寸心忌@2025

本日6月7日は

西田幾多郎の命日です。

昨日は宇ノ気小学校で献花式👇

― 凄い小学校

画像

居士(こじ)とは

江戸時代における

仕官をしない読書人の立場を指した言葉

居士号は

禅の師匠(老師)が直観でつけた名前

― 私の書の先生は私を見て翠雨とつけた

― ― 本名は易者がつけた@陰陽五行説の哲学

なんと👀

ユング忌の翌日でした。

お誕生日の前日は熊楠

― 西田の人と学について書いた記事

考究テーマは

自己実現と善

― 生の哲学

その哲学の源流は夢分析と禅

だから後続の人たちは分析を受け禅定しながら学ぶ

― 机上論は🙅ダメ

ハッピー💊ドラッグと真逆の哲学トレーニング

― 百尺竿頭一歩進めよ

本日

現実世界のあちこちで

西田についてあーだこーだと語るのも

神隠しの世界でしょうか。

今日くらいは真面目に勉強しようと思うのです(^_-)-☆

寸心忌@2025」への2件のフィードバック

  1. ドラゴン

    ももきさんの仰る「内省モードで落ち込む時」は、まさにクラインのDepressive modeですね。でも、脳機能に勝手にスイッチが入って変わるのでは無くて、こころのメカニズムが変わるから脳機能にスイッチが入って考え方が変化すると言った方が良いのかも…と思ってしまいました。

    学びの深さ(思考パターン)を左右するのは、この内省モードの落ち込み期間にどれだけ思考展開出来るかに関わっているのかもしれませんね。この期間に良い人々と対話が出来ると、きっとホントの学び(introjective modeな学び)が出来て、パラダイムシフトが達成されるのかな?

    PTSD症状からの回復も、確かに、スプリットモード- 落ち込みモード- 修復モードと段階を追ってますね。トラウマの再演なんかが起これば、その回復はその三段階ですね。薬でスプリット&落ち込みモードを抑え込んでいきなり修復モードなんかに持ち上げてしまうと、確実な学びのステップをすお飛ばしてしまうので、断薬するのに四苦八苦してしまいますね。

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    1. 翠雨 投稿作成者

      そうなんですよね。
      大昔から鬱に関する普遍的な考え方(否定されたことはない)があるのに、ある時期からある集団が脱線してしまったのです。
      オウムみたいな新興宗教(先行研究無視)です。

      ながらく目の前にニンジン🥕(得て公🐒心理士資格)ぶらさげられて(おあずけ🐴)、新薬💊開発以後は魂の大バーゲンに加速がかかって(暴走)人間兵器みたいなロボット集団になってしまったのです(>_<)

      返信

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