中島らも『アマニタ・パンセリナ』再び

灘中に8番で入学するIQの持ち主ですが

高1から急降下

お父さんとおじさんが激しい症状のPTSDで

おとなのモデルがないので

とりあえずカッコつけて背伸びするなかで

依存性物質にはまり


睡眠薬、覚せい剤、アヘン、幻覚サボテン、咳止めシロップ
有機溶剤、ハシシュ、大麻、LSD、抗うつ剤、アルコール

本の題名の毒キノコ

大阪芸大から

同級生は官僚コースなので異色

 

サラリーマンをちょっとしたあとは

フーテンで…と紹介されますが

今思えば

無自覚なまま

PTSD当事者研究をされていたのだと思います。

普通の当事者は使用のみ

この人にはたくさんの著作物や表現活動がある。

病と共存するしかない弱者にとっては

ほんとうにやさしい視座

根っこは【自失願望】だったのですが

治すことを考える余裕はなく

なんとか紛らせることだけを模索し続けた。

アルコールでは足りず苦しいので

コストや利便性・各種危険度から

「ラストドラッグ アルコール」

「酒はいいやつである、酒自体に罪は一切ない、
付き合い方を間違うと僕のようになってしまうのだ
僕はもう飲もうとは思わない
あの奇妙なプールであがくのは二度とご免だからだ」
 
 

52歳で

酩酊中に

最後まで断ち切ることはできなかった。

頭を打って亡くなりました。

重度のアルコール依存症ともなると

肝臓も強いので

転倒が多いようです。

無意識の自殺でしょう。

車輪の下 (新潮文庫) | ヘルマン ヘッセ, Hesse,Hermann, 健二, 高橋 ...

主人公も優秀な男の子だったが

飲めないお酒を飲んで水辺へ

この本を書くきっかけになったのは

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫) | 中島 らも |本 | 通販 | Amazon

ガマをなめ、殺虫剤をかぎ、毒キノコを喰らい
都市ガスやフレオン、硝酸アミル、ブタンを吸う連中に
「どこへ行こうというのか」

南米の奇祭で

男たちがたき火のまわりで
ガマガエルを口にくわえて踊ってるという

口から足を出しながらトリップ

強烈に異様なグラビアを見たことで

徹子の部屋

33分過ぎから

「幻覚性のアルカロイドは

ほとんど植物から採られるが


動物性のものとしては

ガマガエルに含まれるくらいである」こと

合成されて殺虫剤に使われているとかぎつけ
「殺虫剤を吸う人」さえいることを知ってゆきます。

向精神薬にもそういうのありました。

 

ミッキーマウスとドナルドダックフィッシングボートディズニーイメージ ...

ディズニー映画も中毒性が強いですね。

ディズニーランドは【自失願望】に効くような。

神経にはさわりませんが

象徴的によくできています。

いろんな分野でまた流行の兆しらしく

デトックス効果はあるみたいだけど

殺虫剤と同じ

ショックならなんでもいい

カエルやキノコを使わなくても可能です。

僻地旅行はディズニーランドより楽しそう

問題はデトックス後です。

そこで何をつかむかが極意

中島らも『アマニタ・パンセリナ』再び」への2件のフィードバック

  1. ドラゴン

    おはようございます。
    翠雨先生がドラゴン🐲の事を「優しい」と評価してくださる事がありましたが、やはり当事者研究をしてると(意識しても無自覚でも)自然とその傷みに共感してしまうのでその症状には(解離行動や奇異行動)寛容にならざるを得ないのだと思います。ドラゴン🐲はこのお方のご著書は読んだ事がないので彼がどういう風に優しいのかどうかはわからないけど……

    翠雨先生が別のところでコメントしていた【観察眼】についてですが、特にトラウマ患者さんを観察する際には先ずは何を観察するかを決める為の観察期間が必要なんですよね。プラグマティックに行動の結果のみを観察しても何もらちはあかないです。そこに必要なのはスピリチュアリティーなのだと….コレって、まさに西洋ロジックと東洋ロジックの融合だと思いませんか?強引なこじつけかな?でも、Mが何だかわからない…..教えて〜!

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      私も1冊も読んだことがないのですが、映像をいくつか見て、そう感じました。
      自殺者や中毒者の内的世界を知りたいわけですが、その点では、この人の語り方が一番、理解を助けてくれました。
      いいとか悪いとかどころか、寛容(見方に上下関係がある)も超えた、ただもうどうしようもなく苦しいんだけど、こういう感じだよねと仲間に対して言語化してあげる(そういうつもりも希薄のような)その世界(中毒者のいる全てのバー bar)の先輩のような【理解】内容とか【態度】が優しいと思ったのでしょう。当事者感覚でスケールをつくったり、自分の家族が食べるものも少ないのに、自宅を自助グループ(とも言えない強烈な野良患者たちばかり)に開放してしまう時期もあったようで、優しいという次元も超えているような気がします。

      無私というか我がないのでしょうね。
      おっしゃるとおり、スピリチュアリティーの問題です。
      治療者は、これを超えなきゃいけないのですが、これにすら達していない人ばかりなので、この人の観察眼に関心があって、ずっと眺めていました。
      あの理論(我が大きくなったり小さくなったり埋もれたりする)にも通じるお話だと思います。

      返信

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