お箸の語源からすると
外界から口に橋をかけて内界に渡す
生きることは食べることのようです。
食べなきゃいけないという意味ではなく
むしろ真逆かも🤔
食べられないあなたはそのままでいいみたいな!
― ろくでもない陰謀論が多いなかこれだけは(・∀・)イイネ!!
食べなくなったら死ぬ。
生☯死に関して逆さごとでお箸を立てる。
白装束も左前
死ぬ気でというときも
一大事
必死でやる
逆さ事になりますから
崖の上のポニョ状態@百尺竿頭一歩進めよ
― 死に装束(左前)で秀吉に会う政宗
―― 普通の謝り方じゃ通用しない状況
PTSDを発症すれば
食べられなくなるのを筆頭に
世界三大宗教の教祖ら
常識を超えた人はみな断食を経ている。
― 即身成仏
―― 一度死んでいる。
――― 拒食症が治った人も人格変容している。
眠れなくなり
学校や会社に行くこともできなくなりますね。
症状とのつきあいかたが
運動会は真面目に参加(^^♪
薬を呑んでいては頑張れませぬ。
予後を決めます。
症状はいろいろでも原理は1つ
「死ぬ気で頑張る」
これをどう解釈するかがリカバリのキーポイントだと思います。
Surviving mode→死ぬ気で頑張る情動体験→Thriving mode
死ぬ気で頑張る情動経験をする時に薬が入っていると潜在意識がその感性を感知しないのだと…..
違うかな…..
確かに!
ソコが極意( ..)φメモメモ
如何にガムシャラにならず他罰に逸れない(解離しない)ように正しく認識できるかの一点が命綱です。
最初は仕方がないとして、服用したまま超えることはありえないですよね。
自分のSNRIのベンラファキシン心理効果を告白してしまいますが、この薬を服用している最中には、「死ぬ気で頑張る」様なマインドステートでは無くても、「今ここ」に集中させてくれる効果があるので「死ぬ気」を自らが捻出する必要は無く、ただその作業をしていれば自然に集中力を発揮し続ける事が出来る様になるのです。
薬が合理的に集中力を誘因し、その作業に没頭させてくれるから凄いアウトプットを出す….というプロセスになるのです。それを継続する事に疑問や不安を感じない患者が依存症へと移行するのだと思います。
昨日、英国に一時帰国して来た長男が子どもの頃に在籍していたフットボールクラブと次男が在籍しているクラブの試合があり、何故彼らはあんなに好きな事を一生懸命に集中して頑張れるのかな…って思いながらフットボール観戦していました。
集中力がついたことを有能感の開発と勘違いしてしまうことも大きいでしょうね。
妙な条件づけが起きてしまうと、あとあと解除困難ともなりがんじがらめです。
私もボールを追い続けられる心理を不思議に眺めるタイプです(^^♪
薬でPTSDを治療するS先生とかは、薬で物凄い集中力を発揮出来る様になった患者たちを「完治した」と判断するのでしょうかね….
そういう判断をしてしまう事が西洋医学の限界を提示している事になるのかな….と思う今日この頃です。
長々と失礼いたしました。
薬で呼び出すという手法は、古代からのシャーマンの常套テクニックでしたが、LSD時代の精神科医のあいだで流行したのです。
その頃ですら、呼び出して終了じゃなくて、それを観察&分析しながらサイコセラピーを開始していたのです。
覚せい剤中毒者の集中力は凄いらしいですからね(笑)
遠く離れた車窓から目が合っただけでもコワかったです(>_<)
ベンラファキシン中毒患者の集中力も恐らく覚醒剤中毒患者のそれに負けず劣らず凄いと….
バイオリンを弾いてて血が出てることに気が付かないくらいですから….未だにバイオリンに血の後が残っています…
すみません。これで終わりにします。
貴重な情報ありがとうございます_(_^_)_