしいので、チャンスかもしれないですね。
舶来物という扱いとはちょこっと違っているんです
ドラゴン
は治る為に心を考える事に関心があります
は閉口してしまいましたー求めているものが余りにも違い過ぎると感じしまってドラゴン
は酷い挫折感の様な感覚を味わっていますーこのまま自分の身をそういう対話の場所に置いていて良いのか?ってちょぴっと悩んでますー何か他に逆輸入されながら自分の目的にあったソーシャルスキルトレーニングの場所はないかなーって思っちゃう今日この頃です
でも、今、対話をしてる日本の方々は薬害にあったから誰かを非難したりする薬害そのものを訴えたり、日本の医療を非難する事で仲間意識を育んでいる感じなのですーこういう理由で医師を訴えれば〇〇万円取れるとか、自分の現在や過去に受けたの苦痛を社会に訴える事がメインになってるーしかも、主催者の目的は単純に薬を飲むな、精神科医療に近づくなという事が皆さんに解って貰えればそれで良いーその後のリカバリの仕方は他の人に聞いて!っていう感じで….ーちょぴっとドラゴン
いわゆる薬物についてではありますが、叩く→治療という曲がり角にやっときている段階のようです。
世間は遅いんですよ。
なので、ここはやはり「舶来もの」として、弱気になって同化しては、とても惜しいのです。
おはようございます!
次週、玉置浩二さんのコンサートに行く予定なのでHotな話題でした。
復活以降は大化けして、引きつける魅力やこちら側に訴えてくる迫力はすごいです。
ところで細かいことかもですが、「2歳下の幼児に捧げた」という発言に少し違和感を感じました。普通、弟とか妹じゃないのかなぁ…と。
そうですね。
長渕剛型ですね。いや長渕剛が玉置浩二型なのか…。
血のつながりはなくても、身近な人間が亡くなると、そしてそれが幼い時であるほど、こころは十字架を背負ってしまうもののようです。
背負ってしまうような子どもだったからこそ、大人になってヒットする曲が書けたとも言えるでしょう。
細かいことではなく、大事なところです
こちらに書かれている内容に同感でした。精神医療の横暴ぶりに多剤処方へのペナルティなど貢献度はすごいのですが、それでもそれ以外に残された道はないと思えるくらいの心境で、スティグマや偏見を恐れつつも最後の砦として行くに至た状況があるのですから、それを不問にしたままでは結局まだ最中でしんどさを抱える当事者は置き去りにされた感がつのってゆき癒されないので、家族の立場の人が残ってくる現象があるような気がしました。そういう中でもしっかり(たぶん色々耐えてると思うのですが)そういう批判ばかりに迎合せず、何かを始めようと建設的にコツコツと取り組んでいる人もいるのですが、そういう人は会の終わりの食事会やイベント的企画などで様子を観察していると、能動的で常に自ら周囲に働きかけたり、気をつかったりしてる感じでした。かたや(ここからはかなり私的な感情が入ってきますが)当事者家族は(もちろんみんながみんなではないです)、料理が届いても周りに気を配る様子なく黙々と食べていたり(そうやっていつも自分が一番で子どもへの感心がなかったのではないかとか単なる偏見、推測を頭の中でくり広げたり)、一方的な自慢話をくり広げ、それを聞いているとげんなりした気持ちを通り越してしんどい気持ちになってきたので他の当事者は?とアンテナが働き様子を観察してみるとやはりそんな感じ。問題を抱えて精神医療に繋がって生きてきた期間が長ければ長いほど、思うような人生を生きられていない思いが強い面があり、時にみじめな気持ちだったり繊細な気持ちをたくさん抱えていたりするのです…海外旅行の華々しい話の未「え!海外行ったことないの?!」という(本人にしてはなんら悪気のないことでしようが)、私の核心をえぐられたような思いがして、瞬時に顔色を変えてしまいました。能動的で気を配るタイプの人はすぐその変化に気づいたのか、気をつかってくれました。人生晩年にしてはじめて行きたい相手が心に浮かべられるようになり、それまでは何の意味もないことのようにしか思えず、私にとってはそういう意味のものだったので、自分の人生の虚しさを突かれた思いがしたのです。そういう繊細さはないですよね。
今はそういう感じなんですね。
組織としての限界が明らかになっているのだと思えます。
そして、ここに書かれたことをどうするか、その組織が考えるようになれば、また一歩、理想のものに変わることができるのでしょうが、そこが簡単なようで、もどかしそうです。