本日6月7日は
西田幾多郎の命日です。
おはようございます。
今日は「寸心忌」です。
明治から昭和前期の哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)の忌日。1945年(昭和20年)鎌倉の自宅にて死去。享年75歳。日本で唯一の哲学博物館「石川県西田幾多郎記念哲学館」では、没後80年の特別展が開催中です。
今日がよい一日となりますように。— 秘灯麦夜(ひとう ばくや) (@hitou_bakuya) June 6, 2025
昨日は宇ノ気小学校で献花式👇
― 凄い小学校
【今日は何の日】きょう6月7日は寸心忌です。
明治から昭和前期の哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)の1945年(昭和20年)の忌日。寸心忌(すんしんき)」の名称は、居士号の「寸心」にちなんでいます。 pic.twitter.com/ZyBMITQXlf— 枚方市立楠葉図書館 (@hirakuzuha_lib) June 7, 2025
居士(こじ)とは
江戸時代における
仕官をしない読書人の立場を指した言葉
居士号は
禅の師匠(老師)が直観でつけた名前
― 私の書の先生は私を見て翠雨とつけた
― ― 本名は易者がつけた@陰陽五行説の哲学
なんと👀
ユング忌の翌日でした。
お誕生日の前日は熊楠
― 西田の人と学について書いた記事
考究テーマは
自己実現と善
― 生の哲学
その哲学の源流は夢分析と禅
だから後続の人たちは分析を受け禅定しながら学ぶ
― 机上論は🙅ダメ
ハッピー💊ドラッグと真逆の哲学トレーニング
― 百尺竿頭一歩進めよ
本日
現実世界のあちこちで
西田についてあーだこーだと語るのも
神隠しの世界でしょうか。
古代ギリシャでは「気分が沈む」状態を”メランコリー”と呼んで、
哲学や芸術の源になるって考えられてたらしい。
それに、落ち込むときって脳は”内省モード”に切り替わるらしい。
つまり…自分の奥深くを見つめる準備時間。#バフォたん #落ち込む時間も大事 #内省は魔法の入口降り出したのは雨~♪ pic.twitter.com/nKRygSDqBc
— 百木momoki (@momoki_bs) June 6, 2025
今日くらいは真面目に勉強しようと思うのです(^_-)-☆
ももきさんの仰る「内省モードで落ち込む時」は、まさにクラインのDepressive modeですね。でも、脳機能に勝手にスイッチが入って変わるのでは無くて、こころのメカニズムが変わるから脳機能にスイッチが入って考え方が変化すると言った方が良いのかも…と思ってしまいました。
学びの深さ(思考パターン)を左右するのは、この内省モードの落ち込み期間にどれだけ思考展開出来るかに関わっているのかもしれませんね。この期間に良い人々と対話が出来ると、きっとホントの学び(introjective modeな学び)が出来て、パラダイムシフトが達成されるのかな?
PTSD症状からの回復も、確かに、スプリットモード- 落ち込みモード- 修復モードと段階を追ってますね。トラウマの再演なんかが起これば、その回復はその三段階ですね。薬でスプリット&落ち込みモードを抑え込んでいきなり修復モードなんかに持ち上げてしまうと、確実な学びのステップをすお飛ばしてしまうので、断薬するのに四苦八苦してしまいますね。
そうなんですよね。
大昔から鬱に関する普遍的な考え方(否定されたことはない)があるのに、ある時期からある集団が脱線してしまったのです。
オウムみたいな新興宗教(先行研究無視)です。
ながらく目の前にニンジン🥕(得て公🐒心理士資格)ぶらさげられて(おあずけ🐴)、新薬💊開発以後は魂の大バーゲンに加速がかかって(暴走)人間兵器みたいなロボット集団になってしまったのです(>_<)
臨床経験の乏しいドップリとアカデミックな世界に浸かってる分析の先生方は、「精神分析が最近までコミュニティの現場から隔離されていた」という患者としての私の感覚を「藁人形論法的」としていますが、2007年にはじめて精神科にかかり薬物療法と認知行動療法で治ったフリを強要され、精神分析に出会うまでの10年近くの時間を考えると、臨床現場で精神分析は隔離されていたと感じてしまうのです。薬物療法や認知行動療法で臨床現場では治療者側も患者側も思考停止状態に陥って、普遍的理論は無視されていたと感じるのは私だけなのかな…..
素朴な印象として一般的だと思いますよ。
精神分析(で治ったという話はおろか)受けているという話は最近はほとんど聞かれませんから。
何十年も前なら治癒症例もそこそこありましたよ。
統計的データが事実だと証明してくれそうな気がしますが、あまりに廃れてしまって、記録がないほどなのかな🤔
得て公🐒心理士だらけで精神分析医やユング派資格保持者がそもそも微増です。
その他の領域専門家たちが脳内心理研究ごっこならさもありなん🤔
重箱の隅的に隔離されていたという点(重要ではない部分)に噛みついたつもりかもしれませんが、これとて、そういう意図的操作的なことはあちこちで指摘されてきました。AIちゃんがデータをもっているでしょう。
それで藁人形系こんにゃく問答に持ち込もうと🤔
なんだか投影のような表現に聞こえるのです。
教育分析を受けていないから馬脚を顕してしまうのですよ。
刑法では、不能犯(迷信犯)は不可罰ということでしょうが、アフリカ刑法では疑惑だけで逮捕案件だけど、事実として不能犯でないことを、アカデミックな心理学のプロが証明してくれてますね。最近は、反応みるだけではいはい…🙂↕️と確信犯になるばかりの私でありました<(_ _)>
こちらのサイトで、度々、教育分析の必要性を念押しされているので、論文の結語にも「トラウマ領域で生じる精神分析理論の還元主義のリスク、倫理的権力的ダイナミクス、そして理論と実践の乖離等の典型的な問題」は、治療者や支援者が教育分析を受けることで多少のブレーキがかかるであろうという推論を書いたのです。それに対して一人の教授は、“「本当の答え」を持っているはずの現場の実践者によって薄められていると、あなた(ドラゴン)は主張しているかの様に読みとられます。“ というコメント。何度も治療者に近づいては嫌な思いをしたトラウマが何気に課題論文に刷り込まれてたかもしれない…何だかな….
現場の実践者が真実を薄めている(< 歪めながら操作しているというのが現実)という点に異論はないですが、「本当の答え」を持っているのは、セルフ(神のような存在)であって、そんなちっぽけな一時代の無名の人間ではないデス(^^♪
私の訳し方が誤解を招いた様です。
現場に浮遊する様に「ホントの答え」が存在している中で、そこで理論を実践する治療者/支援者が、患者がホントの答えに近づく事を阻害してしまう。という事を言いたかったのです(私の日本文で翠雨先生に伝えたのが間違えていました)。その教授もホントの答えを持っているのは特定の人であるとは言っていません。
クリニック外のamebloブログ上で経験した精神科医とのやり取りで感じた「治療者が患者に求めるモノ」が余りにもディズニー心理学的でがっかり😞した情動経験からの学びが恐らく強く言葉になって私の作文なってしまっていたのかもしれません。
実際に書かれたという内容も動機も無理なくわかります。
ディズニーランドなので、赤穂浪士なんかについても悲哀を解せない御仁なんだな…と(今更ながら)愕然とする投稿がありました。
先生が愕然とされた投稿を教えてください。
来年の大きい論文の参考にしたいです。
これです。
最近の事件についても勝てば官軍みたいに変調する傾向が顕著です。
これこそが広島原爆トラウマかもしれない🤔
真実から逃れようとしている様子かな。
トラウマ患者が現実と向き合う事を回避する様に…
あとになってわかることもあるわけで、満月が真相を映し出してくれている気がします。
じっくり拝読していませんが、彼は西洋的二項立で思考展開されているわけですね。
5時間後、帰宅した際に拝読させていただきます。
記事を探してくださってありがとうございます。
お手数おかけしました。
おつきさまやお釈迦さまは知っているw。
知らないのは本人だけ……みたい。
ヒロシマで見つけた無意識の病はかなり深刻な病状を呈しているのかもしれませんね。
いつも丁寧なお返事ありがとうございます♪
引き続きどうぞ宜しくお願いします。