1919年の
4月16日
ガンジーは
「祈りと断食」の日を
企画したそうです。
3日前の
1919年4月13日
無差別大量虐殺事件に対する
裁判なしに容疑者を投獄できるようにした
植民地政府に対する
不満と抗議の集会に対し
植民地政府軍が
唯一の出口を封鎖し
群衆に向けて発砲
犠牲者は100人とも1000人とも伝わる。
追悼と抗議のためです。
服喪追悼も必要ですが
恐怖と嫌悪感に包まれるなか生み出された
トラウマの昇華
超ネガティブなものが☯超ポジティブなものに変容
平和と非暴力を強調した戦略は
インド人だけでなく
英国人のこころも動かし
― こんな国は嫌だ💢
政府を批判するようになった。
インドを独立に導いた(1947)哲学ですから
この種のものは
― 悪魔的なトラウマイメージに関するもの
断食によらねば治らない。
― 悪魔は去らない。
よい連鎖を生み
PTSDと言えば負の連鎖だけど
よい連鎖もある。
ウクライナのための「平和のための祈りと断食の日」(灰の水曜日・3月2日)
生まれました。
みなPTSD解離犯罪の被害者のためのもの
最近はZOOMでも企画されるそうですよ。
実は
関心がないように見えるけど
こういうところで
現代心理学よりはるか深く
PTSDは学ばれているのかもしれないですね。
おはようございます😃。
以前は「祈る」という行為は非現実的な想いを実現化する為の行為に過ぎないと考えていました。でも、自分のトラウマ症状から回復を目指すにあたり、如何に自己一致させて行くかという過程を経験するプロセスには「祈り」とか「希望」は必須であると感じる様になったかな……
単純にクライエントに「祈りましょう!」と言ってしまうと、きっとクライエントは何だか怪しいセラピストだと思われがちですけどね。ノンバーバルなコミュニケーションのツールとして「祈り」は有効かと想像しています。
今朝のコーヒーはマンダリン❤️
ネルドリップフィルターがまだ到着していないので普通のコーヒーメーカーで入れたマンダリン。何だか機械の味がする。
ウルトラマン(o|o)会議ってホント重要な話題でしたね。
「祈る」は、「願望」することと誤解されやすいみたいです。
教会とかこの手の集会に来る人は間違えないと思いますが。
「瞑想」に近いけど、瞑想しましょうと言われても、あやしさは変わらない否それ以上かな…🤔
よくその人の宗教にあった説明をしましょうと教えられますが、本当に大事な視点だと思います。
日本では、箱庭を勧めて、置けないことはあるにしても、違和感を持つ人は稀です。
違和感の正体も置けない理由と同じ場合があるから、ほぼないかな。
要するに箱庭は宗教的だということですね。
ネズミ🐭心理学の場面で「祈り」は禁句でしょうね。
虐待ネズミの怨念が想起されるから!(笑)
ポンド高が続いてます。
請負バイトでやってるオンラインワークですが、
日本円に換算すると、何だか闇バイトっぽく感じるかも…
そうなんです。
私も「祈り」という行為を単純に宗教的な所作としての行為だと思い込んでいました。マインドフルネスの意味もあんまり理解せずにいた様な気がします。マインドフルネスでやるセラピーは色々あるけど、瞑想がその人に何をもたらすかは誰も教えてくれないし、自分で見つけるものだと言われてずっとモヤモヤしていました。でも、Tai -chiのセラピーに参加したときに何となくわかった感じがしたのです。「祈り」もマインドフルネスになるなーって….
闇バイト感(^^♪
マインドフルネスも何のこと⁈という感じですよね。
素直にやってみようと思って続けられる人は半分治ってるかも。
目的のある瞑想はダメなんていうとますます戸惑われるでしょうしね。
疑問をもつと治療じゃなくて心理学へ迷走して遠回りになるから、いろんな方法があるのはよいことですね。
実験使用済み🐭ねずみを処分する時は、箱の中で集団でモゾモゾしてるねずみさんたちに向かって、僕たちを怨まないでねーって手を合わせる行為はするらしいですね。そのお話をされてる有名な大学教授の無意識に向かって「地獄へ落ちろ!」と手を合わさずに祈ったドラゴン🐲でした。
(@_@)へー。そうなんですね。世の東西問わず、お砂を触る感覚って、サンドピッドで慣れてると思っていました。でも、お砂を掴む感覚や、筆を操作する感覚って、子どもの頃に慣れ親しんだ経験に左右されるのかもしれませんね。箱庭にオブジェを置くことが出来ないというのは、瞑想が出来ないというのと同じ心理現象なのかな?瞑想が出来ない欧州人はたくさん存在してるのは知ってるけど….
やっぱり( ..)φメモメモ
人生にとって大切なことは砂場で学ぶ(西洋人による著書が有名)ということは人類共通みたいですが、心理療法であると歴史的身体感覚で知っているのは盆栽や盆景をしてきた日本人特有かなと思います。
統合失調症(見かけ上の重症PTSD)に禁忌だとか昔の教科書に書いてあったあたりがヒントになるかな。
砂=人格で、崩壊するような恐怖感(自閉症同様変化や侵入を異常に恐れる)で置けないのです。
それは尊重(保護)しないとダメですからね。いつまでも同じではないですが、そういう時期は。
翻って、普通の人にとっても砂にはそのくらいの象徴的意味があるのです。
そういえば内観療法に入れない西洋人がいて、「騙されたと思ってとりあえずやってみてください」と言ったら、「騙されたと知りながらやるのは馬鹿です💢」と言って(へき地にわざわざ来ながら)帰ってしまったという話は聞いたことがあります(笑)
あの凄いアメリカ人の先生と真逆のタイプかな。
*手を合わせずに祈った
(^^♪